こんにちは、うさみです。
タイトルを書きながら
「子を持つ」
って表現、大丈夫か?
と思いましたが、
まぁ「人の親になるとは」ということを考えてみたんです。
きっかけは連日報道されている俳優・高畑裕太容疑者のニュース。
昨日の朝に母親の女優・高畑淳子さんが会見されましたね。
個人的に淳子さんは好きなので、
憔悴しきった様子は見ていてかわいそうでしたね(/_;)
そんな謝罪会見を見ている時に思っていたのは、
「人の親になるってこういうことなんだ」
ということ。
私は独身で、将来子どもは欲しいけど、まだなんの予定もないです。
ただ漠然と子ども欲しいなって思うだけ。
でも私はちゃんと子どもを育てられるのかな?とは疑問に思っていました。
今回の事件の前から思っていたのは
「もし自分の子どもが人を殺したらどうしよう」
ということ。
殺すまではいかなくても、傷つけたら、逮捕されるような事をしたら・・・。
人間誰でも加害者にも被害者にもなる可能性は常にありますよね。
事件じゃなくても事故とか。
自分や身内がその関係者になる可能性は常にあって、
加害者側になっても被害者側になってもおかしくないです。
もしかしたら今日通り魔に刺されるかもしれない。
車を運転していて誰かを轢いてしまうかもしれない。
それは自分かもしれないし、一緒に住んでいる家族かもしれないし、恋人かもしれない。
ただひたすら、そういう事が自分の身にふりかかりませんようにと思います。
もしそれが自分の子どもだったらどうなるんでしょう・・・。
親が事件を起こした
恋人が事件を起こした
友人が事件を起こした
と、
子どもが事件を起こした
はやっぱり違うと思います。
子どもを育てたのは自分ですから。
自分が産んで、育てた一人の人間が罪を犯した。
高畑さんも会見で言ってましたけど、
「育て方を間違えたと思う」
きっとそう思いますよね。
人は生まれた時、まっさらの状態です。
もともと生まれ持った性格とか遺伝子とかはあるでしょうけど、
環境とかしつけとかで人間というものができあがっていきます。
人格を作っていくんです。
たいていの「親」は子どもが真っ当な人間になるように
しつけをしたり何かを教えたりしますよね。
その子が幸せに生きられるように。
・人さまに迷惑をかけない
・人を傷つけない
・人に感謝する
・うそをつかない
そんな人間に育つようにと必死に育てると思うんです。
正直、「親」だってその道のプロじゃないんだから手探り状態ですよ。
それが正しいかどうかもわからないまま、
それが正しいと信じて。
でもその結果、子が事件を起こしたら・・・?
この世の終わりですね。
たぶん大げさでなく、実際にそんな気持ちになるんでしょう。
そんな事を思うと、
私に『子育てをする』なんて無理な気がします。
『子を持つ事』が怖くなります。
経済的な意味やおむつを替えるとか学校に行かせるとかで『子育てをする』のはできると思います。
でも『一人の人間の人格をつくる』という意味では自信がない。
自分の人格形成すらままならないのに・・・苦笑
でも人の親になるというのはそういうことなんでしょうね。
そこまでの覚悟をもつということ。
責任をもつということ。
いつかそういう時になったら、その覚悟と責任の大切さを忘れないようにしたいですね(>_<)
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