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第21話 パラドックス。(Side 和泉)
部活を終え、冴子様や恭也くんと一緒に食堂にやって来ると、見知った先客がいた。
「あ。やっほー、和泉。こっちこっち」
誠、ナキ、柚子、由紀、沙耶ちゃん、飛鳥たち軽音楽部の面々だった。
「ご一緒してもいいですか?」
「どうぞどうぞ。いいよね、みんな?」
否定する声は上がらなかったので、ご一緒させて貰うことにする。
「去年のライブ以来ね」
「勝ち逃げは卑怯だわ」
柚子さんと由紀さんがそんなことを言ってくる。
「私みたいなほぼ素人が、柚子さんや由紀さんに勝てる訳ないじゃないですか」
「……あんなこと言ってるけど、どう思う、由紀?」
「勝者の余裕よ、柚子姉」
だから違うってば。
「ええやん。最高のライブやったやないか。またあのメンツでやってもええな」
「まあ、気持ち良かったけどさ」
「悪くはなかったね」
ナキが上手いことフォローを入れてくれる。
空気の読める男である。
「今度は飛鳥ちゃんと沙耶ちゃんも加えて、どや?」
「飛鳥と沙耶はまだ力不足」
「組むんならもっと練習してもらわないと」
「……はい」
「とほほ……頑張るよ」
なんだかんだで、軽音楽部は仲がよさそうである。
「奇術部はどうだ?」
誠が水を向けてきた。
若干、気まずそうではある。
「部員は増えていませんけれど、三人は確保できたので、少数精鋭で行こうかと」
答える私も、若干気まずい。
誠とは、いつねの一件でしこりがある。
私は誠が悪いとはつゆほども思っていない。
非があったのは、明らかに私だ。
彼は筋を通そうとしただけであって、通し方に問題が無かったとは言えないかもしれないけれど、それでも彼は彼なりに誠実であろうとしただけだ。
「お。随分、集まってるな」
そこに冬馬がやってきた。
「抜き打ち防災避難訓練はどうだった? 楽しめたか?」
「あれもお前の発案か」
「そうだぜ。予め分かりきってる訓練なんざ、ヌルすぎるからな」
私は予め冬馬から聞いて知っていた。
具体的な日取りではなく、抜き打ちであるという事実だけだけれど。
「そういえばお前ら、『抜き打ち試験のパラドックス』って知ってるか?」
「なにそれ?」
飛鳥が首をひねっている。
私も知らない。
「ある教師がこう言ったんだ。こんどのテストは来週の月曜日から金曜日までのいずれかに行う。ただし、抜き打ちテストだから、当日の朝、その日がテストであることを予測できないように行う――ってな」
それのどこがパラドックスなのだろう。
みんなの顔を見回すと、全員不思議そうな顔をしていた。
「そしたらな、ある生徒がこう言ったんだ。先生、そんなテストは出来ませんよ――って」
「どういうこと?」
飛鳥がみんなを代表して質問した。
「もし来週木曜日までにテストがなかったら、生徒たちは金曜日の朝にその日テストがあると分かる。だから、金曜日にはテストが出来ない」
確かに。
「あー、なるほどー」
「確かに変だわ」
「お? 恭也と冴子先輩はもう分かったか?」
「なんとなくー」
「そこから遡って考えるのね?」
「そういうこと」
もうこの時点で分かった人もいるようだ。
私は何がパラドックスなのかまだ分からない。
「いいか? さっき言ったとおり、金曜日にテストは出来ないんだから、水曜日までにテストがなければ、生徒たちは木曜日の朝、その日にテストがあると分かる。だから木曜日もテストは行えない」
「ああ、なるほど」
私を含め、ほぼ全員が分かったようだ。
「え? みんな分かったの? ボク、まだ分からないや……」
飛鳥はまだらしい。
「つまりだ。このロジックを繰り返すと、結局、月曜日も火曜日も水曜日もテストを行えないんじゃないかっていうことだ」
「……あ。あー……。なーるほど。なるほどねー……」
ようやく飛鳥も得心いったようだった。
「でも、それって何か変じゃない? 結局は水曜日かどこかでテストが行われるんじゃないの?」
「柚子姉に同感だわ」
雪原姉妹が反論めいたことを口にする。
「そうなんだよな。直感には反する。だからパラドックスだ」
「そのパラドックスは解明されているのか?」
誠の質問に冬馬は首を横に振った。
「諸説あるが、数学者の間でも論理学者の間でも、統一した見解はまだ生まれていない。意外と手強いらしい」
「へえ? でも何か面白いわね。マジックに通じるミステリーを感じるわ」
冴子様が興味深そうに言った。
「解明されたパラドックスっていうのもあるんですか?」
「あるぜ。例えば、有名なのはアキレスと亀のパラドックスだな」
沙耶ちゃんの疑問に冬馬が答える。
「パラドックスの概要はこうだ。俊足で有名なギリシャ神話のアキレスと、歩みの遅い亀が競争をした」
あ。これは知っている。
「同じ地点から競争したのでは勝負にならないので、アキレスは亀の100m後方から競争を開始した。この時、アキレスの速さを秒速10m、亀の速さを秒速1mとする。まあ、亀はそんなに速かないが、便宜上な? 亀のスタート地点をAとする」
そして、と冬馬は続ける。
「アキレスがAに着くまでには10秒かかる。この時、すでに亀はAよりも10m進んでいる。この亀の位置をBとする」
亀は既にAからはいなくなっている訳だ。
「では、アキレスがBに着いた時はどうか? この間、わずか1秒だが、亀は既にBよりも1m先に進んでいるこれをCとする」
これを繰り返す訳だ。
「Cにアキレスが着くのはそのわずか0.1秒後だが、亀はさらに0.1m進んでいる。この繰り返しだから、アキレスはいつまでたっても亀に追いつけないっていうパラドックスだ」
「ボク、なんだか頭がこんがらがってきたよ」
飛鳥が頭から煙を上げそうになっている。
勉強は得意なはずだけれど、こういうのは苦手なんだろうか。
「これは、有限の距離や時間でも、分割は無限にできるっていうことを利用した錯覚だな。アキレスが亀を追い抜くまでの距離と時間を無限にコマ割りして、いつまでたっても追いつけない、と主張する訳だ。もちろん、そんなことはない」
実際には11秒強で追い抜ける。
その11秒強の間を無限に分割してみせることで、追いつけないと主張する詭弁である。
「ふえー……誰が考えたか知らないけど、よく出来てるなあ」
「ゼノンですね?」
「ああ」
ゼノンは古代ギリシャの哲学者で、このパラドックスはアリストテレスの著作に登場する。
「ボク、もう降参。もう1品何か頼んでくる」
「あ、私も行くわ。みんなもお茶いる? 持ってくるわ」
「ならわいが手伝いますわ。この人数やと一人じゃ無理やわ」
飛鳥、冴子様、ナキが席を立った。
「にしても、冬馬。どうしてこんな話を?」
「うん? 別に意味はないぞ? 抜き打ちっていう単語から思い出しただけだ」
「飛鳥にはとんだ災難だったな」
誠の言う通りである。
この日はそのまま雑談へと雪崩れ込み、18:30まで駄弁っていた。
冬馬が飛鳥をからかっていくつもパラドックスを紹介し、飛鳥が音を上げていた。
何ごともない、平和な一日だった。
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