挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
悪役令嬢が妙に優しい。 作者:ねむり(旧いのり。)

第1章 高校2年生 1学期

19/28

第18話 音の意味するもの。(Side 飛鳥)

「ほい、休憩」
「ふあー……」

 ここは第二音楽室――ナキのお城だ。
 放課後の部活動の時間、ボクはここでナキから歌のレッスンを受けている。

 ナキも歌に関しては門外漢なんだけど、ボイストレーナーの知り合いが沢山いるらしくて、色々聞いてくれたみたいだ。
 おかげでボクはみっちりしごかれてる。

「疲れたあー」
「体力ないなあ。こんなんでへばってたら、ボーカルなんてやってられへんで?」
「そう?」
「朝は早起きしてランニングとかしてみ? 体力つくで」
「そういえば、若葉ちゃんも毎日走ってるなあ」

 ナキと一緒に、購買で買ってきたおにぎりを食べる。
 間食はあんまりよくないけど、歌ってるとおなかが減るんだもん。

「飛鳥はあれやな。見かけによらんなあ」
「?」
「銀髪真祖吸血鬼みたいな儚くて怪しいナリをしとるのに、中身はふっつーやもん」
「悪かったね、普通で」
「あはは、怒んなや。で、ここからはちっと真面目な話な?」
「うん」

 ナキが表情を引き締めた。
 なんだろう?

「お前、過去になんかあったやろ」
「!?」

 どきりとする。
 ナキの問いかけは抽象的なものだ。

 でも、心当たりが……ある。

「そりゃあ、このくらいの歳になれば、みんな何かあるでしょ」
「誤魔化すなや。お前の中、がらんどうになっとる部分があるで。何か失のうたみたいに」
「う……あ……」

 笑い飛ばそうとしたボクの言葉を、ナキは真剣な面持ちで遮った。

 いけない。
 胸が、苦しい。

「あ……なん……で……?」
「なんで分かったかか? 歌に出とる。お前の歌は作り物や。上っ面だけで中身がない。空っぽなのを必死で覆い隠しとるようにしか聴こえへんわ」

 音だけでそんなことが……?
 そんな、マンガやアニメみたいなことが本当に出来るのものなんだろうか。
 でも、現にナキはボクの中身を的確に言い当てている。

「……飛鳥?」
「はっ……はっ……はっ……!」

 呼吸が苦しい。
 まるで水の中に閉じ込められたみたいだ。

 意識がぼーっとして、胸の鼓動だけが激しく聞こえる。

「しっかりしいや。過呼吸になっとる。これ使い」

 ナキは購買のビニール袋を手渡してくれた。

「吐いた息を吸い込むんや。血中の二酸化炭素濃度が元に戻れば楽になる」

 こうなるのは初めてのことじゃない。
 要領は、ナキに言われるまでもなく分かっていた。
 ナキの言う対処法はペーパーバック法という。

「ペーパーバック法……は……ダメ……」
「なんでや?」
「CO2濃度が……上がり過ぎちゃうことが……あるから」

 言葉にするのがとてもしんどい。

 以前は、過呼吸の対処法と言えば、ペーパーバック法だったのは確かだ。
 でも、今はあまり推奨されていない。
 病院など、しっかりとした環境がある場合以外は、自然に治るのを待つのがいいとされている。

「なら、せめて浅く呼吸しいや。他になにかわいに出来ることは?」
「大丈夫。何か……会話したい。会話すると、早く治るから」
「わかった」

 過呼吸になると、不安に押しつぶされそうになる。
 このまま息が止まっちゃうんじゃないか、死んじゃうんじゃないか。
 そういう不安が、また過呼吸を起こして悪循環になる。
 大事なのは心を落ち着けることと、冷静に呼吸を整えることだ。

 その点で会話というのはいい対処法だ。
 喋っている間は呼吸をしていないから、二酸化炭素濃度が上がりやすくなる。
 つまり、話せば話すほど、治りが早くなる。

 その上、会話をすることで安心感もえられるから、一石二鳥だ。

「何を話したらええんやろな……わいもあんまり喋りは得意やないし」
「……よく言うよ。女の子泣かせのプレイボーイのくせに」
「女の子相手の時は、聞くのがポイントなんやで? こっちが積極的に話題を振ったり、会話の主導権握ったりするよりも、相槌とか共感を示す方がずっと大事なんや」
「……へえ?」
「いかに女の子に気持よくお喋りしてもらうかっていうのが、女の子と上手くやっていくコツや」
「それが……ナキ流?」
「せや。内緒やで?」

 ナキはパチッとウィンクした。
 ボクはくすくすと笑った。

「それにしても……ナキ、よくペーパーバック法なんて知ってたね?」
「ああ……。詩織がな、過呼吸持ちやってん」
「ボクのそっくりさん?」
「せや。コンクールの前日はようなっとったわ。せやからわいも自然と対処法を覚えてなあ」
「詩織さんも、バイオリニストだったの?」
「せやで。でもあいつ、本番にはむっちゃ強かったわ。前日へろへろでも、当日になるとえらい力強い演奏してた」

 ナキの顔に懐かしむような色が浮かぶ。
 ボクの顔を見ながら、別の誰かを重ねてる。

「ナキは……詩織さんが好きだったの?」
「どうやろ……? わいも詩織も、バイオリンの腕を競ってれば幸せやったし……けど――」
「けど?」
「あのまま二人とも成長してたら、間違いなく色恋の話になっとったやろうな」
「そっか」

 多分だけど、詩織さんの方は当時、ナキのことをすでに好きだったんじゃないだろうか。
 こういうのは女の子の方が先に敏感になるものだからね。

「……飛鳥、堪忍な。ちょっと大上段に行き過ぎたわ」
「ううん。ボクも弱っちくてごめんね」
「いや。わいもまだ詩織のことになると不安定になるし、傷っちゅうんはなかなか治らんもんやな」
「うん……」
「でも、そのがらんどう。そのままやとまずいで。ほっとくと、多分、内側から飛鳥を食い破ってまう」
「……」

 感性的な話はよく分からない。
 でも多分、ナキは()()()()を言っているんだろう。

「……まあ、急ぐことはないわな。呼吸はどや?」
「だいぶ楽になったよ」
「さよか。んなら、もうちょっと楽にしとき」

 そう言って、ナキは立ち上がると、いつも持ち歩いているバイオリンケースからバイオリンを取り出して構えた。

「何か弾くの?」
「ま、聴いててや」

 そう言ってナキが弾き出したのは、魔法の眼鏡だった。

 ボクにとっては馴染みの深い曲。
 なのにボクは、最初しばらくそれが魔法の眼鏡だとわからなかった。

 ナキのバイオリンが奏でる魔法の眼鏡は、七色に――いや、もっともっと多くの色に光り輝いていた。
 世界が塗り替えられるような感覚をボクは味わった。

 時間にして五分にも満たない短い演奏だったけど、ボクはとても長い夢を見ていたような錯覚を起こした。

「どや?」
「……すごい」

 そうとしか言いようがない。
 ナキのバイオリンを聴くのは初めてだったけど、素人耳にも、彼の腕が尋常じゃないことがはっきりと分かる。

「みんなが褒める理由が分かるよ。本当にすごいもん」
「ま、これだけしか取り柄あらへんしな」
「ナキも魔法の眼鏡を知ってたの?」
「ん? いや、こないだ飛鳥が歌ってたのを聴いたのが初めてや」

 え?

「でも、今――」
「わい、記憶力も音楽に特化してん。一度聴いた曲は二度と忘れんねや」
「へー……」

 本当に音楽をやるためだけに生まれたような人だ。

「今日はもう練習終わりにしよか。その様子じゃ続けられんやろ」
「うん、ごめんね」
「ええって。半分以上、わいの責任やし」

 すまんな、とナキはもう一度謝罪を口にした。

「お詫びに今夜の食事は奢るわ」
「そんな、いいよ」
「遠慮しなや。わいの気が収まらへん」
「そう? ならお言葉に甘えようかな」

 そんな話をしながら、今日のレッスンはおしまいになった。
 音楽室を出る直前、ボクはふとナキに一つ質問を投げかけた。

「ナキ」
「あん?」
「ナキはご両親のこと、好き?」
「なんやの突然」
「いいから」
「せやな……好きやで。たまにカチンと来ることもあるけどな」
「そっか」
「なんやの?」
「ううん、忘れて。さーて、なにおごってもらおうかなー?」

 釈然としない顔をしたナキを置いて、ボクは歩き出した。
 今の顔を見られないように。

 ボクは――お父さんもお母さんも大嫌いだ。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ