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きよねこ

学んだこと、考えたことを書いています。

電車で子どもを座らせて母親が立っているのは歪んだ愛情です。

コラム 教育 子供 親子

「ほら、そこ空いているから座りなさい。」    

「うん♪」  

にこやかに我が子を電車の空席に座らせている母親。  

母親はつり革を握り、子供を愛しく見ている。   

冗談じゃない!歪んだ愛情!間違ってるから!

 

 我が子の成長を奪っている行為

 子供の体は大人とは違って育っている途中だ。  

バランス感覚、身体能力を日常の生活から養わなければならない大事なときだ。  

あなたのやっていることは我が子の成長を奪っていることに等しい行為である。

我が子の成長を願うなら電車の中では絶対に立たせておくべきだ。

 

歪んだメッセージで心の成長を阻んでいる

我が子を座らせて自分が立っているという行為、または他にも立っている人がいるのに自分の子を優先して座らせている行為、これらは誤ったメッセージを与えてしまう可能性がある。  

子供は自分が優先されて当然なのだ、という考えになってしまう。

知らず、知らずのうちに我が儘な子になってしまう。

たとえば、遊具品や遊ぶ内容で他の児童と揉めてしまうことがないだろうか?

「ボクはこれをやりたいんだ!」「このおもちゃは僕が使うんだ!」

もしこういうことがあるなら、それはあなたの普段の接し方で歪んだメッセージを与えてしまっているからにならない。

電車の中で座らせてしまう・・こういう日常生活の些細なことで無意識に誤ったメッセージは与えてしまうものだ。

電車に限らず、やさしさのつもりが歪んだメッセージを伝えていることになっていないだろうか、我が子の心の成長を奪っていないだろうか、よく考えてほしい。

 

子供を座らせていいとき

子供を座らせていいときは二つだ。

  • 子供の体調が悪いとき

熱、風邪気味のようなときは座らせるべきだ。

少しでも安静にさせないといけない。

 

  • 足を怪我しているとき

捻挫、骨折のときは立っているのは困難。

早く治すためにも休ませるべきだ。

 

  • 非常に疲れているとき

幼児だと疲れているときは寝てしまうことがある。

こういうときは仕方ないので座らせてあげてもいい。

本当に疲れきっていて、その場で寝そうなときくらいだ。

 

座らせていいのか、立たせるのか微妙なところ

電車中で空いた席がたくさんある場合だ。

冒頭に書いたように子供の体の成長を考えたら立たせておくべきだ。

心の成長で考えると空席が多くて、立っている人がいないときの場合は良いのではないだろうか。

もし人が増えてきて立っている人が現れそうなら、そのときは席を立てばいい。

 

しかし子どもには何故なのか内容を説明はしたとしても理解できるかわからない。

立たせるときもあれば座らせるときもあるなんて矛盾しているように取られる可能性もある。

一貫した行為が大事かもしれない。

 

こういう場合は微妙である。

判断は各親に任せたい。

 

海外だと子供は立たせて親は立つ

本で読んだことがある。

どこの国なのかは忘れた。

自分の子供は立たせて、親は座るのは普通だと考えている国もあるようだ。

私が電車の中で親は座って、子供は立たせていた海外の親子を見たことがある。

 もしかしたら、たまたまそういう考えの家庭の可能性もある。

日本だと子供は立たせて親は座るというのは受け入れ難いかもしれない。

親も子供も立っている、というのが日本らしい。

 

しかし、親は座って、子供は立たせるというのは年長者や親を尊ぶというメッセージを与えていることになるかもしれないので、これはこれで良いのかもしれないな、と思った。

 

最後に

電車では我が子は立たせておこう。

バランス感覚、体力、筋力など身体の成長につながる。

「他に座りたい人がいるから譲りましょう」と伝えて立たせることで自制心と他者を優先する心の成長に繋がる。