それは次第に高校生あたりから言われるようになり、思い返せば家庭内でいろいろあった時期と重なっていた。
人から甘える権利を奪う言葉
当時の私からすれば人の悩みなんて小さかった。
いくら成績が悪かろうがお父さんがテレビのチャンネルを変えてしまおうがお姉ちゃんにお気に入りの服を取られようが、父親が不倫して母親が酒と薬漬けじゃなくて話せる兄弟がいるだけいいじゃないか。そう思っていた。
けれど私は悩みを打ち明けられれば人一倍それらしい回答をすることに長けていたようで、むしろそこに自分の成長を感じたりもしていた。
「大人っぽい」「悟ってる」
人から言われた評価を自分に言い聞かせるようになり、ますます私は淡々としていった。
人から言われた評価に縛られる程度には、本当は私は子どもだった。
小さな世界で自分の位置づけにこだわる幼稚さ
高校生だけの小さな世界で、家庭が崩壊している私が大人っぽいのは当たり前だった。
未成年だけの小さな世界で、何が大人かなんて本当はわかっていなかったのに、わかった気になっていた私は子どもだった。
けれど誰もそれを指摘しなかった。
親は壊れていたし、周りの友達は自分と同じ子どもだらけだった。
今でも呪いは続いている
大人になってもなお私に対しての上記の評価は続いている。
いい加減「お前がいい年して子どもっぽいだけだ」と言いたくなる年の人ばかりである。
ふたを開けたら、二十歳を過ぎても大人は少なかった。
ただひとつ変わったことは、私が人の評価を甘んじて受け止めずに「それは違う」と言い返すようになったことである。
魔法の言葉「大人っぽいね」。
今日も誰かを祭り上げることで、まだまだ自分が甘ったれたいだけのバカが生きている。