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第9話 部活動について。(Side 和泉)
「あらあら。それじゃ、飛鳥はずいぶんと苦戦なさったんですのね」
「ええ。でも、飲み込みは早かったですよ」
「さすがの頭の良さですわね」
部活でたっぷり運動してきたらしい仁乃のストレッチを手伝いつつ、自室で今日の出来事についてお喋りしている。
「それにしても、お姉様がつきっきりのレクチャーだなんて羨ましい」
「仁乃にはこうやってストレッチを手伝っているじゃありませんか」
「それもそうですわね」
仁乃はとても身体が柔らかい。
なんでも、柔軟性はアスリートにとって非常に重要な要素なのだとか。
「もう筋肉痛はなくなりましたか?」
「ええ。最初の頃は毎日悲鳴を上げるほどでしたけど、今は何ともありませんわ」
仁乃は春休み中に復学してから、熱心に部活に取り組むようになった。
毎日の朝練にも必ず参加し、早起きも出来るようになっている。
「部活に力を入れるようになったのは、何か理由があるんですか?」
私は思っていた疑問を投げかけてみた。
「……怒らないで聞いて下さいましね?」
「ええ」
「正直、まだお姉様に未練がありますの」
「!」
それは……。
「冬馬様とお付き合いなさるようになったことは、素直に喜ばしいと思いますのよ? でも、やっぱりそうそう早く切り替えられるような、軽い想いではありませんのよ」
「……」
私は何もいうことが出来ず、無言で仁乃のストレッチを手伝い続ける。
「くすぶった思いのはけ口を見つけたくて。身体を動かしていれば、少しはマシになるかと思いましたの」
「……」
私がきっかけだったのか。
「でも、いざ始めてみたら、これが思いの外きつくて」
「百合ケ丘の陸上部は優秀ですからね」
「ええ。練習は辛いわ、毎日筋肉痛になるわで、もう何度やめようかと思いましたわ」
それでも、彼女は陸上を続けている。
「でも、走っていると、余計なことを考えずに済みますの。無心で、意識が研ぎ澄まされていく感じですわ。これが存外に快感でして」
そう言って、仁乃は爽やかに笑った。
「タイムも随分伸びましたのよ。今では部内でもかなり上位の方ですわ」
「この短期間によく……」
「ま、才能ですわね」
「この」
「あだだだ! 痛い、痛いですわ、お姉様!」
ふざけて調子に乗った仁乃の背中を、思いっきり前に押してやると、仁乃は悲鳴を上げた。
「なら、インターハイ出場というのも、あながち誇張ではないのですね」
「もちろんですわ。やるからには徹底的にやりますわよ。今年の夏は皆さんで応援に来て下さいましね」
「行きますよ、もちろん。出られたら、ですが」
「ふふん」
仁乃は自信があるらしい。
「私も部活に入ろうかと思います」
「あら。そうなんですの?」
「勉強一筋だけでは、ダメだと思いまして」
受験のこともあるけれど、それ以前に、人間としての幅を広げたいと思う。
「それで何部へ?」
「奇術部を考えています」
「ぴったりですわね。でも――」
でも?
「奇術部ってまだ存在してるんですの?」
「は?」
「いやだってですわよ? 去年度の時点で消滅しかかってませんでした? お姉様、結局お断りになってしまいましたし」
「……そういえば」
参った。
既にない可能性があるのか。
「一から作るのもアリですけど、それまでの備品やら何やらが廃棄されていたら、ちょっとしんどいですわね」
「確かに……。顧問の先生はどなたでしたっけ?」
「数学の美樹本先生ですわ」
「ああ、あの?」
「ええ、ちょっと変わった方ですわね」
美樹本先生は数学の先生なのだが、時々、教科書とは関係ない話をしてくれる。
歴史や国語などの文系科目で脱線する先生は結構いるけれど、理系の先生でこう人は珍しいのではないだろうか。
美樹本先生の脱線は、数学史に関するこぼれ話なのだけれど、これがなかなか面白いと評判なのだ。
フェルマーの最終定理とアンドリュー・ワイルズの話には、私もとても興奮した。
360年間、数々の高名な数学者が挑戦しては敗れ去り諦めていった命題に、ワイルズが運命的な出会いと関わり合いをする物語は、とてもとても面白かった。
ただ、美樹本先生が有名なのは、その他の点でアレだからだ。
明日、会うときにでも分かるだろう。
「でも、数学の先生が奇術部の顧問なんて、やっぱりちょっと変わっていますね」
「何でも、マジックの裏に潜む精緻な構成とギミックには美しさがあるとかなんとか。私には分かりかねますわね」
「あぁ……」
実はちょっと分かる。
美樹本先生とは仲良くなれるかもしれない。
「ところでお姉様、今日、飛鳥相手に何かマジックをしておられませんでした?」
「しましたよ」
「私にも見せて下さいませ」
「分かりました。手のひらを出して下さい」
その間に十円玉を五枚用意して左の手のひらに並べてのせた。
「今からこの十円玉を一枚ずつ仁乃の手のひらに載せていきますので、五枚ぜんぶ載せ終わったら素早く手のひらを握って下さい」
「分かりましたわ」
「では、リハーサルです」
左手から一枚ずつ、チャリン、と音をさせながら右手で仁乃の手のひらに載せていく。
四枚目まで普通に置き、五枚目は載せている左手のひらを上から傾けて、直接仁乃の手のひらに落とした。
仁乃がぱっと手を握る。
「要領は分かりましたね?」
「ええ」
「では本番です」
一枚、二枚……と数えながら載せて行くけれど、四枚目はコインの接触音だけさせて、実際には仁乃の手のひらに置かず、右手に持ったままにする。
そして最後の一枚を左手から落とす。
「……なんでですの……?」
「練習してますから」
こうすると、必然的に一枚右手に残る、という訳である。
トリックは単純だけれど、なかなかどうして見破られにくいマジックなのだ。
十円玉があればどこにでも誰にでも出来るお手軽マジックである。
一度、お試しあれ。
「うーん……眠れなくなりそうですわ」
「仁乃さんはいいお客さんですね」
「……お姉様、今、馬鹿になさいまして?」
「いいえ。純粋だと褒めたのです」
「複雑ですわ」
その後もいくつか仁乃にマジックを披露した。
仁乃はその度にいいリアクションをくれて、私としてもやりがいがあった。
部活に入れば、こういうことを毎日できるようになるのか。
奇術部が残っていてくれればいいと思いながら、二年生最初の日は幕を閉じた。
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