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②ダイジェスト ~学校へ~ 第二巻部分
■8
「遺跡を封印しろ!」
「うるさい、そんなことできるわけないだろ、帰れ!」
白い集団からもリーダーらしき老人が前に出た。
「人の命よりも発掘による利益が重要なのか? 大惨事になる前に地下遺跡は丸ごと封印するべきなんじゃ」
そう言われると抗議されている衛兵は反論できなかった。
この衛兵もミルトンの衛兵の長を任される戦士なのだ。数多の戦場や冒険から生き残っている手練であり、魔物との交戦経験も多い。
しかしその彼をしても、ミルトンの恐怖のほんの一端でも触れてしまうと……この老人の言うことが正しいとしか思えなかった。
「俺にも家族がいる。もし地下遺跡の奥に棲まう何かが漏れだしてしまったらこの街に住む家族だって」
「近頃、事故が頻発しているじゃろ。それはミルトンの魔物が増える周期に入っているからなんじゃ。いつ魔物が溢れ出てもおかしくないんじゃぞ」
「やはり……そうなのか……?」
「ああ。間違いなかろう」
衛兵の兵長はしばらく考えこんでから顔を上げた。
「よし……ヘラクレイオンの太守にかけあってみるか」
「わかりました。私が早馬で太守の宮に行って事を話してきます」
「ああ、頼む」
兵長が部下に早馬を頼もうとし丁度その時だった。
逆に蹄の音がこちらのほうに来て、すぐに六頭立ての馬車と護衛の騎兵が現れた。
六頭も馬を使う馬車に乗る人物などそうはいない。兵長はひと目でそれがヘラクレイオンの太守レオポルトのものだと分かった。
馬車からでっぷりとした身なりの良い男が降りてくる。やはりレオポルトだった。兵長はこの時は好都合だと思ったものだ。
「何だ何だ、この騒ぎは?」
「レオポルト様」
兵長は早速、レオポルトに地下遺跡の封印について具申しようとした。
「兵長か? こいつらは何だ? なぜ追い返さない?」
兵長は必死にミルトン封印の重要性を説いた。
レオポルトは兵長の話を黙って聞いている。
レオポルトはこの街の太守として住人にはとても評判がいい。話の分かる領主ということになっている。それは基本的に衛兵も同じだった。
しかし、話がわかる、つまり住民の税負担が軽く、衛兵の給金が高い、というのは遺跡からの収入があってこそなのだ。
「兵長、お前は何を言っているんだ?」
「ですから、遺跡の封印を……」
「馬鹿なことを言うな! お前達、衛兵の給金は何処から出ているのか知っているのか!?」
「それは存じあげておりますが……近頃は魔物に殺される衛兵も多く……」
「だからそいつらの家族への補償も馬鹿にならんのだ」
殉死した同僚をそいつら呼ばれて兵長は少なからず内心で腹を立てたが、遺族補償など無い仕事も多いので堪えた。
「もし封印に成功すれば、遺族も出なくて済みますのでどうか」
「黙れ! お前はクビだ! 死んでも衛兵になりたい者などいくらでもいるんだぞ」
兵長がこの糞野郎と最後に殴ってやろうかなと思った時だった。
それは現実になる。部下の一人がレオポルトを突き飛ばしたのだ。
見ると仲の良い同僚を失ったばかりのまだ若い兵士だった。
体格の良いレオポルトはだるまのように転がっってしまう。
「ぶへっ! なんだ貴様~! 斬れ! 斬れ!」
レオポルトとやってきた騎兵が剣を抜く。しかし、騎兵が若い兵士に剣を振り下ろす前に、それに跳びかかって馬から騎兵を引きずり下ろした者がいた。
「お前、兵長のくせに邪魔するのか~!」
「じゃかましい! 俺はもう首になったんだ」
レオポルトも真っ赤な顔で腰の剣を抜いた。しかし同じように別の近くの衛兵に取り押さえられてしまう。
騎兵もレオポルトも暴れたが、衛兵は数が多かった。
◆◆◆
「すまんの。上司に楯突かせることになってしまって。ひょっとしたら罪に問われてしまうかもしれない」
「いや、俺だってミルトンは封印したほうがいいと思っているさ」
兵長は気にするなと老人に明るく話しているが、若い部下達はまだ自分達のしたことの覚悟が固まっていないようだった。
「縄をとけ~お前ら~」
近くで上司が怒鳴っているのいるのだから当然かもしれない。
兵長はそれを無視して部下に優しく語りかけた。
「俺達はこの方々がミルトンを封印するまでの間、見張ってるだけでいい。もし封印できたら事後報告を中央のバッカド国にあげればいい。中央だって遺跡は脅威に感じているはずさ」
もう賽は投げられた。団長はそう言う他は無かった。
「……」
「もし何かあっても責任は俺がとる。俺が命令したと言え」
「分かりました!!」
部下の衛兵達も覚悟を決めたようだ。いや、ひょっとしたら遺跡を封印できることに安堵をしたのかもしれない。
老人はその様子を見て重々しく頷いてから、弟子達に檄を飛ばす。
「よし、お前達、五行封印じゃ。十年の修行の成果を見せるのだ」
ミルトン遺跡への入口は地下に下りていく長い階段だ。入口からは奥まで見通せず、どこまでも深い闇が広がっていた。
入口を取り囲むように白い集団が座り、長い詠唱をはじめる。
詠唱をはじめて三時間が経過した。
今や白い集団の魔力の高まりは、魔法にそれほど造詣が深くない兵長でも感じるほどである。
「遺跡が封印されちまえば、俺は職を失うかもしれねえ。けど、代わりに家族が守れるならそれでいい。こんな恐怖を感じるのは俺だけでいい……」
兵長は満足したように白い集団を眺めていた。
さらに数時間後、唐突に老人が話しかけた。
「兵長さん」
「おう。なんだい爺さん? 困りごとか? なんでも協力するぜ」
「いやいや、そうじゃないんじゃよ。そろそろ詠唱が終わって封印魔法を発動できる。急いで中にいる人達を上にあげてくれないか? 封印が成れば、地下からは出られなくなるからな」
「そうか。最後の仕事だな」
遺跡警備団は地下の魔物が上にあがって来ないように精鋭中の精鋭を階段の下部にも配置している。
兵長は数人の仲間を引き連れて地下への階段を下りることにした。
「よし、行くぞ」
地下に下りる階段は一度に多数の魔物が出て来ないように狭くなっている。
兵長は優秀なので、精鋭を揃えている階段の下部の警護にも交代で就くことがあるのだが、いつも地獄に行くような思いでこの階段を下りていた。
しかし今日は違った。恐怖ももちろんあるのだが、誇らしい気持ちも同居している。
世界の誰もが知らずとも、一介の兵士である自分の決断が人類を救うかもしれない、と。
そんな気持ちで歩を進めていると、兵長は何やら遠くから小さな音がしていることに気がついた。
「何か聞こえませんか?」
部下も音に気づいたようだった。
衛兵達は顔を見合わせて一斉に剣を抜いた。
階下の待機所にも十重二十重(と え は た え)の防御結界が張ってある。
しかし油断はまったくできない。結界を突破される事故が起きたことも幾度となくあった。
その場の誰もが息を呑んで耳を澄ませた。
タッタッタッ……タッタッタッ……
「誰かが階段を上がってくる音のようですね」
「良かった。少なくとも人間の足音だ」
部下達は楽観的な意見を交わし合っていたが、兵長はとてもそう思えなかった。
確かに人間の足音に聞こえるが、交代命令も出ていないのに何故階段を走って上がってくるのか? しかも怪我を負っているかのように休み休み走っているようにも聞こえる。
足音は益々大きくなる。兵長の不安は大きくなった。音はもう通路のカーブの向こう側まで迫っていた。
鬼が出るか? 蛇が出るか?
「……ゴクッ」
先ほどまで楽観的なことを言っていた部下達も緊張している。
しかし、結果は兵長の予想とは違って一人の兵士が上がってきただけだった。
一見、外傷も見受けられない。
「おお、サムか……どうした? 交代にはまだ早いだろう?」
「へ、兵長」
「ん?」
「か、数えきれない数のミルトンラビットと少数のミルトンスライムが……待機所を突破……」
兵士はそれだけ言うと前のめりに倒れ込んだ。
背に緑の液体が付着していた。その液体は鋼鉄の鎧ごと背の肉を溶かしていた。
「まずい逃げろ! 地上まで撤退だ!」
兵長の叫び声が響くと同時に、部隊は一斉に背を向けて階段を駆け上がった。
この場合、この一団が逃げることは撤退したことにならない。誰か一人でもこの状況を階上の詰め所に伝えなくてはならないのだ。
「ぎゃー!」
「ぐわー!」
一人、また一人とスライムの餌食になっていく。
それでも兵長は応戦はおろか、振り返ることなく一心に階段を上っていった。
彼は面倒見の良い部下思いの男として通っており、普段なら部下よりも先に危険から逃げることはない。
兵長は危機に至って自分の命を優先したのか? 否、そうではない。
階上が近づいたところで、兵長は叫んだ。
「爺さーん!! 今すぐ封印魔法を発動させろー!! 魔物が来るぞー!!」
叫んだ後。兵長はすぐ様、階下に踵を返す。
地上への帰還はもはや考えていない。
すぐ目の前には生ゴムを圧縮したような強靭な筋肉で覆われた毛のない巨大なウサギが牙を向いていた。
有無を言わさず、ウサギの胴に剣を叩き込んだ。
しかし、斬撃は肉の鎧に阻まれて僅かに体表を切り裂くのみ。刃は数センチも入らない。次の瞬間、ウサギが鋭い前歯で兵長の左肩から腕ごと食いちぎった。
最早これまで。兵長は光を感じて振り返り、階上を仰ぎ見る。
それは太陽の光とは確実に違う、魔法発動の光。
封印は間に合った。
兵長は満足気に笑って目を閉じた。
◆◆◆
「封印は施された。あの兵長や衛兵達の犠牲のおかげでな」
老人は悲しみを湛えた目を閉じ、感慨深げに言った。
「あの男こそ世界を救った勇者じゃ」
兵達のために静かに黙祷をしようとし居住まいを正す。
「●×△※■○!!」
だが、老人の祈りを邪魔するように、何やら騒々しい物音は鳴り止まない。
流石に様子を見に行くべきかと思った頃、老人は弟子に呼び出された。
「教祖!!」
この老人こそアリスト教系の宗教で世界各地の魔物害から人々を救う競技を掲げている宗教団体の教祖だった。
「なんだ。騒々しい?」
「早くも封印が破られようとしています!」
「そんなバカな? どんな魔物が? ま、まさかエインシャントドラゴンか……」
「違います。ミルトンラビットとミルトンスライムです」
「ラビットとスライム!? ミルトンだと一番弱いクラスの魔物ではないか! そんなものに封印を破られたというのか!?」
同時に、建物が倒壊するかのような爆発音が響く。
魔法封印が破られるとこのような音がするのだ。
「スライムだー!」
「こっちはウサギだー、ギャー!」
同時に地上のあちこちから悲鳴が響き渡った。
あたりは兵士や教徒の肉と血が無残に散乱していた。
「我らの十年の努力は……」
老人は数十年来の血の滲むような修行が全く通じなかったことに一瞬、呆然とした。
だが、彼が世界を思う気持ちに偽りはない。押し寄せる魔物達に一矢報(いっ し むく)いるべく、老人は毅然として立ち上がった。
「お前達、ここで魔物を倒すことに協力するのじゃ!」
老人が言った時には、既にほとんどの弟子達はスライムの溶解液やウサギの牙にやられていた。
「教祖! お逃げください! ぐわー!」
生き残った最後の一人の弟子が老人を庇ってスライムに取り込まれた。
ジューと音が鳴り、見る見る人間が溶かされていく。
「な、なんと……む、無念」
「ひっひ~助けてくれ~」
老人が悲鳴の方向を見ると、レオポルトがミルトンラビットに睨めつけられていた。
ミルトンラビットはレオポルトが怯えて失禁しているのを楽しんでいるかのようだった。
「これまでか。しかしワシの自爆魔法で一矢だけでも報いてやるぞ」
もう懸けられるものは命だけだと覚悟を決めた老人が果敢にミルトンラビットに立ち向かおうとした。
「おい! 化物! こっちじゃ!」
ところが、その老人の肩を掴むものがいた。
「はーい。おじーちゃん。危ないから後ろに下がっててねえ~」
「へ?」
老人が後ろを向くと場違いに呑気な声を出した若者が立っていた。
「なんか最近魔物が多いとか聞いていたけど、こういう事故もあるんだな。遠くから悲鳴が聞こえたから走って来てよかったぜ。なあレオ」
「ベルナー。お前が死んだら魔剣と鎧は貰っていいか?」
「そんなドジは踏まないぜっ! よっと!」
ベルナーと呼ばれた若者が筋肉の塊のようなレオポルトの前にいた巨大ウサギの側に立つ。
老人が気づいた時には、ベルナーは既に剣を抜いていた。
「?」
剣を抜いた瞬間を老人は見ることもできなかった。
それ以上に男が持つ不気味な光を放つ黒い剣身に目を奪われる。
次の瞬間には巨大ウサギは頭を真っ二つに叩き割られていた。
「どんなもんだ? 俺もなかなかやるだろう? レオ」
ベルナーが振り向いてもう一人の若者にドヤ顔をする。
しかし、レオと呼ばれた方は呆れ顔でため息を吐いた。
「その魔剣があれば誰でもできるだろ?」
その刹那、ベルナーの顔が黒い影に覆われる。凄まじく敏捷な動きで空中に飛び上がったスライムが投網のようにベルナーの頭上を覆って影を作ったからだ。
「ファイアキャノン!」
レオの掌から火炎の奔流が空に放射され、スライムを呑み込んだ。
「ヒューやるねー」
ベルナーは緊張感なく口笛を吹く。
「やるねじゃねーよ。お前スライムに溶かされかけてたぞ」
「俺の魔剣はスライムも切り刻むぜ」
「まあどうでもいいけどよ」
二人は喋っている間にも遺跡から溢れ出たミルトンスライムとミルトンラビットを次々に片付けていた。
もうラビットが最後に一体残るのみだった。
ベルナーはそれを逆袈裟で両断した。
「お前達は一体?」
老人が二人に話しかける。
「うん? 爺さんどうしたの? どっか怪我したか? レオ、ポーションあるか?」
「あるぞ」
「あ、いや。お前達のおかげで怪我はしてないんじゃが……」
ベルナーは何かに気がついたという顔をした。
「あ、分かった。爺さんも発掘に来たんだろ? 爺さんじゃ、ちょっと危ないから止めといたほうがいいぜ」
そう言い残して四人の男女は地下遺跡の中に入って行ったのだった。
ヘラクレイオンの街は遺跡からの貴重な発掘物によって潤った。
多くの冒険者達が利益を得ようとして地下に挑み、度々、災厄を地上に呼び寄せた。
しかし、それまだ真の災厄ではない。
並の冒険者では、かつて世界を統一した古代マドニアの遺跡の奥に封印されている真の災厄には辿りつくことなどできないからだ。
■9
遺跡の地下へと続く長い階段に四人の足音が響く。
「宝物の間は聞いたことあるけど、封印の間?」
ベルナーは自分に迫り来るミルトンラビットを両断ながらレオに疑問を投げかけた。
「ああ、どっちも絶対に手を出すなよ」
「なんで? 宝物の間には古代アーティファクトがゴロゴロあるんだろ?」
「封印の間も宝物の間も、どっちも扉はまったく同じ形をしているんだ。外からでは見分けがつかない」
レオはミルトンラビットの死骸を避けて階段を下りながら応えた。
「ふーん。そうなんだ。大丈夫だろ? お前、魔法くっそ強いじゃん。俺の魔剣ティルフィングもあるし」
「俺だって詳しくは知らないけど、ルドルフですら絶対に封印の間には手を出すなって言うんだよ」
「ルドルフ? 誰よ?」
ルナが教えた。
「レオのお父さんだよ」
「へ~。レオは親父を信用しているんだな」
レオは不機嫌そうに答えた。
「してねえよ。だけど強さだけは折り紙つきだ。アイツですら手を出さないなら、よほど危険なんだろ」
「ふ~ん。心配しすぎじゃねえか?」
イザベラが眼鏡をクイッと上げながらたしなめた。
「ベルナー様、ここはレオ様の言うことを聞いておいたほうが……私達よりずっと遺跡やダンジョンの発掘にお詳しそうですから」
「マドニアの古代遺跡を発掘するのは初めてだけど、ルドルフの馬鹿から話はいろいろと聞いている」
「まあ、宝物の間ってところじゃなくても古代アーティファクトとか古代魔法書とかあるんだよな? それならいいか」
「運が良ければな」
コイツは本当に人の話を聞いているのかと疑いつつ、レオは地下の大空洞を魔力で探索した。
「チッ。ヤバイな。古代遺跡は魔物が異常発生する時があるって話だけど……半端な数じゃないぞ」
珍しく弱気な発言をするレオに、ルナが心配そうに尋ねた。
「そ、そんなにいるの?」
「地下にミルトンラビットが無数にいるな。数千、いや一万匹以上いるかもしれない。さすがにここまで数がいるとは思ってなかったな……」
「え? どうするの? そんなにいたらレオでも魔力が持たないでしょう? 衛星次元魔法も地下じゃ使えないし……それにベルナーとイザベラさんもいるし」
ルナが二人のことを気遣う。
レオとルナはこの十年、様々なアーティファクト作りの素材を集めていた。時には危険な目に遭うこともあったが、ルナはレオと二人ならばどんな窮地も切り抜けられると思っている。
だがレオはそれほど甘くは考えていない。
魔法使いにはどうしても魔力に限りがあるし、懐に入られると弱い。
たとえ一対一で圧倒的な実力差があっても、物量で攻め続けられると魔法使いの側もやがて対処能力を超えてしまう。魔法使いの弱点の一つだ。
「アレを……使うしかないかもな」
「アレ? アレってひょっとしてアレ?」
「うん」
「ええええええええ! 痛いいやだよ~……」
レオが言う〝アレ〟にルナは怯えてプルプルと震えていた。
「仕方ないだろ」
ルナは目に涙を浮かべてレオに懇願する。
「ヒ~~~ッ、許してッ!」
「この場で最適な兵器魔法はアレしかないだろう」
「ヤダヤダヤダッ!」
「まあ階段を下りて地下の都市遺跡エリアに到着してから判断しよう。俺だってできれば、あんな魔法は使いたくない」
右に左に曲がっている階段の死角から、動きの遅い魔物を魔法で狙い撃ちして倒しながら、四人は下りていった。
やがて、長い階段が終わって、ついに巨大な地下空洞に達する。
「ヒュ~。すげえ。これが鈍色の都ミルトンか。都市がまるごと地下にあるって聞いたけど、マジだったのか」
空洞の中に濃いねずみ色の金属製の家々が現れた。
家々の一つ一つが希少金属で建てられている。ベルナーが感嘆したのも無理はなかった。
しかしベルナー以外の三人は自分達が無数の魔物に囲まれていることを察知して身を固くする。
「おい! ベルナー! 感心してないで身構えてろ!」
レオとイザベラは魔力感知によって。ルナは人間を遥かに超える五感と六感によって。
自分達が危地に踏み込んでいることに気がついていた。
「え?」
「やっぱり……一万以上いるぞ。俺はとりあえず防御結界を張る。ルナとベルナーは魔物を近づけるな」
レオがそう叫ぶのと同時に遺跡の家々の窓や戸の闇から無数の赤い双眸が輝く。ミルトンラビットが群れをなして四人に迫った。
「げっ……何だこの数!」
驚いたベルナーにミルトンラビットが襲いかかる。ルナが横からその魔物の頸動脈を掻き切って蹴り飛ばした。
「ベルナー! 剣を抜いてレオを守って! レオがすぐに結界を作るから」
「わ、わかった」
一瞬呆けたベルナーであったが、魔剣ティルフィングを抜くと迫り来るミルトンラビットを旋風のようになぎ倒していく。
レオは防御結界を張りながら、ベルナーが魔法的訓練で作られた戦士だと再確認した。
基本的に肉弾戦をする戦士よりも魔法使いの方が高い戦闘力を有する。魔法は攻撃範囲も広いし、その威力は人を簡単に惨殺せしめるからだ。
だが、例外も存在する。魔法的な訓練で身体能力を開発した特殊な戦士だ。ヴァスコもルドルフからも魔法的な訓練で超常の力を得ている。
後ろの階段はすでに制圧済みで背後を取られることこそなかったが、ベルナーは前方や左右から無数のミルトンラビットが迫っても平然と倒していく。
魔剣を装備しているとはいえ、ベルナーが魔物を屠る数は獣人のルナを軽く凌駕していた。攻撃力はベルナーのほうが上だろう。
「よし! 二人とも防御結界を張るぞ!」
長年パートナーであるルナはともかく、ベルナーまでもレオの掛け声と見事に呼吸を合わせて後退してきた。
「光の砦!」
レオが両手を前に伸ばすと前方に光の壁が現れた。
障壁の外にいる無数のミルトンラビットはガンガンと光の障壁にぶつかって弾かれる。
光の障壁の内側に入ってしまったミルトンラビットはルナが即座に片付けた。
レオが辺りを見回す。
「とりあえず落ち着いたな」
斬り伏せたミルトンラビットの上に腰掛けてベルナーは大きく息を吐いた。
「はぁはぁっ。どこかだよ……まさかこんな数の魔物が群れで襲ってくるなんて思わなかったぜ」
「そうですね。私も全滅するんじゃないかと思いました。レオ様に強力な結界を張っていただいたから何とか命は助かりましたが……これでは撤退するしかないでしょうね」
「これだけ魔物が溢れていたら、可哀想だが地下で駐屯していた衛兵は一人も生きていないな。ならこの数の魔物を一瞬で片付ける方法がある」
レオはそう言って不気味に笑う。レオはこの状況を乗り越える手段を持っている。ただしそれをすれば、恐らくルナとベルナーの引きつった顔が見えるだろうとレオは可笑しく思ってしまった。
普段は気が重くなる手段なのだがベルナーがいるからか笑える余裕が生まれた。
「どんな魔法だよ! そんな魔法あるわけねえだろ! この数、千や二千じゃないんだぞ!」
ベルナーは反論して怒鳴ったが、その横でルナは耳を塞いで身を丸くしてプルプルと震えていた。
「え? ルナちゃん?」
「怖いよ~怖いよ~」
「気の強いルナちゃんがこのビビりよう……マジでそんな魔法あるの?」
「あるぜ。お前がアレに耐えられたら使えるんだけどな」
「へっ?」
レオは自分の服の袖をまくる。そして腕を何やらアーティファクトの器具で……
ルナはそれを見て目から涙を零している。
ベルナーも二人のただならぬ様子を見てカチカチッと歯を鳴らしていた。
「さあ、お前達も早く」
レオが手に持つアーティファクトは、液体が入った試験官のような形状で先端には針がついていた。針の先からはピュッピュと液体が飛び出てくる。
それはベルナーとルナからは邪悪そのものに見えた。
◆◆◆
「イザベラさん さっき教えたやり方で五秒数えて内側から結界を解いてくれ」
「はい! 5、4、3、2、1……0!」
イザベラの合図で光の障壁が砕け散る。それと同時にレオ達にミルトンラビットが殺到した。
レオが兵器魔法の魔法名を唱えた。
――無音の霧。
その瞬間、万を数えるミルトンラビットは声も出さずに口から泡を噴いて次々に倒れていく。
異様な光景だった。
万を数えたミルトンラビットの全てが倒れ、無音の世界が構築された。
「マ、マジかよ……何だよこの魔法……」
ベルナーが呆然とつぶやいた。
「……」
レオは答えなかった。ウィルスの知識がない人間には分からないと思ったからだ。
無音の霧はレオが生物兵器の発想から開発した兵器魔法の一つだ。
アルケミストは素材の性質を魔法で強化してアーティファクトを作る。ウィルスの毒性と即効性を極度に強化して噴出する必殺の対生物魔法。それが無音の霧。
難点は当然、人にも効いてしまうため使用には細心の注意が必要で、使用場所も極度に制限されることだった。
では何故、この猛毒のウィルスの只中にいたレオ達は平気だったのか?
「もし、俺もさっきのチュウシャでワクチンとかいうのを体に入れてなかったら……こいつらみたいに死んでたの……?」
「ああ、絶対にな。無音の霧からは逃れられない。ベルナー、半べそかいてたけど注射を打っといて良かったろ」
「お前、こんなもん地上で使うなよ」
「大丈夫。ウィルスは日光に当たれば即座に死滅するようにしてあるから、昼間は外では使えないよ。屋内用の魔法だ。それに屋内でも数分でウィルスは完全に死滅する」
レオはこの魔法をルドルフにも隠しているが、ベルナーには何故か素直に魔法の弱点まで話してしまう。
レオは今もどこかで自分自身の力を恐れている。
現に無音の霧を目の当たりにしたイザベラは驚愕の表情を浮かべていた。
ベルナーからも恐れられるのではないかという不安が、レオの中にはあったのだ。
「そっか。じゃあ安心だな。魔物もいなくなったし安心して探索できるぜ。サンキュー」
ベルナーはそう言うとミルトンの都市遺跡の中に入っていった。
あまりにあっけらかんとした様子に、レオもすぐにいつもの調子を取り戻した。
「お、おい! 気をつけろよ! 生物系以外の敵もミルトンにはいるんだからな!」
ベルナーには確かに皇帝の皇子としてのカリスマ性があったのかもしれない。
「へ~、ここがミルトンかあ。スゲーなあ」
ベルナーはキョロキョロと地下遺跡を眺めている。
「一体どれだけでかいんだよ。この地下空洞は」
「まあ、都市が一個、丸々入ってるんだからな」
レオが適当に相槌を打った。
「え? マジ?」
「そう言われてる」
確かにレオが作ったダンジョン探索用の灯りのアーティファクトでも奥をまったく照らすことのできない巨大空洞がそこにあった。
「何で地下に都市なんか作ったんだろうな?」
「……」
レオは物思いに沈んでベルナーの疑問に答えなかった。代わりにイザベラが考えを口にした。
「ひょっとして元々は地上にあったのではないでしょうか? 長い年月で地下に埋まったとか?」
「でもよ……そしたらこんな地下の大空洞に都市がスッポリ入るかね?」
「そー言われればそうですね」
イザベラはほっぺたに人差し指をついて首をかしげた。考える時の彼女の癖らしい。
「じゃあ、もともと地上にあって地下に移動したんじゃないか?」
ベルナーが閃いたように言うが、今度はルナが反論した。
「いくら古代人でもそんなことできないよ」
先ほどからずっと考え込んでいたレオが重々しく口を開いた。
「いや、イザベラの考えもあながち間違ってないかもしれない」
「え?」
「たとえば、この家に使われている金属。赤銅なんだけど転移魔法がしやすい性質が付与されているようだ」
レオがそう言うとベルナーが大声をあげた。
「この家に使われている金属って赤銅なの!? 金が混ざってる!?」
「ああ、そうだよ。そんなことより」
レオの説明を遮ってベルナーが食いついた。
「だってねずみ色じゃん」
「古くてほこりかぶってるからだ。磨けば光るよ」
「マジかよ! スゲー! イザベラ、削って持って帰るぞ!」
「お前、本当に皇子か!?」
ベルナーは魔剣でその辺の家を削り始めた。
呆れるレオにルナが声をかけた。
「レオはさっき何を言いかけていたの?」
「ああ、そうだった忘れてた。もし本当に地上にあった都市を地下に転移させたのなら何故かってことだよな……」
「レオはどうしてだと思うの?」
「……」
レオは少し黙りこくった後にボソリと言った。
「分からないけどパッと思いつくって言うか、知っていることで思いついたことは核……」
「カク?」
「核戦争とか」
レオとルナの話にイザベラも入って来た。
「カク戦争とは高度な魔法による最終戦争でしょうか?」
卓越した魔法文明を誇った古代マドニア帝国は最終戦争で滅んだという説もある。
「核による戦争かどうかはわからないけど……核戦争のようなもので滅んだかもしれない」
「その戦争では先ほどの無音の霧のような恐ろしい魔法が使われたのでしょうか?」
レオは答えることができなかった。イザベラが口を滑らせたという顔をする。
「す、すみません。私のような下級の魔法使いには、あのような魔法は原理すら分からなかったので」
イザベラが下級の魔法使いであるはずがない。むしろこの年齢の魔法使いとしては上級に位置しているだろう。
しかし、レオの兵器魔法は地球の知識を応用している。仕組みが分かるはずはない。
イザベラの言うとおり、レオが駆使する兵器魔法――衛星次元魔法や無音の霧は前世での核兵器や生物兵器に通じる恐ろしい大量殺戮魔法だった。レオは復讐のためだったとはいえ、裁きの日に多くの人の命を奪ってしまったことを悔いている。
古代マドニアの末路がレオに重くのしかかった。
「おい!」
ベルナーが魔剣の腹でイザベラの後頭部を叩いた。
「痛た! 何するんですか?」
「お前も赤銅を削り取るのを手伝うんだよ!」
ベルナーはイザベラの腕を引っ張って近くの家を、また削りだした。
レオは冷や汗をかいている。
「レオ、大丈夫?」
「あ、あぁ。ルナ。大丈夫だよ」
レオは少し休まなければならなかった。
◆◆◆
「ウッヒッヒ。取ったぜ取ったぜ。これだけあれば一万ダラルはあるんじゃねえか」
ベルナーのニヤケ面を見ているとレオは大分楽な気分になってきた。
「お前、それ持っていくつもりか?」
「当たり前だろ?」
「そんなに持っていたら重くて動けないだろうが。置いてけ!」
「何でよ。もう魔物なんていないし、後はゆっくり遺物を探せばいいだけだろ。お前の魔法のお蔭だよ」
落ち着きを取り戻したレオがゆっくりと立ち上がる。
「まだ極めつけの魔物がいるよ」
「え? そうなの」
「ああ、ガーディアンゴーレムっていうのがいる。他にもオートソルジャーがウヨウヨ。アイツらには……無音の霧も効かない」
「あの魔法も無敵じゃないんだな」
「生物系の魔物以外には効かないんだ」
「ふ~んそうなんだ。じゃあ残りは俺に任せとけよ。魔剣で真っ二つにしてやるぜ」
ベルナーはそう言うとレオの制止も聞かずにどんどん奥に行こうとする。
「おい、ベルナー! あんまり離れるなよ!」
「ベルナーっていつもああなんですか?」
ルナがイザベラに聞いた。
「いえ、いつもより楽しそうですよ。きっとレオ様やルナ様が一緒にいるからだと思います」
レオが顔をしかめる。
「はあ? なんで俺らがいると楽しそうなのよ……」
「ベルナー様は皇宮に友達がいませんでしたから。後継者と目されていた時も、まったく注目されなくなった後も、気の置けない本当のご友人が一人もいませんでしたから」
イザベラもそう言い残してベルナーの後を追った。
その距離が離れてからルナが笑う。レオは不機嫌に応える。
「何がおかしいんだよ」
「だってレオも友達いないでしょ?」
「ルナだって、友達いるのかよ」
ルナが胸を張る。十年前とは違って豊かな膨らみが強調された。
「チギの森に一杯」
「あっそうか……確かにルナは一杯いるな……」
レオはルナが唯一の友達だと思っているが、ルナの方は自分以外にもたくさん友達がいるという事実に落ち込むレオ。
「チギの皆はレオのことを友達だと思っているよ」
そう言ってルナが微笑む。
「そうか……?」
「うん。それにベルナーも友達になったじゃない」
「うーん。まあ変なやつだけどな」
「きっと、学校に行ったらもっと友達ができるよ」
「そうだった。そういやルナと一緒に学校に行くためのアーティファクトの素材を探しに来たんだよな」
二人はベルナーの後を追った。
世界の各地に点在するマドニアの古代都市には、どこも宮殿と呼ばれる建物がある。古代アーティファクトをはじめとする多くの貴重な遺産はその中に眠っていた。
四人が向かっているのもミルトンにある宮殿なのだが、移り気なベルナーは何か面白いものがあるとすぐに立ち止まってしまうため、歩みは遅かった。
今も小さな人工物に引っかかっていた。
「これは何だろう?」
レオはこの物体に近いものを地球で見たことがあり、おおよそ見当をつけていた。
ルナやイザベラは、もちろん分からない。
「さあ」
「なんでしょうね?」
レオはその人工物を立たせると、埃を払ってまたがった。
「これはバイクかもしれないな」
ベルナーがレオのことをポカンとした顔で見つめる。
「バイク?」
「乗り物さ。こうやってまたがると動いてくれる」
「馬みたいに?」
「ああ、そうだ。人工の馬だ。これは魔法力で動くんだろう。仕組みは詳しく調べないと分からないけど」
「これが? まさか冗談だろう? 古代遺跡の道具の仕組みを解明して大儲けした奴もいるけど、そんなに簡単にすげえアーティファクトが見つかるわけないだろう
「多分……間違いない……だってホラ」
レオが指差したハンドル部には小さな椅子のようなものがついていた。
「ん? これが? こんな小さな椅子に人間は座れないぜ? やっぱり何か他の道具か宗教的な彫刻じゃないか?」
「いや、これは子供を乗せるための座席だ。ほら……取り外しできる。子供ができればつけて、大きくなれば外せる」
「あ、本当だ。確かに子供の足を通すのちょうど良さそうだな……」
「お母さんが子供を連れて買い物に行く時に使うんだろう」
「なるほど……そうかもしれねえ……」
二人とも母親には複雑な思いがある。
「速いのか?」
「馬なんかより速いし、ずっと長く走れるだろうな」
「そうか。お前もこれで大儲けできるかもな?」
「へ? なんで?」
「そのバイクって乗り物はマドニアの文献にあるんだろ? お前が復活させたら大儲けじゃんか」
ベルナーはバイクのことをマドニアに関する文献に書いてあると思ったようだ。
しかし、レオはそんなものを復活させるためにここにいるわけではない。
「俺の目的はカネ儲けじゃない。緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)だ」
「何だそれ?」
「封印の間と宝物の間を守っているガーディアンゴーレムの心臓部に使われている」
「ということは、もちろんそのガーディアンゴーレムとかいうのを倒すんだよな?」
「そうだよ」
ベルナーは怪訝そうな顔をした。
「スゲー宝が眠っている部屋を守っているゴーレムをだよな?」
「お前、話を聞いてたのか? それにゴーレムは……」
「ゴーレムさえいなくなれば、安心して入れるだろう?」
「だから問題はゴーレムじゃなくて部屋の中身の方だ。安心して開けたら半分の確率で地獄門なんだよ。お前もエインシャントドラゴンの話を聞いたことがあるだろう?」
マドニアの古代遺跡にはミルトン以外にも天空城塞などもあった。
力を得ようとした大国の軍によって天空城塞の封印の間は開けられてしまった。
その中から出てきた〝災厄〟がエインシャントドラゴン。
古代人はなぜ宝物とともにこのような魔物を大切そうに保管したのかは明らかになっていない。
ともかくエインシャントドラゴンは地上に破壊を撒き散らした。
口から吐く火球は、超長距離からいくつもの街を灰燼に帰した。もちろん街には、高名な魔法使いや危険な魔物を狩ることで名をはせた勇者もいたが、無力な市民とともに命を落とした。
エインシャントドラゴンにとっては市井の民も勇者も関係なく、薙ぎ払う対象でしかなかった。
「そりゃ、もちろんあるけど」
「エインシャントドラゴンは封印の間から出てきたんだよ」
「え? そうなん。なんでそんなこと知ってるの?」
この災厄に立ち向かったのは他でもないレオの祖父『ジェームズ・コートネイ』、言い換えればルドルフの父であった。
「……ともかく、そうなんだよ」
「ふーん。まあ気をつけるよ」
レオ一行はミルトンの奥へと歩き続ける。
四人は遺跡都市の建造物が増えて密集している方向を目指して歩いて行く。そうすれば都市の中心分に行き着くはずだと考えたのだ。
途中、ストーンドッグという無音の霧が効かない敵が襲ってきたが、数も少なくさしたる苦労もない。
しかし、地下都市はともかく広大だった。四人は魔物には苦戦しなかったが、果てしない遺跡の探索に手を焼いた。
「どこまで続くんだよ。レオ……方向合ってんのか?」
「方向が合ってるかどうかは分からんが、魔法で紙にマッピングしてるから同じ所を歩いているってことはないよ」
「でも、もう十時間ぐらい歩いてるぞ」
「信用できないなら一人で宮殿を探せよ」
レオとベルナーもさすがに苛立ちを隠せない。
そんな中、ふいにルナが前方を指差した。
「ねえレオ、あれ……」
付近の住居に隠れてまだ全貌は見えないが、明らかに一般の住居とは違う建造物が姿を見せた。
「ほ、ほら見ろ」
「うお……すまん。確かに宮殿って感じだな」
ベルナーは手を合わせて謝った。
「んじゃ、早速、乗り込もうぜ!!」
次の瞬間には駆け出しているベルナーを、レオが制する。
「待て待て」
「何だよ?」
「地下空洞の中だから気がつかなかったかもしれないけど、もう夜も更けている。ここでキャンプをしよう」
ベルナーはまだまだ疲れていないと屈伸して主張したが、さすがにイザベラの顔からは疲労の色が見てとれる。
宮殿内部にはガーディアンゴーレムが控えていることもあり、やはりレオ達はテントを張って休息を取ることにした。
レオは慣れた手つきでエア遊具のテントを膨らませる。
「おー最新型のテントじゃないか。コレいいよなあ。買いたかったんだけど、帝国からの給金じゃ無理でさ」
「そんなに欲しけりゃ遺跡を出たらやるよ」
買えないのはこの男が浪費するせいではないかと思わないでもなかったが、レオはテントの提供を約束した。レオの家には試作品が腐るほどあるのだ。
「マジかよ! サンキュー!」
ベルナーはこの大人気アーティファクトをレオとルドルフが作ったとは露ほども思っていない。
「初めてこのアーティファクト使ったけど、ホテルのベッドよりも寝心地いいんじゃねえか?」
ベルナーは子供のようにテントの中で飛び跳ねていた。
「お前はガキか。静かにしろ」
ベルナーが大人しくなる。しかし、それはレオに注意されたからではなかった。
「寝床が確保できたら腹が減ったぞ」
イザベラがバックパックから食料を取り出した。食料の運搬は後衛の彼女の係になっている。
「パンとハムを持ってきました。これで夕食にしましょう」
パンとハムはこの世界の旅人の基本だった。
「おー、美味そうだな。けど量が少ない。ミルトンラビットって食えないのかな?」
ベルナーがさらっととんでもないことを口にした。
これにはレオも顔をしかめる。
「おいおい、やめとけ。魔法で強化したワクチンを打っていても、あんなもん食ったら腹壊すかもしれねーぞ。それに、そんな実験はしてない」
レオは無音の霧を完成させるためにネズミなどで何度も実験をしている。理論上は既に毒性は完全に消えているはずだった。しかし、さすがに無音の霧で殺した生物を食べたことはない。
だがベルナーはレオの制止も聞かずに、筋肉ではち切れそうなミルトンラビットの前足を切り落として持ってきた。手際よく皮を剥いで焼き始める。
「お前、本当に食うのか?」
「ああ」
「まあ理屈としてはもうウィルスは死んでいるけど。どうなるかは保証できないぞ」
「そうかあ? 火を通せば大丈夫だろ」
辺りに肉が焼ける良い匂いが充満する。
「お前らは本当に食わないの?」
三人とも首を横に振った。
ベルナーは良い感じに焼けた前足にかぶりつく。
「うんめー!! マジで美味いぞ! お前らも食えよ!」
「そ、それなら少しだけ」
ルナが目を輝かせて肉の方に吸い寄せられていく。レオが手首を掴んで止める。
「アイツにもう一本ワクチンを打たないでも済むか数時間様子見てからにしろ。注射は嫌だろ?」
ルナは激しく頷いた。
◆◆◆
結局、ミルトンラビットを食べたベルナーは何ともなかったようで、テントの中で上機嫌に取りとめのない話をしていた。
外ではルナがミルトンラビットの足を焚き火にかけてジッと見ている。
「なあ、お前とルナちゃんって何なの? 姉弟には見えないけど」
「ベルナー様!」
イザベラがベルナーの不躾な質問をたしなめる。
しかし、レオがため息をついてから話そうとすると、イザベラも興味があるのか身を乗り出した。
「姉弟……さ。同じ家に住んでいる」
「でも見た目が全然似てないじゃないか」
「ああ、血は繋がっていない。ルナは親がいなくなって俺の親が引き取ったんだ」
「そうなのか」
獣人ということは隠しているが、それ以外は事実である。
イザベラがさらに直接的なことを聞いた。
「あの、レオ様とルナ様は恋人なんでしょうか?」
レオがその答えに詰まっているとベルナーがイザベラの頭を小突いた。
「痛っ」
「お前は突っ込んで聞き過ぎだ」
ずけずけと何でも聞くように見えるベルナーにも、彼なりの線引きがあるようだ。
「す、すいません」
「別に答えたくないわけじゃなくて。ルナのことは何と言うか複雑でさ。言葉にし難くて」
もちろんレオはルナのことが好きで、ずっと一緒に暮らしてきた。
けれどもレオはこの十年間、ルナの気持ちに気が付きながら、ミラの影をずっと追っていた。
家族を失ってから遠い記憶の中のミラ追うことで自分を支えていたのだ。ある意味、代償行動であったことはレオ自身も分かっていながら止めることはできなかった。
しかし、マリーと再開してからはレオは希望を取り戻しつつあった。
言うならば、人生の目標が自暴自棄のミラ探しから、仲間と共に家族を取り戻すことになったのだ。
それは心境にまで変化を与えたのか新しい友人を作ってルナとの関係まで話している。レオとルナは傍目から見ると恋人のように映るらしい。
まだ、全てを割り切れたわけでも、ミラを探すことを諦めたわけでもないが、それが正常というか健康的なことなのだろうとレオも思う。
「希望って大事なんだな」
「ん? どうした急に」
「あ、いや……」
「希望? ルナちゃんのことか?」
ベルナーが何か勘違いしたのかニヤけ面になる。
そういえば、俺は前世で友達とこんな話をしたことがあったのだろうか、などとレオが考えていると、テントにルナが入って来た。
「お肉、焼けたよ。レオも食べない?」
「あ、ああ……どうしようかな……」
急にルナが入って来てレオは動揺する。
「食って来いよ。俺はもう腹いっぱいだし」
「私もパンとハムで十分なので」
ベルナーとイザベラは断ったので、レオだけがテントの外に出て焚き火の前に座った。
「はい、どうぞ」
「ああ……ありがと」
肉を受け取ったレオは、ルナの顔を見て赤面してしまう。
「どうしたの?」
「いや別に」
十年間一緒に暮らしていた、それどころか地下室のベッドで一緒に寝ているルナを、今さら意識してしまっている。
「他人と関わらないと、そんなことすら分からなくなってしまうのかもな」
レオはそう独り言を漏らして笑った。
「もう! 何がおかしいの!」
「あ、ごめん、ごめん。食おうぜ、肉」
誤魔化(ご ま か)すために肉を口に入れた。
味は……悪くない。悪くはないが、物凄く硬い肉だった。
「美味し~! ねっ」
「あ、ああ。美味いよ」
ルナは幸せそうにミルトンラビット肉を頬張っていた。
◆◆◆
一行は地下都市ミルトンで一夜を明かし、翌朝早く出発した。
目的地はミルトンで一番大きな建物。
かつての王宮か領主の宮ではないかと考えられている施設だ。
しかしレオは、ひょっとすると宮殿というよりも高度な研究施設ではないかと疑っていた。
実際のところレオは古代文明の専門家ではないし、地球の文化とも異なっているので、その推測が正しいかどうかは分からない。
そもそもレオは遺跡自体にはそれほど興味がなかった。とにかく、他のマドニアの古代遺跡にも同じように存在する宮殿の封印の間と宝物の間と呼ばれる場所を見つけることだ。
そしてそこを守るガーディアンゴーレムの心臓部に使われている緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)という希少金属が回収できればそれでよかった。
低層の住宅群のある区画を抜けると、公園のような少し開けたスペースに出た。
いよいよ前方に大きな建物を捉える。
魔法のライトの明かりでは全景を見ることができない。
ベルナーが少し興奮したように指をさした。
「アレだな。アレがかつての王宮で間違いないだろう」
王宮かどうかは別として、遠目で見ても入口付近に人形のような魔物が施設を警備するように徘徊しているのが分かる。
その魔物の体表には長い年月の末に土埃が張りついていたが、いかにも無機物然としたなめらかなシルエットをしていた。オートソルジャーと呼ばれる人造の魔物だ。各地にあるマドニアの古代遺跡でも主要施設を守っている。
レオも歩みを止めた。
「オートソルジャーがいるということは、これが封印の間や宝物の間がある建物って可能性が高いな」
「よし! 斬り込もう!」
ベルナーが魔剣を抜いて意気込む。
「待て。入口のオートソルジャーは遠距離から片付けよう。あいつらは施設を守ってるから、あの場所から離れない。ここからなら一方的に攻撃できる」
「魔法攻撃か? 金属製っぽいし、ああいう手合には効果薄そうだけど」
「これでさ」
レオはバックパックから金属の棒を取り出した。組み立てていくと巨大な二股の銃のような形状になる。
「弩か? でも弓も弦もないな」
ベルナーの疑問にイザベラが答えた。
「風魔法や爆破魔法などで弦の張力を使わない矢や弾を発射する最新型のアーティファクトがあると聞いたことがあります」
レオはニヤリと笑う。
「半分正解で半分不正解。弾の射出に魔法を使うのは正解なんだけど俺の武器は電撃魔法と冷気魔法だ」
「へ? 電撃や冷気でどうやって弾を飛ばすんだ」
「電撃魔法の電磁誘導(でん じ ゆう どう)で弾を発射して、レールの摩擦熱は冷気魔法で冷却する。まあ原理は難しいから見てろよ」
レオは腹ばいになって伏せ撃ちの体勢をとる。発射物が放物線を描いて飛んで行く弓や弩の文化ではありえない射出姿勢だ。いや射撃姿勢である。
「え? お前何やってるのよ? そんなんでこの距離から当てられるか?」
「シッ黙って!」
ベルナーがレオに話しかけるが、それをルナが遮る。
数秒の沈黙。
空気そのものの振動を肌に感じるような鋭い発射音が響く。
ほぼ同時に金属と金属がぶつかって砕け散る音が遠くから聞こえてくる。
オートソルジャーが弾け飛んだ音だった。
「すげえ……」
「こんなアーティファクトがあるなんて」
ベルナーとイザベラが気の抜けた声を出す。
レオが一息つくと、シューッという音と共に二股の銃身から煙のような白い霧が立ち昇る。
「な、なんだその霧。まさか無音の霧みたいな毒じゃないだろうな」
ベルナーが慌てふためいて逃げようとする。
「言っても分かんねーだろうけど、銃身を冷気魔法で冷やしているんだよ。要はただの水。水蒸気だ」
「驚かすんじゃねえよ」
ベルナーがそう言ったと同時にレオは第二弾を発射した。
再び空気が震え、金属と金属がぶつかってはじけ飛ぶ轟音が響く。
「うわっ」
「うひひひ」
ベルナーが驚くのを面白がるレオ。
「くそっ、おめえわざとやってるだろ?」
「オートソルジャーを片付けてるだけじゃないか。相当強いらしいぞ。お前が切り込んでたら囲まれて死んでたかもな」
「んだとっ? 俺の魔剣の斬れ味を、うわっ!」
レオは銃身の冷却が済み次第、三射、四射、五射と次々に弾丸を発射していく。
二、三分後、やっと撃ち終えてレオは立ち上がった。
「ここからはもうオートソルジャーは一体も見えないな」
「お前、凄えアーティファクト持ってるのな……ひょっとしてそれ古代アーティファクトか?」
「あ、いや……これは自――」
レオは自作だと言いかけてやめる。だがイザベラはゴールデンジュニアの銘が入っていることに気がついた。
「それゴールデンジュニアの銘が入ってますよ。古代アーティファクトではないですけど、超高級アーティファクトじゃないですか。どうしてそんなものを?」
「まあ、そんなことはどうでもいいじゃんか。とっとと宮殿に乗り込もうぜ」
ベルナーはイザベラの肩に手を置いて、さっさと歩き出した。
「えええ? ベルナー様が最初に聞いたんじゃ?」
ベルナーはスタスタと宮に向ってイザベラがそれを追う。
ルナも早足で歩きながらレオに言った。
「ベルナーって帝国の皇帝の子供の癖にいい奴だね」
「馬鹿っぽいけど、そうかもしれないな」
「ベルナーが皇帝になればいいのにね」
「そんなに単純にじゃねえよ……確かに侵略国じゃなくなるかもしれないけど、あいつに国内を掌握できる力がなかったら、内乱が起こったり、別の悪い奴が実権を握ったりして結局皆が迷惑するんだ」
「そう……なんだ……人間って戦争が好きなんだね。いつものレオとお父さんのように平和そうにポヤーとしている人の方が私は好きだな」
クーデターを起こすなんて話をしてるのに、俺とルドルフが平和そう? 本当にそうだろうかと思うレオだった。
確かに、ルドルフはある意味では平和な研究者だったのかもしれない。その人生に何もなかったらの話ではあったけれども。
「すげー、粉々に吹っ飛んでるじゃねえか」
バラバラになったオートソルジャーの金属片を突くベルナー。
「ああ、超高速の金属が発射されているからな」
「ところでよ。ガーディアンゴーレムもオートソルジャーも古代技術で動くキカイとかいう奴なんだろ?」
「多分な」
「で、ガーディアンゴーレムの心臓部には緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)とかいう希少金属が使われてるんだよな」
「それは間違いない」
「ならオートソルジャーの心臓部にも希少金属が使われているんじゃないか?」
「まあ、価値は大分劣るが、青生生魂っていう金属が胸部から取れることがあるみたいだな」
「へ~。大分劣るのか。じゃあいいか」
イザベラが急に大きな声をあげた。
「青生生魂! 超レア素材ですよ。確か小指の先ほどの塊で十万ダラルはするんじゃないですか!?」
「おいおい、マジかよ!? 価値あるじゃねえか」
ベルナーが目の色を変えてレオの肩を掴む。
「うーん。そうだったかな~。俺はルドルフに貰ったり交換したりで、金を払って買ったことはないからな」
「貰っただあ? お前の家は一体どうなってるんだよ。地方領主ってそんなに儲かるのかよ~。いや、それはいいけど、俺は青生生魂を探すぜ。先に見つけたもん勝ちだからな」
「俺が倒したんじゃないか」
ベルナーは入口を守っていたオートソルジャーの残骸を漁りはじめる。
「ない、ないぞ~。ちくしょー!! どれもこれも上半身がぶっ飛んでるじゃねえか。良くても胸に大穴が空いてるし」
血眼になって高価なレアアイテムを漁るベルナーの姿は、やはり帝国の皇子には見えなかった。
「アホらし。施設の中に入ったらまだいるだろうから、自慢の魔剣で斬れよ。そしたら取れるんじゃねーの?」
「ベルナー、イザベラさん、早く行こうよー」
レオとルナは苦笑しながら宮殿内部に足を踏み入れた。
◆◆◆
ベルナーが建物の角を利用して出会い頭にオートソルジャーを斬り伏せた。
神代の時代に作られたとされている古代アーティファクト『魔剣ティルフィング』は金属製の戦闘人形をバターのように容易く両断する。通常の近接型の戦士では考えられないほどに戦闘はスムーズだ。
オートソルジャーはある程度接近すると、口から強力なレーザーを出して攻撃してくる。数十分前、ベルナーはその直撃を胸に受けて吹っ飛んだばかりだったが、やはり古代アーティファクトである『ネメアの鎧』のお蔭で命拾いしたところだ。
「青生生魂、青生生魂、無い、無いぞ!」
「さっきから言ってるだろうに百パーセント取れるわけじゃねえんだよ」
「次行くぞ! 次!」
ベルナーはズカズカと先に行ってしまう。
「またレーザー食らうなよ。顔に当たってたら死んでたんだからな」
レオはそう言ったが、実際のところベルナー自身の強さは尋常ではなく、古代アーティファクトの力とも相まって次々とオートソルジャーを斬り倒していく。
組み立てたままで持っているレオのレールガンも無用の長物になっていた。
簡単に両断されていくオートソルジャーだが、普通なら大都市の冒険者ギルドに所属する最高クラスの冒険者ですら苦戦する強敵だ。
レオはボソリと呟いた。
「ベルナーをここまで鍛えた魔法使いは誰なんだ?」
通常の戦士に魔法的な訓練を施すには手間も資金も非常にかかる。
魔法が主戦力になるこの世界の戦場において〝消耗品〟とも言える戦士にそのような処置が施されることは稀だった。
このような強化を経た戦士は場合によっては魔法使いのアーティファクト扱いをされることもある。
仮にも帝国の皇子であるベルナーに、一体誰が魔法的強化をしたのだろうか。
「それは……」
イザベラはそれが誰かを知っているようだが、何故か言葉に詰まっていた。
ベルナーが誰かの〝作品〟になってしまった経過は話しにくくて当然だろう。
「悪い。話せないなら別に」
「あ、いえ……私の……父なのです。私の父は帝国の臣下で、ベルナー様が皇子として扱われなくなった後に何か実験したようで……」
レオが想像していた以上の状況だった。いや以下と言うべきか。
「これまでの冒険で私は確信しました。レオ様を置いて他にベルナー様をお助けできる御仁はおりません。何卒、ベルナー様を――」
「おいおい。お前、レオに面倒なことを勝手に頼むなよ。それにイザベラの親父さんには感謝しているんだぜ」
気がつくと先行していたベルナーがレオ達の近くにまで戻ってきていた。
「お前を俺の家族にしてくれて、親父から見捨てられた後もこうして生きられるように鍛えあげてくれたんだ。恨むことなんかこれっぽっちもないぜ」
「ベルナー様……」
思わぬベルナーの告白によって、イザベラの目に涙が浮かぶ。
今までずっと一緒にいても、二人にはこういったことを言い合える機会がなかったのかもしれない。それはレオとルナの関係も同じであった。
傷ついてもお互いに支え合える二人がいる。それが四人になろうとしていた。
◆◆◆
建物の中を進み、遭遇したオートソルジャーを倒すうちに青生生魂もいくつか手に入った。
ベルナーも上機嫌である。
「ベルナー、青生生魂を一個分けてくれ」
「おう。売るのか?」
「いや、ちょっと指輪でも作ろうかと思ってさ」
「指輪ね~。あ、わかったぞ。女か?」
「ち、違う。魔力をコントロールするアーティクルだ」
違うと答えたが、レオの頭にはオルレアンの高給ホテル白鹿亭で出会った少女の顔が思い浮かんでいる。
「本当かあ~? ちょっとルナちゃんに聞いてみるか」
「ば、馬鹿! 止めろ!」
そうこうしているうちに、一行は大きな広間に辿り着いた。
荘厳な装飾を施された巨大な扉が二つ。その前に立ちはだかる巨大な金属製のゴーレムが二体。
通路の角からそれを眺める四人。
「アレが封印の間と宝物の間に間違いないな。ガーディアンゴーレムが二体いる。よし、斬り込むぜ!」
ベルナーが剣を構えて躍り出ようとするが、すんでのところでレオが止めた。
「やめろ、死ぬぞ! お前って奴は口を開けばすぐ〝斬り込もう!〟だな……」
「いけるさ。援護してくれ」
「ガーディアンゴーレムの防御力は高い。今までのオートソルジャーと同じってわけにはいかない。それに、一体を攻撃している間にもう一体が攻撃してくる。完璧な連携だ」
「じゃあどうするんだ?」
「ガーディアンゴーレムには倒し方がある。ゴーレムが二体いることには連携攻撃以外にも意味があるんだ。そこを突く」
レオは他の三人にガーディアンゴーレムの秘密を話した。
◆◆◆
ベルナーが通路の角から飛び出して広間のゴーレムの前に身を晒す。
「おーいガラクター! 侵入者だぞー!」
即座に、人間を遥かに超える巨大な金属の塊の頭部が光り、収束された魔力レーザーが発射される。ベルナーはそれを超人的な反射神経で躱しながら、通路を駆けてレオが待機している曲がり角の方に戻ってきた。
しかしオートソルジャーの魔力レーザーとは威力が段違いだった。レーザーの直撃は避けているが、大気との接触によって周囲に拡散した魔力光がベルナーを焼く。
もし古代アーティファクトのネメアの鎧がなかったら耐えられないだろう。
「ぐわあっ。こいつはキツイぜ。一回で頼む!」
ベルナーは叫びながら迫るガーディアンゴーレムから逃げる。
そう、ガーディアンゴーレムは追ってくるのだ。同じ場所に留まって宮の入口を守っていたオートソルジャーとは違った。
これは二体一組の性質を生かした動きだ。一体が留まって封印の間と宝物の間を守り、もう一体が侵入者を始末するために追ってくる。
だが、それは二体のゴーレムの完全な連携が崩れる瞬間でもあった。
ガシャガシャと金属を響かせながら通路の陰からゴーレムが姿を見せた。
レオは通路に伏せてレールガンをいつでも発射できる体勢で待ち構えている。
ベルナーは横っ飛びでレーザーを躱しつつ、反対側の壁を蹴ってレオがいる通路に飛び込んだ。
ガーディアンゴーレムもベルナーを追って体の向きを変え、魔力レーザーで攻撃を仕掛けようとする。
ところが、通路の角にいるゴーレムは体の向きを変えることができない。
ルナとイザベラが床一面に捲いたトリモチに足を取られたからだ。
これはレオが全力で性質を強化したもので、ゴーレムの足をガッチリと固定し、動きを封じた。
ゴーレムの金属の体に超高速の弾体が次々にぶつかる衝撃音が響く。その度にゴーレムの重厚な装甲が剥がされていった。
ついにゴーレムの右足が吹き飛び、斜めに崩れ落ちる。
それでもレオは休みなく追撃弾を撃ち込み続ける。レールガンの魔法冷却による水蒸気で辺りが白く霞んだ頃、やっと射撃が止んだ。
ようやくガーディアンゴーレムが動作を停止し、ベルナーが安堵の息を零す。
「その変なボウガンも凄いけど、あのゴーレムも凄いな。二匹をバラバラに倒せばいいってことは分かったけど、あんなヤバイ魔法を遠くから発射してくる上に、くっそ硬い魔物なんて、一匹ずつだって倒せる気がしないぜ」
緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)がガーディアンゴーレムの心臓部にあるということをレオが知っているのは、以前ゴーレムから採取していたルドルフから聞いたからだ。
ゴーレムの金属は魔法に対する防御力が高いようで、ルドルフも得意の魔法が通じずに苦戦を強いられたようだ。彼は武器を遠距離から雨のように飛ばしてやっと倒したという。その武器もベルナーの魔剣ほどではないが十分に伝説級の武器だった。
よくそんなものを何十本と用意したものだとレオも思う。
「さて倒したら急いでやらないといけないことがある」
「何を?」
「心臓部の装甲を剥がして緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)を取り出すんだ」
「急ぐ必要があるのか? 俺は少し休みたいぜ。また肉体労働させられそうな気がするからな」
ベルナーが体にポーションを振りかけながら文句を言う。
「必要はある。悪いけど休みは後にしてくれ。何故なら緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)を取り出さない限り、しばらくするとゴーレムは再生されてしまうんだ」
「そりゃ……急いだほうが良さそうだ」
「まず残骸を引っ張ってこっちの通路に引き入れよう。もう一体のゴーレムの死角に移すんだ。そうしないと遠距離から攻撃されるからな。で、お前の馬鹿力が必要なんだ。俺じゃ動かせないからな」
「分かったけどよ……トリモチはどうする?」
レオは液体の入った瓶をベルナーに投げる。
「その溶剤でトリモチが剥がれるよ」
「なんだか、わざわざ攻略法が用意されているみたいだな。二体のゴーレムをバラバラにして倒せとか。倒したら心臓部を奪えとか」
「そういうことなのかもしれない……」
「へ?」
ベルナーが言ったことはルドルフから聞いた時点でレオも思ったことだった。
あまりにゴーレムの攻略法が確立されすぎている。まるでその攻略法を突けと誘っていっているように。そしてそのゴーレムに守られているのは災厄と宝物。
これは古代人の意図があるのではないか?
「いや何でもない。早く緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)を取ってきてくれよ」
「まったく、危険な仕事は俺にやらせるんだからな。遠くから溶剤をぶちまけて~、よっと」
ベルナーが残ったゴーレムの足を引っ張って、もう一体のゴーレムの通路に引き入れる。残骸とはいえ巨大な金属の塊だ。普通の人間ではまったく動かせないだろう。
軽々と運べるのは強化されたベルナーの力ゆえだ。ベルナーを魔法強化した魔法使いの実力が窺える。
ベルナーがゴーレムの残骸の胸部に魔剣を突き立てる。
「うお。なんだこりゃ!」
ベルナーはゴーレムの胸部を魔剣で開いて驚嘆の声をあげた。
他の三人も残骸が完全体のゴーレムの死角に入っているので、安心してベルナーのもとに歩み寄った。
「火のようにゆらめいて赤く輝いて……綺麗ですね」
「しかもこれ、浮いてるよ? どこにもくっついてない」
イザベラとルナが不思議な金属を好奇の目で見ている。
「これがその緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)か」
「ああ、魂さえも転移させるアーティファクトの素材になる」
「はあ? 魂?」
「あ、いや……何でもない。ともかく――」
猫と魂を入れ替えたルナと一緒に学校に通うという目的を実現させるためのアーティファクトの素材が目の前にあった。
そういえば……ベルナーと分け前の話をしていないことをレオは思い出す。
「俺とルナはこれが目的でここまで来たんだ。ベルナーとイザベラさんには悪いけど、これは貰っちゃっていいかな。後で金は払うからさ」
「よく分かんねーけど、それが目的だったんだろ? 俺は構わねえよ。オートソルジャーから何個か青生生魂を取れたしな」
存在感があるので大きく見えるが、緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)は取り出すと親指ほどの大きさだった。
レオはそれを大切にしまった。
◆◆◆
レオが目的の素材を手に入れたことを見て、ベルナーが意外な提案をした。
「さてレオは目的を果たしたんだろうし、これで一旦帰るか?」
ベルナーはきっともう一体のゴーレムも倒したいなどと言い出すのではないかとレオは思っていたが、そうではなかった。
最初は古代アーティファクトを見つけたいと意気込んでいたベルナーだが、かすっただけとはいえゴーレムの激しい攻撃を受けてもう懲り懲りなのかもしれない。
もし、ベルナーがもう一体のゴーレムを倒したいと言い出したら、レオは反対しなければならなかった。
ゴーレムが真に守っているものは宝物ではなく災厄なのだ。
「いや、このまま帰っちゃダメだ。もう一つだけやることがある」
「へっ?」
レオは倒していない方の一体のゴーレムの視界に、緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)を抜かれて残骸となったゴーレムの一部を放り投げる。
それに気がついたゴーレムが残骸に寄っていく。
ベルナーもそれを遠くから眺める。
「な、何だこいつ? 壊れた方のゴーレムを修理しているのか? お、おい! レオ危ないぞ!」
レオが壊れていないゴーレムに近づく。しかし攻撃はされない。近づいてもゴーレムは残骸を修理し続けている。
「これが半永久的に完全な形でガーディアンゴーレムが存在する理由さ」
イザベラが疑問を口にした。
「なるほど。もし一体が損壊したらもう一体が直すのですね。けど緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)は?」
イザベラの言うように残骸を修理しても、もはや緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)はその心臓部にない。
レオが説明した。
「それが不思議なところなんだ。壊れていないゴーレムが自分の緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)の一部を移植する。そうして何年か経つと、壊れたゴーレムも完全な緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)を持って復活するんだ」
「へ~。ゴーレムもずっと二人で一緒にいるんだね」
ルナにはゴーレムが生物のように思えたのかもしれない。
「お、そろそろ。緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)の移植が始まるみたいだぞ。まあ、残りの一体を倒すなら今が最大のチャンスらしいんだけどな」
レオがゴーレムの最後の攻略法を言い終わるや、黒い影がゴーレムに走り寄った。
影は勢いそのまま大剣を振り下ろす。
――影はベルナー。振り下ろしたものは魔剣ティルフィングだった。
自分の胸部から緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)を今まさに取り出そうとしたゴーレムの腕を切り落とし、返す剣で頭部を両断した。
「おい! ベルナー!? 何するんだ!」
レオが叫ぶ。
「え? お前、このチャンスを狙ってわざわざ修理させたんじゃないのか?」
ベルナーの動きはやはり尋常ではなかった。古代アーティファクトの剣を振るったとはいえ、レオがレールガンで何度も撃って無力化したゴーレムを斬り伏せたのである。
「やめろ、ベルナー! そうじゃない! 緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)を胸部に戻せ!」
「ダメだったのか? 腕を切った時にどっかに吹っ飛んでいっちまったぜ。後で探そう」
「いいからすぐ探して戻せって!」
「そ、そんなに怒るなよ……まあやってみるけど」
緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)は浮く上に輝いている。ベルナーがすぐに見つけた。
「お、あったぞ」
レオは無言でベルナーの手から緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)を受け取り、ゴーレムに戻そうとするが……
「ダメだ。戻らない……。お前、何考えてんだよ」
「だってよお……簡単に取れるチャンスがあるなら、俺も緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)は欲しいぜ?」
「ガーディアンゴーレムはその名の通り、冒険者がおいそれと封印の間を開けないようにする守護者なんだよ」
ガーディアンゴーレムは宝物の入手を阻む邪魔者としてではなく、誰かが封印の間を開けて災厄を解き放ってしまわないように守護するものとして、残しておく必要があるのだ。
だが、レオとしても一個目の緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)を気前よく譲ってもらった負い目もあって、それ以上は強く言えない。
二個目を得るチャンスがあるなら欲しいというベルナーの気持ちも分かる。
それに、ゴーレムはいなくなってもまだ多数のオートソルジャーがいる。その辺にゴロゴロいるオートソルジャーですら、レオや古代アーティファクトを持つベルナーでもなければ倒すのは至難の業なのだ。守護者が全くいなくなったわけではない。
「まあ、仕方ないか……」
「悪い悪い。ところで、これで簡単に宝物の間にも封印の間にも入れるようになったよな? へへっ。どっちが宝物の間なんだろうな?」
レオはベルナーを睨みつけた。
「宝物の間も封印の間もまったく区別がつかない。二分の一の確率で地獄が溢れるぞ。話聞いてなかったのか?」
「ハハハ。冗談だよ、冗談。俺って運悪いし、二分の一なんかとても当てられる気がしないわ」
エインシャントドラゴンのことはレオもあくまで話で聞いているだけだ。心のどこかでは衛星次元魔法をはじめとする兵器魔法ならば勝算があるのではないかと思っている。
「ともかく帰ろう。目的の素材も手に入ったしな」
四人は元来た道を引き返す。
やっと陰気な地下から地上に出られるという解放感で、皆少し気が緩んでいた。
ミルトンの宮殿の入口に近づいてきた頃、ベルナーが素っ頓狂な声をあげた。
「あ~~しまった!」
レオはベルナーがまた何かやらかしたのかと、呆れて聞く。
「どうしたんだよ?」
「ない! ゴーレムに魔法の砲撃をされた時に青生生魂を入れた布袋を落としちまったみたいだ」
「えええ? マジかよ。もう戻るの面倒だな」
「なら、ちょっとひとっ走り行ってくるから、お前らはここで少し休んでいてくれよ」
「一人で大丈夫か?」
「俺は魔剣を持ってるんだぜ? 大丈夫だ。ちょっと行ってくるわ」
走り去るベルナーに何故か一抹の不安を抱くレオ。
だからといって、このような虫の知らせに適切なリアクションを起こせることは極めて稀だ。
この時のレオもそのまま……ベルナーが走り去る姿を見送るだけだった。
■10
「あったあった」
封印の間ある広場に繋がる通路で、青生生魂が入った布袋を見つけるベルナー。
だが、どうしても二つの扉に目がいってしまう。
「片方の扉から出てきたのはエインシャントドラゴンか」
命を賭して古の龍を倒したジェームズ・コートネイは不動の伝説になった。
もう片方の扉から出てきたのは今もフランシス王国の国宝になっているサジタリウスの矢と弓だ。
「どっちに転んでも俺の皇位継承にはプラスになるに違いない。って……自分で厄災を起こして、自分で解決したって意味はねえよな」
そのまま立ち去ろうとした……が……。
ベルナーは強い男だった。明るく快活で細かいことを気にしない性格。
だが、どんな強い男でも弱点はある。いや強い男だからこそ弱点があるのかもしれない。
ベルナーに幻覚を見せた〝何か〟は訪れた四人のなかでベルナーこそ誘うべき人間だということを見抜いていた。
封印の間を離れようとした瞬間、ベルナーの脳裏にフラッシュバックがおこる。
「くっこんな時になんだ? ……幻覚か」
それは彼の深層意識が見せた幻だろうか? ベルナーの目の前には死んだはずの母親の姿があった。
目は落ち窪み、頬はやつれ、かつて皇帝から女神と讃えられた美貌の面影は欠片もない。しかし、紛れもなく彼の母親の顔であった。彼の記憶に残る、死に瀕した母親の最期の顔。
「必ずお父様の跡を継いで立派な皇帝になってね」
それが彼女の遺言だった。そしてベルナーがこの世で叶えたい唯一の望みでもあった。
どんなことをしても、母と、そして自分という存在を、父に認めさせる。
――必ず。
たとえどのような手段を用いてでも……
――皇帝に。
ああ、そうさ、やるに決まってるじゃないか……
ベルナーが気がついた時には観音開きの扉に手を置いていた。
「なにを考えているんだ。俺は……し、しまった」
手を離そうとしても扉はスルッと開いてしまう。まるで罠のように。
◆◆◆
「ちっ重そうな扉だったんだが、軽い。開いちまったぜ……」
開いた扉の中は祭壇のようなものがあるガランとした空間だけだった。
一体、封印の間と宝物の間、いずれなのか。
災厄を解き放ってしまったのかもしれない。そう思うと、ベルナーの背中に悪寒が走った。
彼は警戒して魔剣を抜き放っていたが、すぐに構えを解いた。
部屋の中からも外からもエインシャントドラゴンのような強大な化物の気配はない。そしてここには彼が期待していたような古代アーティファクトの宝はおろか、金貨一枚落ちていなかったからだ。
「宝物も……化物も……ないじゃないか」
ベルナーは手をかけていた魔剣をすぐに鞘に収めなおした。
「こっちは宝物の間で、きっと宝はもう誰かに運び去られた後だったんだな」
どうやら災厄を招いたわけではないらしい。
ベルナーは落ち込みつつも胸を撫で下ろす。
だがその時、彼はなにか黒いカビのようなものを吸い込んでしまった。
「ぶはっげっほごっほ。何だ? カビか!?」
ベルナーは激しく咳き込んでむせ返る。
「……あ~、それにしても埃っぽくて空気が悪い部屋だな。閉めきってたもんなあ。こんなところは早くオサラバするに限るぜ! ん?」
遠くからベルナーを呼ぶ三人の声が聞こえる。
「やべえ!」
ベルナーは部屋から素早く出て扉を閉める。
しばらくするとレオ達三人がやってきた。
「おい、遅いぞ! 何やってたんだ!」
不満げなレオに
「ああ、すまん。なかなか青生生魂が見つからなくてさ。でも、この通り見つかったぜ」
「お前まさか、扉を開けようとしたんじゃないだろうな?」
「いや。まさか……ハハ」
「ホントか? まあいいや。何も起きてないようだし、見つかったんなら早く帰ろうぜ」
四人は来た時のようにミルトンの廃墟で一泊だけして地上に出た。
地上へと続く長い階段を上り切ると、春の麗らかな日差しが四人を迎えた。
「いやー、やっと地上の空気を吸えるな」
レオは体を伸ばしながら、大きく深呼吸する。
だが、久々の地上の空気を胸いっぱいに吸い込んだのも束の間、レオ達は突然バッカドの軍に取り囲まれた。
「うわっ! なんだお前ら!」
レオ達は押し寄せた兵士達によって揉みくちゃにされてしまう。
悪事を働いたということで取り囲まれたわけでない。
歓喜とともに迎えられた。
ミルトンから溢れ出るモンスターを押し返して、再びミルトンの出入口をバッカド軍が抑える橋頭堡を形成したためである。
人々はたった四人で溢れ出るモンスターを押し返して無事に帰ってきたことは奇跡と口々に称えた。
どうやらミルトンに入る際に、もののついでというか、たまたまレオ達が命を救った結果になったヘラクレイオンの太守レオポルトが〝吹いてくれた〟らしい。
彼の言により、レオ達は――本人にはそんなつもりはなかったが――ミルトンを救った英雄ということにされていた。
レオポルトは溢れだした魔物を目の前にして相当に答えたのだろう。衛兵の数を三倍するらしい。英雄と吹いたのはレオ達を新しい兵長にしようという目論見もあったようだ。
名声が欲しいベルナーはその場で、帝国の皇子の一人だと名乗り出て、更に人々の注目を集めた。
ベルナーにとっては目立つのは都合が良いことだが、逆にレオは目立ちたくない。
ベルナーが皇子を名乗って衆目を集めたならばちょうどいい。今のうちに、とレオとルナは腰を低くして足早にその場から抜けようとした。
そんな中でも、ベルナーは目ざとく遠ざかるレオ達を見つける。ベルナーが気づいたのは、彼が本質的には名誉よりも友人を取る男だったからかもしれない。
「待てよレオ。俺の皇位継承を手伝ってくれるんじゃないのか? お前がどこに住んでいるのかすら俺は知らねえんだぞ!」
人波に呑まれながら遠くから叫ぶベルナー。レオも叫び返した。
「大丈夫! オルレアン魔導学院で会おう!」
「えええ!? お前もあそこの生徒を目指していたのかよ!」
「ハハハ」
レオは軽く笑った。しかしバッカド軍に囲まれるベルナーには聞こえなかっただろう。
だからもう一度叫んだ。
「お前も学校に行く前に近くにあるココの遺跡に来ようと思っただろ? 俺も同じさ!」
「……そうか! 学院でよろしくな~!!」
ベルナーの驚きと群衆の歓喜の声を聞きながら、レオとルナはルドルフの待つアングレ村を目指した。
◆◆◆
レオとルナはアングレ村に戻る街道を歩く。
春の暖かい日差しと柔らかい風が街道沿いの草木と二人をゆすっていた。
帰り道でルナは学校の話ばかりしていた。学校が楽しみで仕方ないらしい。
「でもルナはネコの体になって俺について来ることしかできないぜ」
「それでもいいもーん」
ルナにとって学校はただただ楽しいところという認識らしい。
「学校なんてそんな良いものじゃないんだけどなあ」
「でも同年代の友達が一杯いるんでしょ?」
「確かにそれはそうだけどさ」
ルナは獣人の村の友達を思い出しているのかもしれない。
「オルレアン魔導学院は特別なんだ。貴族の子弟と魔法エリートの学校だからな。きっと鼻持ちならない金持ちのガキや偏屈な魔法狂ばっかりに違いない」
レオの言葉に、ルナはつい小さく漏らしてしまう。
「それってレオのことじゃないのかなあ」
「ん? 何か言ったか?」
「ん~ん。何でもないよ」
ルナは笑顔を向ける。
「でもさ。ベルナーみたいな奴もいるじゃん」
「アイツは帝国の皇子の癖に純粋というか田舎者みたいだよな」
レオにとって、これは賛辞だった。
ルナはその台詞に満足したようだ。
「レオも純粋だよ。ちょっぴり鼻持ちならなくて偏屈だけどね」
「あ、言ったな!」
レオは怒ろうとしたが、ルナが腕に抱きついてきたことによって出鼻を挫かれた。
二の腕の辺りにプニョプニョという心地好い感覚があると、彼も怒るに怒れない。
二人はしばらくそのままくっつきながら歩き続けた。
やがて、アングレ村が近づいてきた。
ライオネット邸にはあと、一時間ほどで到着するだろう。
レオは半ば習慣的に衛星アーティファクトから我が家を確認する。
「あ、あれ?」
「どうしたの?」
「マリーだ……」
「え? マリーちゃん?」
「マリーが家の前にいるんだ」
ルナはちらりとレオを見てから、離れて服装を取り繕った。
彼女もマリーには少し遠慮があるようだ。
街道から外れてアングレ村の郊外に向かうと、ライオット邸が小さく見えてきた。
門の前には女性が佇んでいる。マリーだろう。
レオが衛星アーティファクトからその姿を確認したのは一時間も前だ。
つまりマリーはその間ずっと立っていたことになる。
「マリーちゃん優しいね」
「ああ。俺の妹だからな」
二人を待つマリーの姿はまるで恋人を待っているかのようにソワソワして落ち着きがない様子だった。
「マリー!」
「マリーちゃーん!」
レオとルナが呼びかけると、マリーも嬉しそうに手を振って応えた。
「レオー! ルナちゃーん!」
二人はマリーに小走りで駆け寄った。
「無理してまたライオネット邸に来たのに、レオもルナちゃんもアーティファクトの素材を取りに行っていないって言うから」
「それでずっと俺を外で待っていてくれたのか?」
レオが〝俺を〟待ってくれていたのかと問うと、マリーは大反論をする。
「は、はあ? 私はルナちゃんを待ってたの! それにお父さんが衛星の目で、二人がもうすぐ帰ってくるって言うから」
レオとルナは顔を見合わせて笑う。
「な、何よ」
「いや別に」
「むっ。素材は取ってきたの!? 緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)!」
マリーは照れ隠しに怒って、二人に旅の首尾と結果を尋ねた。
「ああ、これだよ」
レオは懐から緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)を取り出す。
指を離すと掌の上にフワフワと浮き、火炎のゆらめきのように朱く輝いている。
「ガーディアンゴーレムから採取するって聞いて少し心配してたけど、やったわね!」
ガーディアンゴーレムは人間がつけている魔物のランクとしてはS級とされている。S級とはルドルフのような人間はイレギュラーとして一般的には人間に倒す手段が確立されていないという定義である。
かつてレオとマリーとミラの三人で倒した三つ首ヒドラですらA級だった。
ちなみに手に負えない魔物はなんでもS級なので一口にS級と言っても、その範囲は広いのだが。
「私がいるから大丈夫だよ。マリーちゃん」
得意気に胸を張るルナを見て、レオは思わず少し笑ってしまう。
「まあ、今回は新しい壁役がいたからな。攻撃に専念できた」
「壁役? あ、ひょっとして女でしょ?」
マリーに疑いの眼差しを向けられて、レオは慌てて否定する。
「いっ? 違う違う。ベルナーとかいうお調子者だよ」
「あれ、イザベラさんって女の人もいたよね?」
ルナが無邪気に指摘してしまったために、レオはマリーに頬をつねられる。
「イテテ……別に何もないよ、誤解するなって!」
ともあれ、レオ達は無事に緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)を手にして帰宅したのだ。あとはこれをアーティファクトに加工するだけである。
レオはまだ扉の修理されていない玄関をくぐる。
「ただいまー」
「おかえりなさい」
中に入るとすぐにソフィアが出迎えた。マリーの引率役として一緒に来ていたようだ。家主であるルドルフだけがこの場にいなかった。
例によって地下の研究室に篭っているのだろう。
「二人ともお疲れでしょうし、積もる話もあるでしょうから、私がお茶でも淹れましょうか?」
ソフィアの提案で、皆でお茶にしようという話になった。
「お父さんは地下かな?」
ルナが聞くと、マリーが呆れた様子で肯定した。
「皆さんはゆっくりしていてください、私がついでに呼んできますから」
ソフィアがすぐに立ち上がって呼びに行ってしまった。
「ソフィア先生は地下室の場所知ってるのか?」
レオがマリーに聞いた。
「うん。実は昨日から来ていて。何度か呼びに行ったから」
「ライオット邸の秘密はバレバレか」
「でも大丈夫かしら……」
「何が?」
マリーはソフィアがルドルフのおかしな研究を見てドン引きしないかということを心配しているらしい。
「最近、ホムンクルスの研究にはまってるみたいじゃない。昨日、ご飯の時にお父さんを呼びに行ったら、ビーカーに目玉が一杯入ってて……びっくりしちゃった……」
「マリーと母さんが出ていってからホムンクルスの研究はずっとやってるぜ?」
「そうなんだ……」
「確かに気色悪いけど、魔法研究としてはそれほど珍しくもないジャンルだけどな」
「お父さんは何か成果を出しているの?」
「さ、さあ?」
レオはルドルフに自身の研究の助言を求めることは稀にあったが、ルドルフが行っている研究成果には興味がなかった。だから、マリーに聞かれてもよく分からない。
答えたのはルナだった。
「あんまり上手くいってないみたいだよ。よくホムンクルスの研究室でうんうん唸り声が聞こえてくるもの」
「衛星アーティファクトなんてとんでもないものまで開発しているのに、お父さんはどうしてホムンクルスの研究では成果を出せないんだろう」
マリーは首を捻っている。
レオには思い当たる節があった。彼が転生したミラを探すのに熱を上げたように、ルドルフもまたあえて難しい研究に没頭することで何かを忘れようとしているのではないか。
レオのもたらした概念だけを元に地球の科学を魔法的に応用してしまう大賢者ルドルフであっても、生命科学の分野の神秘はやはり難しいのだろう。
ややあって、ルドルフが欠伸をしながら地下室から上がってきた。
「やあ帰ってきてたんだね。研究に熱中していて気がつかなかったよ」
ルドルフの傍らに控えるソフィアの笑顔はどこか引きつっていた。地下で相当グロテスクなものを目にしてしまったに違いない。
「ところで緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)は手に入ったのかい?」
「ああ」
レオが懐からそれを取り出す。
「うん。魂を交換するアーティファクトを作るには十分な量がありそうだね。余ったら僕におくれよ」
「それは構わないけど、代わりに製作を手伝ってくれよ」
「ま、ルナちゃんのためだ。仕方ないね」
ルナは笑顔で礼を言う。
「ありがとう。お父さん!」
「余った材料が欲しくて手伝うだけだろ」
レオの指摘もまったく意に介さず、ルドルフは別の話題を振った。
「ところで緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)って管理料はいくらかかった? 世間ではコレにどのくらいの価値を見出しているのか興味あるなあ」
「管理料? あ……」
ミルトンの遺跡はバッカド国が管理しているため、発掘品があった場合は鑑定金額の二十パーセントを払わないといけない。払えない場合は〝預かる〟という名目で没収になるのが常だった。
当然、レオ達はそんな手続きをしていない。
「いや……実はミルトン遺跡から出てみたら凄い騒ぎで、俺達は英雄に祭り上げられそうになったんだ。目立ちたくなかったから、その場は知り合いになった冒険者に押しつけて逃げてきた」
「ええ? それって犯罪だよ。ドサクサに紛れて逃げたと思われたかもよ」
「うーん、ベルナー達にも正確な身元は言わなかったから足がつくことはないと思うけど、失敗したなあ」
これは後で分かったことだが、実はベルナー達はそのことでミルトンの警備軍に追及を受けていた。本来は犯罪として罪に問われるところだったが、魔物を押し返した功績もあったので、手に入れた緋緋色金(ヒ ヒ イロ カネ)と青生生魂を全て没収ということで許してもらったらしい。
ベルナーは帝国の皇族にもかかわらず、とことん金に縁がなかった。名誉は得たようだが。
■11
レオは再びオルレアンの街に入った。
彼がこの街を訪れるのは二回目だ。一度目はマリーに連れられて成り行きで。今回は目的があった。
オルレアン魔導学院の入学試験を受けるためだ。
試験は年に何回か行われているが、ソフィアの話によれば新学期の入学に間に合わせるには二日後に実施される試験を受けなくてはならないとのことであった。
つまりマリーと同じ一年生になるにはこの試験で一発合格する必要があるのだ。
「白鹿亭はどこだったかな。確かオルレアン中央通りの……あ、あったあった」
レオは約半月ぶりにレンガ造りの建物に入った。
入口では相変わらずホテルマンが愛想よく微笑んでいる。
たまたま前回と同じ部屋が空いていたので、レオはその部屋に宿泊することにした。
部屋の窓から見下ろせるオルレアンの中央通りは今日も人が多かった。
「良い眺めだな」
レオは何となしに衛星アーティファクトで道行く人をサーチしてみる。どうせまた該当条件ゼロだろうと高を括っていた。
「警戒範囲A。脅威レベルA以上。サーチ」
衛星アーティファクトは即座に結果を知らせる。
==========
該当条件2。準警戒モードに移行しますか?
YES← NO
==========
「え? 二人もいる?」
レオは驚くと同時に少し安心する。
二人はレオの警戒範囲から外れて、どうやらオルレアン魔導学院の方に消えていった。
魔導学院の生徒だろうか。
「何だろう、逆に安心するな。これだけ人がいて俺に魔法でダメージを与えられる奴が一人もいないなんて、それはそれで不安になるところだった」
自嘲の笑みがこぼれた。
人間は不思議なものだとレオは思う。自分より圧倒的に強い者を前にすると怖れを抱くものだが、いざ自分がその強者になった途端、今度は自分だけが異質な者になってしまったのではないかと不安に駆られるのだ。
初めてオルレアンに来た時に、ビクビクしていたのが可笑しくなる。
早めの夕食を食べ終えたレオは、持参した筆記試験の過去問で試験勉強をする。
しかし、レオはすぐに過去問を解くことを放棄した。
「なんだこれ。簡単すぎて勉強する気にもならないじゃないか……」
後にレオは、それは間違いだったことに気がつくことになる。
コートネイ家の魔法理論は世間のものより大幅に進んでいる。そのため、魔導の最高学府と言って差し支えのないオルレアン魔導学院であっても、ルドルフやレオの魔法理論と比べれば一歩も二歩も後れを取っていた。
つまり、レオが正しいと思っている解答も筆記試験では決して〝模範的〟なものにならないのだ。
そんなこととは露知らず、試験勉強は必要ないと判断したレオは、テキストを放り投げてベッドの上でボーッと過ごしていた。
しばらくすると、コンコンと扉をノックする音が響いた。
「白鹿亭の者です。お風呂を沸かしに来ました」
「どうぞ~」
レオはウェステに違いないと思って居住まいを正す。
「失礼します。あっ」
扉から顔を覗かせたのは予想通りウェステであった。
前にレオが白鹿亭に泊まった時にもお風呂を沸かしに来た少女である。
「よっ久しぶり!」
「レオさん、どうしてここに!? あの、また会えて嬉しいです……」
「大袈裟だなあ、まるで生き別れたみたいな言い方して。友達なんだし、会いに来るに決まってるだろ?」
ウェステは目を白黒させる。
「友達なんて冗談かと……」
「レオさんに頂いて、コツが分かりました。何回か練習したら、あとはずっと上手くいっています」
「そうか。よかったな!」
魔法の訓練は別に苦しんで厳しい修業を積んでも意味はない。
それよりも成功感覚を掴むことが重要だ。だからアーティファクトを使ってでも成功のイメージを掴むことが近道なのだが、ウェステはそれをたった数回でマスターしてしまったらしい。
魔力は小さいがセンスはあると言ってよかった。
「あ、ありがとうございます。本当に嬉しいです。実は私、オルレアンの魔導学院を受験しようとしているんです」
「え? そうなのか」
「はい。だから合格するためにアーティファクトの力も借りたいんです。あさましいですかね?」
なるほど、とレオは納得した。
オルレアン高等魔導学院の試験はアーティファクトの使用も許可されている。アーティファクトの力も本人の力とされるのだ。
「あさましいなんて全然思わないよ。きっと家族のためなんだろ?」
「分かりますか?」
ウェステは驚いて顔を上げる。
「ああ、家族やスラムの皆の生活を少しでも良くしたいとか、そういうことかなって」
「……はい」
ウェステは恥ずかしそうに頷いた。彼女にはまだ試験に合格する自信がないのかもしれない。
「実はさ。俺もオルレアン魔導学院を受けに来たんだ」
「本当ですか! 私も、しかしたらレオさんもそうなんじゃないかなって思ってました。ちょうど試験日の前ですし、白鹿亭は受験に利用されるお客様も多いですから」
「それで提案なんだけどさ。試験の日って明後日じゃん。今日と明日、仕事が終わったら俺と一緒に勉強しないか?」
「本当ですか! でも……」
「俺も友達と一緒に学校に行きたいからね」
「レオさん……分かりました! お願いします!」
魔導学院の水準は正確に分からないが、魔法のコツさえ理解すればウェステも十分合格できるだろうとレオは判断した。
彼は試験までの間、時間の許す限りウェステに魔法のコツを教えることにした。
◆◆◆
魔導学院の新学期の試験の最終日の早朝。
バッカド国の首都オルレアン内部にあるスラムの空き地。
レオが展開した防御結界の中で、ウェステの魔法の訓練が行われていた。
短期間とはいえ、レオの家庭教師によるウェステの魔法の上達は目覚ましく、今しがたも大勢のギャラリーの前で、三本の丸太に火の玉を同時にぶつけてみせた。
「おお~ウェステちゃん凄い~」
朝になって夜の仕事から帰ってきたウェステの友人達が集まって、歓声を上げていた。
「えへへ。先生がいいんだよ」
レオはやりにくいなあ、と頭をかく。
「ウェステちゃんは本当にいい人見つけたよねえ。地方貴族の坊っちゃんで、魔法も教えられるなんてさ~。私達よりいい男捕まえるなんて」
「ち、違いますよ……レオさんと私は……そのただの友達で……」
周りからはやし立てられ、ウェステは恥ずかしさのあまり口ごもる。
「ね~。しかもアルケミストでしょ」
「よく見ると顔もかなりカッコイイよ~」
皆口々に二人をはやしたてた。
「ほ、本当にレオさんは、ただの先生で……お、お友達で」
「なんだ~つまんな~い」
「でも教師と生徒の関係から始まる恋もあるかもよ。私が先生だったらこんな生徒ほっとかないわ~」
「でも先生よりも生徒のほうがファイアボールの魔法は上手くない? さっき先生は的の丸太を消し炭にしちゃったし」
「生徒の前で恰好をつけたんじゃない?」
こうも好き勝手に言われると、レオは本当にやりにくくてかなわなかった。
「ま、まあ……この調子ならウェステも魔導学院に受かるかもしれない。後は筆記次第かな」
だが、レオは見誤っている。
ウェステはもう十分に合格する水準になっていた。魔力量こそ、それほど大きくなかったが、威力の制御は抜群で、レオを凌いでいた。
「よし。そろそろ試験を受けに魔導学院に行くか!」
「はい!」
レオとウェステは揃ってオルレアン魔導学院の入学試験に向かったのだった。
◆◆◆
一週間後。
オルレアン魔導学院の試験結果の発表日。
「そ、そんな……馬鹿な」
オルレアン魔導学院の正門のほど近く、学生用の掲示板の前でレオは盛大にうなだれていた。
==========
ウェステ
右のものをA3クラスとして入学を認める。
イザベラ=ハイム
右のものをB3クラスとする。
ベルナー=ゴラモンド
レオ=ライオネット
エマ
右のものをR3クラスとして入学を認める。
なお成績表は後日、全員のものを貼り出す。
==========
Rクラスはリザーブの意味でオルレアン魔導学院においての落ちこぼれクラスだった。
つまり、レオは試験を最も下の評価でギリギリ通過したのだ。
「一緒のクラスになれて良かったじゃねえか」
ベルナーがレオの肩に手を置く。
最初、レオは自分が下級貴族の家名を使っているから下のクラスにさせられたのだと思っていた。
ところが。
「レオさん。元気出してください。たまたまですよ……。後は試験官の人が何か間違えたとか。あ、でも私の合格だけは間違いであって欲しくないです。クラスはどこでもいいですから……神様……!」
レオの隣では下級貴族どころか、スラム出身のウェステが最高評価で合格したことを信じられずに、神に祈りを捧げていた。
「キャー! キャー! 嘘? 私が!? やった! やったー!」
その隣ではヘラクレイオンでチンピラとともにギャンブルでレオ達をハメようとした娼婦のエマが最低評価だが合格し、はしゃぎまわっていた。
その様子を見てベルナーの顔色が変わる。
「お前も魔導学院の試験を受けていたのかよ」
「何よ! 悪い!?」
「いや、悪くはないけどよ……」
エマに責められているベルナーは仮にも、この世界の二大強国の皇子なのだ。やはり彼もレオと同じ最も評価が下のクラスだった。
どうやら支配階級に生まれた者も、下層に生きる人間も、実力主義の魔導学院の評価に差別はないらしい。
レオは最高の評価で入学できるものと信じ込んでいたのだが……。
「筆記は満点のはずだ。実技はちょっとやり過ぎの感があったけれども」
レオの周りを黒い猫が楽しそうにぐるぐる回っていた。
「にゃにゃにゃーん。べるにゃにゃにゃ(ぶつぶつ言ってないで元気出しなよ。ベルナーと一緒のクラスになれて良かったじゃん)」
返答できずに呆然としているレオを横目に、黒猫になっているルナが鳴く。
「まりにゃにゃにゃにゃ!!」
「ん?」
落ち込んでいたレオはルナの早口猫語がすぐには理解できなかったが、つられてルナが見ている方向を振り向く。
そこには、いかにも育ちの良さそうな御令嬢の一団がいた。
どうやら先に試験を受けて合格発表もずっと前に終わらせた貴族達のようだ。彼女達はオルレアン魔導学院でAクラスの生徒だけが着ることを許される制服を着ていた。
「あれがAクラスか」
レオが呟く。
前世の生活についてレオの記憶は曖昧だ。それでも自分があのようなグループに属していなかったことは直感で分かる。
誰もがまばゆい光を放っているように見えた。その中でも最も光り輝いている女生徒がレオに近づいてきた。
「何やってるのよ! 実技はともかく筆記まで。きっと普段の研究成果の魔法理論でも解答に書いたんでしょ。そんなの試験官が理解できるわけないじゃない」
「え? マ、マリー?」
レオは一瞬、目の前の人物が自分の妹と気がつかなかった。
それほど完璧にマリーは女学生だった。
濃紺を基調としたブレザー、やや短めのチェックのスカートに、白いブラウスがまばゆい。そのまばゆさもスカートとニーソックスの間から見えるまばゆさには負けていた。
しかし、その輝きにとらわれている場合ではなかった。
「もう! 一緒のクラスになりたかったのに! 私があげた問題集やらなかったの?」
マリーの叱責を受けて、レオは現実の世界に戻された。
「え? あっ。か、過去問のテキスト? やったさ。あまりの簡単さにすぐに放り投げたけど」
「過去問のテキストの答えは見なかったの?」
「あんなの、問題に答えが書いてあるようなもんだろ?」
「その答えとテストの正解は全然違うのよ。ああ……選択式ならお馬鹿な弟も変だって気がついたんだろうけど、全部記述問題だし」
レオはマリーが言っていることの意味が分からない。
「これじゃあ実技も良い点が取れているわけがないわ」
「実は……実技のほうは派手にやっちまって……でもソフィア先生も試験官だったんだぜ? 凡百の試験官ならともかく、ソフィア先生なら俺の才能も……」
「ならそれで辛うじて合格させてもらえたのね」
あまりの言われように、レオも我慢ならなくなってきた。
反論しようとしたところ、さきほどの令嬢の集団なかの一人がマリーに話しかけた。
「マリーさん。どうやら新しく私達と同じクラスになられる方は家名もないみたいね」
マリーとはまた違った気風があるお嬢様である。
「あ、クラリスさん」
クラリスという女学生はレオとマリーの立ち話が待ちきれず話しかけてきたらしい。
「そちらの方は?」
「あ、ああ。一度だけベルンの社交界でお会いしたことがある方で」
マリーが慌てて取り繕う。
「そうなんですか。皆様がお待ちですわ、マリーさんも行きましょう」
そのお嬢様はレオを一瞥して興味を失ったようだ。
マリーにそう言い残してさっさと戻っていった。
「え。ええ」
こちらの名を尋ねるでもなければ挨拶もない。鈍感なレオでも、軽く見られているのが分かった。
「何だアイツ」
「とにかくレオ、入学おめでとう。学校が始まったら、またゆっくり話しましょう」
マリーは足早に去って集団に溶け込んでいった。
マリーに罵られ、名も知らないお嬢様に軽んじられ、レオはなんともやり場のない苛立ちを覚えた。
「おいおい、レオ! 今の子誰だよ~。超可愛いかったじゃねえか。知り合いなら俺に紹介してくれてもいいじゃねえか」
空気を読まないベルナーがレオに絡み始める。
ベルナーの頭を一発殴ってウサを晴らそうとしたが、イザベラの方が手が早かった。
言い合いを始める二人を見ているのもバカバカしかったので、レオは学園の校舎を眺める。
「大きいな」
遠い記憶にある校舎よりもずっと大きい。
「そりゃ、ここは世界で一番大きな魔法学校だからね」
気がつくと、娼婦のエマが隣にいた。
「あ、あれ? お前、その姿……」
エマはもう制服を来ていた。
「えへへ。もう手続きして来ちゃった。どう?」
マリー達が着ていたものとは少しデザインが異なるが、どうやら魔導学院の制服は人を選ばないようだ。エマも夜の街にいた時よりずっと輝いているように見えた。
「私、絶対ここでもっとマシな人生を送れるようになるわ! レオも協力してね」
「な、なんで俺がお前に」
「クラスメートじゃない!」
どうしてエマの人生の向上に協力しないといけないかは分からないが、クラスメートになったのは事実だった。
「クラスメートか……」
「ん?」
レオはついクラスメートという言葉を口に出してしまう。
「あ、いやなんでもない」
「変な人ね」
高校生で死んで、転生して、新しい家族と別れて、ミラの影を追い続けて十年、また学校に通うことになった。
校庭を楽しそうに歩く学生の姿を見て、もう一度学校に通ってみるのも良いかもしれないと思うレオだった。
賢者の転生実験の第二巻が3月25日頃(出荷日23日)
異世界料理バトルの第二巻が4月25日頃に発売されます。
よろしくお願いします。
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