渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

さかなや

2016年08月26日 | 文学・歴史・文化


げひょーん!Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

江戸時代には「さかなや」という呼び方はなかったそうです。
魚類のことは平安から江戸時代までに「いお」→「うを」→「うお」と変化
したが、漢語読みで「ぎょ」はあったにせよ、「さかな」とは読まなかった。
魚肉を酒の肴として多く食したので酒のつまみ=酒菜として魚類を「さかな」と
呼ぶ呼び方が発生したが、魚をさかなと呼ぶのは一般的ではなく、
「うおや」を「さかなや」と読むようになったのは明治末期以降らしい。
あたしの母方の祖父の妹は、地方ではあるが城下筆頭大手の魚屋に嫁いだのだが、
そこは元々は「うおや」だったということか。
ほげ〜。歴史的なことは調べてみるもんですなあ。
時代劇とかって嘘多いからね〜。
ただ、大切なことは歴史の真実であって、歴史的な事実の有無をねつ造して人を
騙して利益を自己誘導するのは悪業であるとどれほどの人が嚙みしめる真摯さを
持っているのだろうか。
詐欺ペテンが正義の筈がない。
時代劇は活劇であってファンタジーだからよいけど、現実世界では古流武芸流派
を僭称して大衆を騙してるニセ壺売り霊感商法みたいなカルトがいるから
始末悪いんだけどね。
いくら猫抱いてほのぼのムーミン系を装っていても、魚の腐った目みたいなのを
見れば詐欺師の顔だと知れる。
歴代魚の腐った目というのはなかなかない。
まあ、江戸っ子祭りだワッチョイ!やる気もないすけどね。

そりゃそうと、さかなや新ちゃんと呼ぶのは時代劇としては間違いで、本当は
うをや新ちゃんだったのですか。
洗濯屋けんちゃんの仲間みたいにこれまでは間違って呼んでたのですね。
でも、裏は裏でもねつ造はねつ造でつから。本当にあった裏物と本当は存在
しなかった裏何とかというのも世の中あるようでして。
まあ、どちらも裏筋物でしょうけど。
裏筋迷彩としては、昔、麻雀を知らない素人相手に「ロン!カンチャンずっぽし
ヤマイモでんでん!満貫!」と8000点奪った奴が私の下家にいましたけどね。
素人さん騙して掠め盗るってのはそういうことですね。素人相手だから迷彩偽装など
必要ないようにも思えますが、何というか、まあ汚れた心でないと金儲けなんて
できないですものね。正統面を装って。
わかります。

ここは騙しはありません。
暖簾口上はあくまで洒落。洒落にならないことはしません。
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