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孫正義、古森重隆、柳井正……仕事がラクになる「トップの言葉」図鑑【前編】

プレジデント 8月27日(土)6時45分配信

 どんな逆境においても諦めず新しい可能性を信じて突き進む。その瞬間、何を思い、突き進むのか。意気消沈する社員を励まし、進むべき方向を示してきた真のリーダーたちの名言とその決意を追う。

■困難な交渉を一言で勝ちとる

 どんな優良企業であっても、順風満帆の状態が永遠に続くということはありえない。景気が悪化し売り上げが低迷する、ライバル企業にシェアを奪われる、社員の不祥事が公になって信用が失墜……。ひとたびそういった事態に見舞われれば、たちまちその会社は危機に瀕する。経営者の真価が問われるのは、そんなときだ。どんな逆境におかれても、決して冷静さと希望を失わず、意気消沈する社員のやる気を鼓舞し、進むべき方向を指し示す言葉を発することができるのが、真のリーダーだといっていいだろう。

 交渉に強いというのは経営者の重要な条件のひとつだ。経営の神様と呼ばれた松下電器産業(現パナソニック)創業者、松下幸之助氏は、タフ・ネゴシエーターでもあった。オランダの総合家電メーカー・フィリップスとの合弁会社を設立するにあたり、フィリップス側は初期契約料55万ドルに加え、技術援助料として売り上げの7%を要求してきた。これに対し松下氏は、すぐさまこう切り返す。

 「初期契約料は仕方がないが、技術援助料は納得できない。どうしてもと言うのなら、経営の責任は松下なのだから、こちらは経営指導料を要求する」

 フィリップス側は、そんなことは聞いたこともないと突っぱねたが、松下氏も一歩も引かない。交渉は1年にも及び、最後はフィリップスに技術援助料4.5%を支払う代わりに、松下電器は経営指導料3%を受け取るという契約で落着した。1952年の話である。相手の技術援助料に対し、経営指導料をぶつける機転。さらに、当時の松下電器よりはるかに格上のフィリップスに対し、臆することなく堂々とわたり合った。

 腹が据わっているといえば、ソフトバンクの孫正義氏も負けてはいない。2001年、同社のブロードバンドのネットワーク構築が遅れ、サービスの開始を待つ顧客の怒りは頂点に達していた。それなのに、局舎間を結ぶのに必要な光ファイバー回線を、在庫不足を理由にNTTが貸してくれないのでどうにもならない。そこで孫氏は監督官庁である総務省に乗り込むと、担当者に向かってこう叫んだ。

 「ライターを貸してくれんね。ここで俺は油かぶって死ぬけん」

 驚いた担当者はすぐさまNTTに電話をして自ら在庫を確認し、その場でソフトバンクが光ファイバー回線を借りられるよう指導したという。

 かつてソフトバンクの社長室長として、Yahoo!  BBやナスダック・ジャパン(現JASDAQ)の設立に関わった三木雄信(たけのぶ)氏は、孫氏の決死の発言に驚いたという。担当者をすぐに電話に走らせた迫力は相当のものだったようだ。いざとなったら命を懸けるという心構えで交渉に臨む覚悟は、間違いなく称賛に値する。

 「あのビル買うの、やめるわ」

 重要な交渉を決める土壇場でこう言ったのは、テンプスタッフの創業者である篠原欣子氏だ。時はバブル末期。篠原氏は、いったんは自社ビル購入を決めたものの、冷静になると、異常な好景気がいつまで続くかわからない不安を感じ、契約日の2日前に白紙に戻す決断をする。手続きはすべて済んでおり、あとは印鑑を押すだけだった。不動産会社側は激怒。だが、篠原氏はひたすら頭を下げ続けた。

 しばらくしてバブルは崩壊し、ビルの値段も急落。会社はすんでのところで多額の負債を背負いこまずにすんだ。一度決まった話を自己都合で中止すれば、相手は顔をつぶされたと怒るに決まっている。誰だって「やめる」とは言いたくない。その言いにくい言葉を、たったひとりで相手のところに言いにいった篠原氏の覚悟には、経営者としての固い決意が見えてくる。

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最終更新:8月27日(土)6時45分

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