「うんとこしょどっこいしょ」 それでもカブは抜けません
「うんとこしょどっこいしょ」
それでもカブは抜けません。
「ジジイ、なんてテクで走りやがる!」
お爺さんのカブの空冷式4ストローク単気筒エンジンは唸りを上げ、原付とは思えない速度で夜の首都高を駆け抜けます。それは後に走り屋達に語り継がれる伝説のほんの幕開けに過ぎませんでした。
某巨大掲示板で、この書き込みを見た俺は飲んでいたビールを吹き出した。すかさず
「キーボードを弁償しろ!」と苦情の書き込みをする。
もっともキーボードは壊れていない(だから書き込みが出来る)し、この文句は定型文になっており、以前も大勢が同じ文句を書き込んでいるが弁償されたという話は聞かない。そもそも匿名掲示板でそんな律儀な奴が居るわけもない。
つまり、この書き込みは苦情に見せかけた面白いレスへの賞賛の言葉というわけだ。
キーボード周りのビールを拭きながら、カブが首都高を走れるわけがないし、カブがそんなに速いわけがない、冷静になりながら、そんな事を思った。
巨大掲示板では著作権は存在しない。俺が見たのは初出じゃない。バイク関係のセクション「バイク板」では時折「カブ最強」の書き込みがある。その度に、このコピペが書き込まれていたようだ。
「カブ最強」
それはスピードの話じゃない。燃費の話だ。現行機種でリッターあたり110km、過去には180kmを叩き出した事もある。
「カタログ燃費でしょ?そんなの絵空事だよ!」
もっともである。
だが、実燃費も驚異的である事にはかわりはない。
「俺、50km/l出したぜ!」
「あんた、飛ばし過ぎでしょう?70km/l」
そんな会話が普通にあった。
カブが最強なのは燃費であってスピードではない。そう思っていた。あの時までは。
真夜中のいろは坂を下っていた。昼間遊び過ぎた。でもいい、仕事は今日(日付を越えてしまった)の夜からだ。夜明け前に帰宅すれば充分睡眠がとれて仕事に支障はない。
背後からライトが近づく。
「こんな時間に元気な奴がいるもんだ。へへん、俺と勝負出来るかな?」
近づいて来た光は単眼、つまりバイクだ。複眼の車なら勝負になったろうが、バイクなら仕方がない。俺の愛車はDjebel 200、遅い事で定評のあるスズキのオフ車だ。車なら勝負になろうが普通のバイクには勝てない。
だが、近づいて車種が特定出来る距離まで来たとき驚愕した!CD50ではないか!
CD50、それはカブ。カブと違うのは見た目が普通のバイクっぽい事だが、エンジンはカブ、性能もカブ。
ただ、カブはスクーターっぽいクラッチレスなのだが、CD50にはクラッチがある。クラッチの存在は大きい。自動車のオートマとマニュアルとも通じるのだが、オートマは自動車任せ、マニュアルはドライバーの技量に左右される。
つまりライダーの技量に左右されるカブがうしろから迫っている。
頭の中でスイッチが「カチリ」と音を立てて切り替わる。
負けてはならぬ。相手は格下の原付ではないか!50ccと200cc、馬力はどうか知らぬが相手の方が低い事は間違いない。
エンジン音を轟かせ、パワーバンドに入れる。
一応、説明しておくと「馬力」といっても、その車がいつもその馬力を出しているわけではない。特定の回転数「パワーバンド」に入れないとカタログに載っている馬力は出ない。パワーバンドに入れるとエンジンは暴力的な音を出す。常識的な人は一生パワーバンドに入れないんじゃないかな?
俺は本気を出した。原付ごときの追随を許すものではあるまい。
駄菓子菓子!!!奴は追随している!ぴたりと後に着いている!俺は無茶苦茶な音をエンジンに出させながら必死に逃げようとしていた。まさにそれは肉食獣に襲われる草食獣のそれだった。
遂に奴は俺を追い抜いた。俺がインでもたついている瞬間をアウトから抜きやがった。
今度は俺が追う番だ、食らい付いてやって、あわよくば抜き返してやる!
奴はコーナーでステップを擦っている。ガリガリガリガリ。
俺もガリガリガリガ・・・と言いたいところだが、ビビって一旦ガリっといったところでそれ以上傾けられなかった。
ここで、初歩的な物理学の講義をしよう。
コーナーでは遠心力というものが働く。そして地球には重力というものが働く。そのベクトルの合力が見かけ上の下としてコーナーの外側下に働き、その見かけ上の力に対して重心を移動するのが「バイクを傾ける」という行為なのだ。
この物理学の法則は速度のみに比例している。バイクの値段や馬力やステータスとは全く関係ないのだ。これは、どんなバイクに対しても平等だ。
速度のみに比例しているってことは、バイクを傾けられない俺は奴より速度が低いってことだ。
コーナーの度に引き離される。僅かな直線で馬力の差で追い付く。そして再び引き離される。
いろは坂が終わった所でフルアクセルで引き離す。さようなら。
気が済んだかって?気が済む訳がない!バイクの性能が勝っただけで、ライダーとしては完敗だ。
さようなら、したと思ったら再度奴は後方から現れる。完全に消し去ったのは国道4号線バイパスだ。いつもより変な走り方をした。
家路につきながら、ふと呟く。
「誰が巧い走り見せろと言った」
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