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悪役令嬢が妙に優しい。 作者:ねむり(旧いのり。)

第1章 高校2年生 1学期

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第19話 魔法使いの弟子。(Side 和泉)

「あのリングのタネって……これだけ?」
「はい」
「……正直に言っていい?」
「どうぞ」
「すっごく地味なタネね」
「マジックはそんなものです」

 部室棟にある奇術部の教室で、ものすごくがっかりした様子の冴子様に、私はそっけなくそう言った。

「どんな凄い仕掛けがあるのかしらと思ったのに……」
「リンキングリングは、タネよりもテクニックと見せ方なんですよ」

 リンキングリングのタネは、子どもでも分かる簡単なものだ。
 四つのリングの内、一つは普通のリング、一つは切れ目の入ったリング、残りの二つは繋がったリングなのである。
 切れ目の入ったリングのことをキーリング、繋がったリングをダブルリングと言う。

「繋げる時は、普通のとキーリングを使います。観客に改めさせる時は、ダブルリングを渡します」
「単純なのね」
「普通にやったのではすぐバレてしまいますので、そこをいかに上手く演出するかがポイントです」
「そういえば、和泉ちゃんが演技してた時は、こんなタネだとはつゆも感じなかったわ」
「私の手順は昔の家庭教師の先生が教えてくれた手順ですが、かなり巧妙に組まれていますので、一般の人にはまずバレません。例えば――」

 普通のリングを左手に、キーリングを右手に持つ。

「このマジック道具を買って最初についてくる説明書には、こういう繋げ方が説明されています」

 まず、キーリングの切れ目を右手の人差指と親指で挟んで隠す。
 次に二つのリングを持つ両手の親指のところを、近づけたり遠ざけたりして、その動きの中で普通のリングをキーリングに通す。

「ふーん?」
「初心者向けで誰でも出来ますが、これだと敏い人にはまず、右手の親指のところが怪しまれてしまいます」
「そうね。私も今はそう思ったわ」
「でも、この動き、先日の演技の時にも、私やりましたよ?」
「えぇっ!? そ、そうだったかしら……」

 冴子様は記憶の糸をたぐっているようだ。

「一番、最後です。見せる順番やタイミングに気をつければ、このやり方でもいけます」
「ああ、そういえば、最後に左右に外していたわね」
「はい」
「でも一番最初は、なんかこう、カン、カン、スッっていう感じで繋げてたわよね?」
「はい。それが繋げ方の上級編です。クラッシュリンクと言います」

 左手に普通のリング、右手にキーリングを持つ。
 ただし今度は、キーリングの切れ目を親指側ではなく、小指の付け根側に維持する。

 そうして、普通のリングに上からキーリングを叩きつけるようにする。
 すると――。

 カン、カン、スッ――。

「え?」
「つながります」
「……どういう仕組み?」
「ポイントは普通のリングを少し緩めに持つことです」

 少し緩めに持つことで、リングが左右にぶれる余地を残しておく。
 そして、キーリングを上から叩きつける時、思い切って少し強めに叩きつける。
 すると、リングの丸みにそって普通のリングがぶれ、右手小指付け根にある切れ目へと滑っていって繋がるのだ。
 この一連の動きは一瞬なので、観客からはリング同士が貫通して繋がったように見える、という訳だ。

 言葉で説明するのはちょっと難しいけれど……。

「なるほど。上手いこと考えられてるわね」
「これならまずバレませんし、続けての手順でダブルリングとすり替えて改めさせれば、客の方でこれは凄いトリックがあるに違いないと思い込んでくれます」
「……まんまとハマったわ、私」

 悔しそうな冴子様。

「試しにやってみて下さい」
「分かったわ」

 カン、カン、スッ――。

「出来た!」
「お上手です」
「これ、タネが分かってても結構、不思議な感じね。本当に貫通したように見えるわ」
「リングがぶれるのは0.1秒以下ですからね」

 ちなみに、この間ずっと無言だけれど、恭也もちゃんと部室にいる。
 いつも通り眠そうな表情で、冴子様と私の様子をじーっと見ている。

「恭也君もやってみますか?」
「はいー」

 カン、カン、ふにゃ。

「あれー?」
「もうちょっと思い切って叩きつけた方がいいですよ」
「はいー」

 カン、カン、スッ――。

「出来ましたー」
「お見事です」

 成功しても、恭也には冴子様ほどの感慨はないらしい。
 相変わらず眠そうである。

「でも、ただ繋げるだけでも、これだけの練習がいるのね。この間、和泉ちゃんがやった手順が全部出来るようになるには、どれくらいの練習が必要なものなのかしら?」
「センスのある人なら一週間程度です。ない人は一生出来ません」
「……ちなみに、私はどっちに見える?」
「冴子様は問題ないと思います。手先が器用でいらっしゃるようですし」
「なら、頑張るわ」
「上手な人の演技を沢山見るのもいいですよ。今は無料動画配信サービスとかがありますから、リンキングリングやチャイナリングで検索すれば、色んなマジシャンの演技が見られると思います」

 チャイナリングはリンキングリングの別称である。
 他にもニンジャリングという呼び方をするマジシャンもいる。
 機会があったら検索してみてみるといいと思う。

「和泉ちゃんはどうしてマジックを始めたの?」
「小学校の頃の家庭教師の影響ですね」

 あれはまだ私――正確には和泉が、一条の家に引き取られてそれほど経っていない頃だった。
 父と母の虐待によって、和泉は完全に心を閉ざしていた。

 祖父は色々なカウンセラーや教育学の専門家に和泉を診せたけれど、和泉は一言も言葉を発さず、ただ食事と排泄と睡眠を取るだけの動物になっていた。
 多くの専門家が匙を投げる中、出会ったのが、理科の家庭教師としてやってきた先生だった。

 先生はまず何も言わずにじっと和泉の前に座った。
 そうして、このリングを取り出したのだ。

 リングを打ち付けるカンカンという音に、和泉は思わず視線を向けた。
 そして先生は、和泉の向けたか細い興味の糸を、マジックでたぐり続けた。

 和泉は外界への反応を少しずつ取り戻していった。
 その歩みは遅々としたものだったけれど、先生はそれに辛抱強く付き添ってくれた。

 そして、それから一年もする頃には、和泉は普通の生活を遅れるようになっていた。

「先生は私の恩師なのです」
「そう……」
「……」

 私の昔語りに、二人は少し気まずそうな暗い顔をしていた。

「すみません。つまらない話をしました」
「ううん。訊いたのは私だもの。むしろ余計なことを訊いたわね。ごめんなさい」
「いえ。こうして話せるということは、もうすっかりふっきれたということですから」

 務めて平静を装い、笑顔を浮かべてみせる。

「和泉先輩はー」
「はい?」
「先輩はー」
「……はい」
「もう大丈夫なんですねー?」
「ええ。もう大丈夫です」
「良かったー」

 そう言った恭也は柔らかく微笑んだ。
 眠そうな顔以外の表情を見たのは初めてだった。

「あなた、そういう顔も出来るのね」
「? どんなですかー?」

 笑顔が浮かんだのは一瞬で、次の瞬間にはもういつもの眠そうな顔に戻っていた。

「よーし! まずは一週間でこのリングを習得して見せるわ」
「ボクはあのシンブルっていうのがやりたいですー」
「はい。たくさん練習しましょう」

 奇術部での活動は楽しい。
 誰かに教えるという経験も新鮮だ。

 私は自分の生活がとても充実していることに、深い満足感を覚えていた。
 リンキングリングの雰囲気がきっと分かりづらいと思いましたので、参考動画を紹介させて頂きます。

https://www.youtube.com/watch?v=bQ53FZR7xzU

 緒川集人さんのニンジャリングです。
 作中の和泉の手順とはだいぶ違いますが、要素は重なっています。
 もちろん、和泉よりもずっと凄いです。

 ぜひ一度ご覧になってみてください。
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