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第17話 電話。(Side 和泉)
「冬馬様……心配ですわね」
「……はい」
すっかり日の暮れた寮の自室で、仁乃と二人ごちる。
今日は結局、冬馬に会えなかった。
会社の仕事を手伝っているといっても、学業に支障が出ない範囲で、というのが彼なりのルールだったはずだ。
その彼が欠席。
だとすると、今回の一件は私たちが思っているよりも大きいものなのかもしれない。
「電話なさってみたらいかがですの?」
「今はつながらないと思います。きっと、あちこち連絡を取り合っている最中でしょうから」
「ならメールは?」
「送りました。けど、返信はまだです」
きっと、メールチェックも仕事優先にせざるをえないような状態なのだろう。
「婚約者を放っておくなんて」
「仕方ありません。優先順位というものがありますから」
「それを言うなら、お姉様は最優先にされるべきではないんですの?」
「家のことをおざなりにして相手をされても心苦しいだけですよ。冬馬ならそこまで分かってくれていると思います」
私も、そこまでして構って欲しいとは思わない。
私には私の、冬馬には冬馬の、お互いの領分があるのだ。
「……ふふ。信頼していらっしゃるんですわね」
「まぁ、一応」
連絡をくれないのではなく、したくてもできないのだと思うのだ。
心配はするけれど、それは連絡をくれないことにではなく、連絡出来ないような状態であることに対してだ。
「まぁ、心配は心配ですけれど、冬馬のことです。何とかするでしょう」
「そうですわね」
「明日になればケロっとした顔で顔を出すかもしれません」
大体、あの冬馬がいつまでも大人しくしているとは思えない。
「お会いになったら、せいぜい甘えるといいですわ」
「な、ちょっと。仁乃、私は別に――」
「顔に寂しいって書いてありますわよ?」
くすくす笑う仁乃。
そんなに分かりやすくなったのか私は。
まぁ、あれこれ言っても、寂しいには寂しい。
「ぼっち宣言したのと同じ人とは思えませんわね」
「もう……あれは忘れて下さい」
「ええ。今のお姉様の方が素敵ですわ」
笑いかけてくる仁乃に、ちょっとバツが悪い。
「仁乃は部活、順調ですか?」
「ええ。若葉が何かにつけて張り合ってくるので、やりがいがありますわ」
「陸上部のホープで飛鳥のルームメイトでしたっけ。仲良くなったんですね」
「まさか。犬猿の仲ですわ」
言葉とは裏腹に、仁乃の表情は楽しげだ。
それほど悪く思っていないに違いない。
そうそう、と仁乃は言葉を続けた。
「インターハイの地区予選に出して頂けることになりましたの」
「凄いじゃないですか」
仁乃が陸上に本腰を入れたのは今年の春からだ。
たった数週間でレギュラーとは。
「若葉もなんですのよ。あの子、スポーツ推薦ですの」
「仁乃とどちらが速いんですか?」
「悔しいですけど、若葉ですわね。自己最高記録では私の方がいいタイムを持ってますけど、普段は若葉に負けることの方が多いですわ」
この歳頃の一年という差は、アスリートにとってかなり大きい。
それを考えると、若葉ちゃんはかなり優秀な陸上選手なのだろう。
「でも、その内追いついて見せますわ。先輩の意地を見せてやりませんとね」
「その意気です」
静かに闘志を燃やす仁乃にエールを送る。
その時、マナーモードにしていたスマホに着信があった。
冬馬だ。
通話ボタンをタップする。
『こんばんは、和泉。今、ちょっといいか?』
「ええ。そちらは大丈夫ですか?」
冬馬の声だ。
一日聞かなかっただけで、ずいぶん懐かしくさえ感じる。
『さっきまでちょっとたてこんでたけどな。今はもう大丈夫だ』
「やっぱり今朝の報道にあった件ですか?」
『ああ。詳しくは話せないが、水面下でまだ動きがありそうだ』
まだ何かあるのだろうか。
「なら、学校はしばらくおやすみですか?」
『いや。明日からは普通に登校出来ると思う。今日は急な話だったからやむを得なかったが、オレの本分は学業だからな。父さんたちが、後はなんとかするってさ』
「よかった」
ひとまず、冬馬は開放されたということなのだろう。
東城グループとしてはまだ問題解決という訳ではないのだろうけれど、冬馬の仕事はここまでといったところか。
『心配かけたな』
「……いえ」
『なんだ? 心配してくれなかったのか?』
からかうように笑う冬馬の声に、とても安心する。
「心配でしたけど、冬馬なら何とかすると思っていましたので」
『そいつは嬉しいね。今日は学園で何かあったか?』
「概ねいつもと変わりませんでした。あ、実力テストの結果が帰ってきましたよ」
『そうか。で、結果は?』
「78でした」
電話口から口笛の音がした。
『やるな。オレの結果は……明日にならないと分からないか……。他のやつらは?』
「飛鳥が71、遥が68、佳代さんたち三人組はそろって64、嬉一が60です」
『お。嬉一のやつ頑張ったな。……ん? ナキは?』
「聞くな、と」
『ハハ、そりゃそうか』
まあ、誰がいくつだろうと勝つのはオレだが、と冬馬は自信たっぷりに言った。
こうして普通のお喋りが出来ることが、とても貴重な時間に思える。
当たり前なんていうものは幻想だ。
この一瞬は二度とやってこない。
『おっと。あんまり長くなってもアレだな。じゃあ、また明日学園で』
「はい」
『おやすみ。愛してる』
「私もです。おやすみなさい」
通話を終えた。
しばし、切れたスマホを眺める。
「名残惜しそうな顔をしてますこと」
「!」
仁乃の声でハッと我に返った。
「冬馬様、大丈夫ですの?」
「はい。明日から普通に登校してこれるそうです」
「よかったですわね」
仁乃もホッとしたようだった。
それからちょっと意地悪な視線をよこして、
「お姉様に、一日中切ない顔をされたのでは堪りませんわ。あとで冬馬様にはクレームを入れませんと」
「ちょっと、仁乃。私そんな顔してません!」
「してましたわ。ずっとちらちらスマホを見ていたくせに。イヤですわ。ほら、ぐうとでも仰りなさいませ」
「……ぐぅ」
仁乃の観察眼には敵わない。
「さ。そうと分かったら早く寝ますわよ。早く冬馬様にお会いになりたいでしょう?」
「だからそういう言い方をしないで下さい」
「いいから。はーい、消灯ー」
私の反論を無視して落とされる照明。
沈黙の帳が落ちる。
ややあって、
「……お姉様」
仁乃が呟くように言った。
「冬馬様ほどではなくとも、私もお姉様の支えになりたいと思っていますのよ」
「ありがとうございます」
「しんどい時は、頼って下さいましね」
「はい。ご心配をおかけしました」
ポーカーフェイスは得意なつもりだったけれど、仁乃はすっかりお見通しだったらしい。
さすが、一番長い付き合いなだけはある。
「仁乃がしんどい時は、私も力になりますから」
「ふふふ。ありがとうございますわ」
いつねが亡くなった直後の私と仁乃からは、こんなにいい関係になるなんて誰が予想できただろう。
私は深い安心感に包まれて眠りに落ちていった。
意識が完全に落ちる寸前、仁乃が何か小さく呟いた気がした。
「でも……。ちょっと妬けますわね」
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