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第18話 音の意味するもの。(Side 飛鳥)
「ほい、休憩」
「ふあー……」
ここは第二音楽室――ナキのお城だ。
放課後の部活動の時間、ボクはここでナキから歌のレッスンを受けている。
ナキも歌に関しては門外漢なんだけど、ボイストレーナーの知り合いが沢山いるらしくて、色々聞いてくれたみたいだ。
おかげでボクはみっちりしごかれてる。
「疲れたあー」
「体力ないなあ。こんなんでへばってたら、ボーカルなんてやってられへんで?」
「そう?」
「朝は早起きしてランニングとかしてみ? 体力つくで」
「そういえば、若葉ちゃんも毎日走ってるなあ」
ナキと一緒に、購買で買ってきたおにぎりを食べる。
間食はあんまりよくないけど、歌ってるとおなかが減るんだもん。
「飛鳥はあれやな。見かけによらんなあ」
「?」
「銀髪真祖吸血鬼みたいな儚くて怪しいナリをしとるのに、中身はふっつーやもん」
「悪かったね、普通で」
「あはは、怒んなや。で、ここからはちっと真面目な話な?」
「うん」
ナキが表情を引き締めた。
なんだろう?
「お前、過去になんかあったやろ」
「!?」
どきりとする。
ナキの問いかけは抽象的なものだ。
でも、心当たりが……ある。
「そりゃあ、このくらいの歳になれば、みんな何かあるでしょ」
「誤魔化すなや。お前の中、がらんどうになっとる部分があるで。何か失のうたみたいに」
「う……あ……」
笑い飛ばそうとしたボクの言葉を、ナキは真剣な面持ちで遮った。
いけない。
胸が、苦しい。
「あ……なん……で……?」
「なんで分かったかか? 歌に出とる。お前の歌は作り物や。上っ面だけで中身がない。空っぽなのを必死で覆い隠しとるようにしか聴こえへんわ」
音だけでそんなことが……?
そんな、マンガやアニメみたいなことが本当に出来るのものなんだろうか。
でも、現にナキはボクの中身を的確に言い当てている。
「……飛鳥?」
「はっ……はっ……はっ……!」
呼吸が苦しい。
まるで水の中に閉じ込められたみたいだ。
意識がぼーっとして、胸の鼓動だけが激しく聞こえる。
「しっかりしいや。過呼吸になっとる。これ使い」
ナキは購買のビニール袋を手渡してくれた。
「吐いた息を吸い込むんや。血中の二酸化炭素濃度が元に戻れば楽になる」
こうなるのは初めてのことじゃない。
要領は、ナキに言われるまでもなく分かっていた。
ナキの言う対処法はペーパーバック法という。
「ペーパーバック法……は……ダメ……」
「なんでや?」
「CO2濃度が……上がり過ぎちゃうことが……あるから」
言葉にするのがとてもしんどい。
以前は、過呼吸の対処法と言えば、ペーパーバック法だったのは確かだ。
でも、今はあまり推奨されていない。
病院など、しっかりとした環境がある場合以外は、自然に治るのを待つのがいいとされている。
「なら、せめて浅く呼吸しいや。他になにかわいに出来ることは?」
「大丈夫。何か……会話したい。会話すると、早く治るから」
「わかった」
過呼吸になると、不安に押しつぶされそうになる。
このまま息が止まっちゃうんじゃないか、死んじゃうんじゃないか。
そういう不安が、また過呼吸を起こして悪循環になる。
大事なのは心を落ち着けることと、冷静に呼吸を整えることだ。
その点で会話というのはいい対処法だ。
喋っている間は呼吸をしていないから、二酸化炭素濃度が上がりやすくなる。
つまり、話せば話すほど、治りが早くなる。
その上、会話をすることで安心感もえられるから、一石二鳥だ。
「何を話したらええんやろな……わいもあんまり喋りは得意やないし」
「……よく言うよ。女の子泣かせのプレイボーイのくせに」
「女の子相手の時は、聞くのがポイントなんやで? こっちが積極的に話題を振ったり、会話の主導権握ったりするよりも、相槌とか共感を示す方がずっと大事なんや」
「……へえ?」
「いかに女の子に気持よくお喋りしてもらうかっていうのが、女の子と上手くやっていくコツや」
「それが……ナキ流?」
「せや。内緒やで?」
ナキはパチッとウィンクした。
ボクはくすくすと笑った。
「それにしても……ナキ、よくペーパーバック法なんて知ってたね?」
「ああ……。詩織がな、過呼吸持ちやってん」
「ボクのそっくりさん?」
「せや。コンクールの前日はようなっとったわ。せやからわいも自然と対処法を覚えてなあ」
「詩織さんも、バイオリニストだったの?」
「せやで。でもあいつ、本番にはむっちゃ強かったわ。前日へろへろでも、当日になるとえらい力強い演奏してた」
ナキの顔に懐かしむような色が浮かぶ。
ボクの顔を見ながら、別の誰かを重ねてる。
「ナキは……詩織さんが好きだったの?」
「どうやろ……? わいも詩織も、バイオリンの腕を競ってれば幸せやったし……けど――」
「けど?」
「あのまま二人とも成長してたら、間違いなく色恋の話になっとったやろうな」
「そっか」
多分だけど、詩織さんの方は当時、ナキのことをすでに好きだったんじゃないだろうか。
こういうのは女の子の方が先に敏感になるものだからね。
「……飛鳥、堪忍な。ちょっと大上段に行き過ぎたわ」
「ううん。ボクも弱っちくてごめんね」
「いや。わいもまだ詩織のことになると不安定になるし、傷っちゅうんはなかなか治らんもんやな」
「うん……」
「でも、そのがらんどう。そのままやとまずいで。ほっとくと、多分、内側から飛鳥を食い破ってまう」
「……」
感性的な話はよく分からない。
でも多分、ナキはあのことを言っているんだろう。
「……まあ、急ぐことはないわな。呼吸はどや?」
「だいぶ楽になったよ」
「さよか。んなら、もうちょっと楽にしとき」
そう言って、ナキは立ち上がると、いつも持ち歩いているバイオリンケースからバイオリンを取り出して構えた。
「何か弾くの?」
「ま、聴いててや」
そう言ってナキが弾き出したのは、魔法の眼鏡だった。
ボクにとっては馴染みの深い曲。
なのにボクは、最初しばらくそれが魔法の眼鏡だとわからなかった。
ナキのバイオリンが奏でる魔法の眼鏡は、七色に――いや、もっともっと多くの色に光り輝いていた。
世界が塗り替えられるような感覚をボクは味わった。
時間にして五分にも満たない短い演奏だったけど、ボクはとても長い夢を見ていたような錯覚を起こした。
「どや?」
「……すごい」
そうとしか言いようがない。
ナキのバイオリンを聴くのは初めてだったけど、素人耳にも、彼の腕が尋常じゃないことがはっきりと分かる。
「みんなが褒める理由が分かるよ。本当にすごいもん」
「ま、これだけしか取り柄あらへんしな」
「ナキも魔法の眼鏡を知ってたの?」
「ん? いや、こないだ飛鳥が歌ってたのを聴いたのが初めてや」
え?
「でも、今――」
「わい、記憶力も音楽に特化してん。一度聴いた曲は二度と忘れんねや」
「へー……」
本当に音楽をやるためだけに生まれたような人だ。
「今日はもう練習終わりにしよか。その様子じゃ続けられんやろ」
「うん、ごめんね」
「ええって。半分以上、わいの責任やし」
すまんな、とナキはもう一度謝罪を口にした。
「お詫びに今夜の食事は奢るわ」
「そんな、いいよ」
「遠慮しなや。わいの気が収まらへん」
「そう? ならお言葉に甘えようかな」
そんな話をしながら、今日のレッスンはおしまいになった。
音楽室を出る直前、ボクはふとナキに一つ質問を投げかけた。
「ナキ」
「あん?」
「ナキはご両親のこと、好き?」
「なんやの突然」
「いいから」
「せやな……好きやで。たまにカチンと来ることもあるけどな」
「そっか」
「なんやの?」
「ううん、忘れて。さーて、なにおごってもらおうかなー?」
釈然としない顔をしたナキを置いて、ボクは歩き出した。
今の顔を見られないように。
ボクは――お父さんもお母さんも大嫌いだ。
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