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【コラム】

筆洗

 福島県の浜通りに住む詩人みうらひろこさん(74)の詩集『渚(なぎさ)の午後』に、「省略させてはならない」という詩がある▼みうらさん一家は五年前の原発事故で、浪江町の自宅から離れることを強いられた。事故が起きても、町には東京電力から連絡がなく、町長らはテレビで避難の必要を知った▼みうらさんは、東電が<私達浪江町民達を/住民以下と切り捨て/省略してしまっていたのだ>と憤り、こう続ける。<私達は省略されてはならない/私達は切り捨てられてはならない>▼だが、そんな思いも切り捨てられるのか。まともに機能しそうな住民の避難計画も整わぬまま、原発は再稼働している。原発の安全性を審査する原子力規制委員会は、避難計画は審査しない。住民の安全に責任を持つべき自治体の長には、原発を停止させる法的権限がない▼つまり、原発自体の安全性と避難計画を総合的に判断する権限を持った責任者は、いない。本当の責任の所在が省略されたままなのだ。そういう現状に一石を投じたのが、きのう鹿児島県知事が九州電力に要請した川内原発の一時停止だろう▼みうらさんは、うたっている。<私達の心に今でも突き刺っている/哀しい眼をして訴えかけてきた/置き去りにしてきた家畜やペット達/…穏やかで幸わせだった暮しの日々/それらを省略させてはならない/切り捨ててはならない>

 

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