皆様は小さいころ、将来の夢をお持ちだったでしょうか。
あるいは現在、やりたいこととか夢といったものはありますでしょうか。
オリンピックの時期だから特にそう思うのかもしれませんが、私は「やりたいことを持つことこそ美しい」みたいに囃される風潮がどうにも苦手でなじめません。
私と同じような考えを持っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
将来の夢って、ありましたか?
私にはありませんでした。
小さいころからありませんでした。
というのも、「身の丈に合わない」ってことを小さいころから気づいていたんですよね。テレビに出るような芸能人になれるほど美人でもなければ、スポーツ選手になれるほど運動神経がいいわけでもない。ケーキ屋さんをやりたいと思うほど手先も器用じゃないですし、花屋さんをやりたいと思うほどそもそも花が好きじゃない。
やりたいこともあるにはありましたが、「稼げない」「食っていけない」「現実的ではない」という、よく言えば地に足がついた、悪く言えば極めてネガティブな考え方であきらめていました。たとえば私が漫画家になりたいと思ったとしましょう。
しかし現実的には漫画で成功できる作家など0.1%以下であり、ほとんどの人がいたずらな時間と労力を「夢」とかいうものに費やしてしまうのであれば、じゃあ目指さなくてもいいやって思ってしまうのです。どこまでも安全パイを取りたいと思うのが私の生き方です。
薬剤師を仕事に選んだのもそういう理由です。「国家資格なら大丈夫」「生活に困ることはない」そのような理由です。これは私の周囲に限りますが、積極的な理由で薬剤師になりたいという人って本当に見たことないんですよね。みんな「手に職をつけたい」とか「生活を安定させたい」という考え方で薬剤師になるんですよね。
薬学部にいるときにはそのような考えの人間で固まっていたので、「現実的」な思考をすることに慣れ切っていたのですが、社会に出ると思いのほか「夢追い人」が多いことに気づき、驚かされます。
文集で書く「将来の夢」あれ、なんなの?
いや、本当に。あれなんなんですか?なんで将来の夢を描かなければならないんですか?
実現するかもわからない、本当になりたいのかどうかも怪しい夢なんか書かせても教師の自己満足でしかないんじゃないですか?私は昔っからこの「将来の夢」欄が嫌いで、先生を困らせていました。
たしか小学1年のとき、将来の夢に「会社員」って書いたんですよ。そしたら先生にめっちゃ怒られまして。「夢がない」っていうんですよ。子供のくせに夢がない、書き直しだって言って怒るんですよ。
そしてその先生、「サッカー選手」とか「野球選手」「アイドル」って書いて提出する子のことはめっちゃほめるんですよ。「○○ちゃんは大きな夢を持っていて偉いね!絶対夢はかなうよ!がんばってね!」とかいうんですよ。もうばかばかしくて見ていられませんでした。
いや、「サッカー選手」とか「野球選手」とか、なれる人限られてますから…。練習していない子供がプロになんかなれるわけないですから…てか「アイドル」ってよく言えるな…自分のことアイドルになれるって思うんだな…自宅に鏡がないんだな…
非常にもやもやした思いを抱えながら私は「歌手」と夢を書き直しました。そしたら先生ニッコリですよ。「子供は夢が大きければ大きいほどいい」という考えなのか何なのか知らないですけど、子供が書き集めた無邪気で実現不可能で無意味な夢を並べて感動してるんですよ。もうあほらしくて相手にしていられなくなりました。「子供は教師が望むような『子供』の思考回路を演じなくてはならないんだな」と7歳にして学びました。嫌な子供だな。
ちなみにその先生、私が小学六年生のときに将来の夢を「薬剤師」と書いた時には「現実的でとても今の世の中を観察できている素晴らしい夢」だとか言ってほめていました。そして「アイドル」とか書いている子のことを「現実を見なさい!!将来の夢だからといってなんでもかんでも書いてもいいってわけじゃないんですよ!!」ってマジ切れしていました。
なんなの?
先生が思う「無邪気な夢を見てもいい年齢」を超えた子供に関してはこの仕打ちですよ。手のひら返しですよ。もうそれならさっさと最初から「あんたはブスだからアイドル無理ですわ」って言ってくれるか、そもそも「将来の夢」なんて書かせなければいいのに。あの欄に書いた夢なんて99%実現しないのに、どうして書かせるんだ…?本当に疑問ですし、あのときの教師の対応については理解ができませんでした。
ちなみに「はさみになりたい」とか「プリンターになりたい」と言っていた子もいましたね。それでも小学一年生当時は、「会社員」って書くよりかは受けのいい夢だったようです。夢とはいったいなんなんだろう。
やりたいことを持て持てうるせーよ
そもそも「やりたいことで生きていく」とか「夢をかなえるのが人生」とかうるさくないですか?どう生きていこうとお金を稼げて人様に危害を加えなければどうでもよくないですか?なんで「やりたいことで生きていく」のが素晴らしい生き方のように言われるのか、私はよくわかりません。
原始時代から脈々と続く人類の生き方で、「将来の夢」なんて考えるようになったのはせいぜいここ数百年の話でしょう…ほとんどは生まれながらに社会的にも能力的にも身の丈が決まっていましたし、その範囲内で生きていたでしょう。
最近、「誰もが平等」「夢はかなう」「努力は必ず報われる」みたいなきれいごとが横行していて、私はどうにも納得しかねます。夢はかなうって言ったって、10万人の野球少年が束になってかかったって、イチローにはなれないじゃないですか。そしてそのへんの大学出て、そのへんの会社員になって、そのへんのおじさんになるんですよ。そういうことですよ。
そして、その生き方の何が悪いんですか?
やりたいことがない、将来の夢がない、それでぼんやり生きることの何が悪いんだろうと思います。むしろ「夢を追いかける!」とか血迷ったことを言い続けて、いい年して碌な仕事もできない人の方がよっぽど問題だと思いますよ。
夢はかなわない
なので、もし「やりたいことがない」「将来の夢がない」とお悩みの学生さんがいても、心配することはないです。
将来の夢なんて、かないません。
ほとんどの人が、それ以外の道を歩みます。どうしてもかなえたい夢なら血反吐を吐いてでも努力すればいいですが、それでもほとんどの人が音をあげます。夢なんて、その程度のものなんです。イチローには誰もはなれないんです。
だから、夢を探すとかやりたいことを見つけるとか言ってインドに自分探しの旅なんかしている暇があるんでしたら、もっと目の前の勉強をちゃんとやっといたほうがいいですよ。学歴は嘘つきませんし。
やりたいことがない人はそれこそ薬剤師になるのもおすすめです。鬼のように勉強させられますが、免許さえ取れば専門的な仕事に取り組むことができます。
method-of-pharmacist.hatenablog.com
ぐちゃぐちゃ言って夢を探して現実から逃げている暇があるのなら、せっかくの若い時間を勉強に費やしてみてはいかがでしょうか。脳みそが若いうちにしか勉強はできませんよ。本当、25歳過ぎると知識の吸収って本当に遅くなります。
かないもしない御大層な「将来の夢」を唱えるより、よっぽど地に足がついた考え方だとは思います。小学校の先生には怒られそうですけどね。