2009年7月16日に北海道の大雪山系トムラウシ山で起こった、過去最大の遭難事故の原因を追究したドキュメンタリーです。ツアー参加者十五人と三名のガイド、総勢18名のうち8名が死亡して、結果的に登山史上、最悪の遭難事故となりました。
当時、報道で大きく取り上げられたので、覚えている人もいるかと思います。
いくら北海道の大雪山系とはいえ、「夏の登山」でしかも「ガイド付きのツアー」で、「低体温症」で八名もの犠牲者が出るとはどういうことだ?
これは報道を聞いた多くの人が抱いた疑問であり、当時の報道の文脈もほぼそういったものだったと思います。主も第一報を聞いたとき、そういった疑問を持ちました。
その疑問から、夏の登山だからといって参加者たちが軽装だったのではないかというような報道もなされました。
本書を読んでもらえば分かると思いますが、この報道は誤まっています。
参加者たちは全員、登山歴が長い人が多く、防温対策の装備もきちんと持っており、非常食なども携行していました。
縦走経験者、冬山経験者もおり、「登山歴の浅い人たちが夏山だからと、山をなめて挑んだ」という主張はまったく事実に即していません。
では、なぜこのような事故が起こってしまったのか??
本書は「実際の事故の経緯」「生存したガイドへのインタビュー」「当時の気象状況の解説」「低体温症の詳しい説明」などから成り立っており、すべての状況・条件を精査したうえで、主著者がこの事故の原因などについて述べています。
主著者である羽根田治は登山技術や遭難事故の著作が多いフリーライターで、実際の遭難事故について書いた「遭難シリーズ」を何冊が出しているのですが、これらも非常に面白いです。
本書やそれらのシリーズを読んでいると、遭難というのは落ち度とも言えないちょっとしたことで起こりうるのだ、ということがよく分かります。
主が読んだのはこれ。単なる読みものとしても非常に面白かったです。死亡事故は扱っていないので(確か)、後味も悪くないです。
事故の経緯
最初に、生存した方の証言をもとに、再現ドラマのように当時の状況が描かれています。
死亡された方もいるので、たいへん不謹慎な言い方で申し訳ないのですが、
この部分が非常に緊迫感に満ちていて面白いです。
まるで一級のサスペンスドラマを見ているように、状況に引き込まれていきます。
最初の遭難が起こったのは、三日目の北沼という場所ですが、ここに至るまでに、前夜台風かと思うくらい風雨がひどかった、濡れた衣服を乾かすことができなかった、ガイドですら「行きたくないなあ」と呟いていたなど、不吉なキーワードがそこかしこに出てきます。
これがテレビドラマであれば、「ああ、駄目だよ。行っちゃ」と画面に向かって呟くところです。
そして三名のガイドは話し合い、三十分出発を遅らせて様子を見ることにします。
しかし結局は「恐らく風雨はおさまるだろう」という予測をもとに、出発します。
出発した先でも、アイゼンの付け方に戸惑う参加者が現れたり、尾根に出たとたん、何かに捕まっていないと吹き飛ばされそうな台風並みの強風にあおられたりします。
登山歴十二年、百名山のうち九十二山まで踏破した参加者をして「あれほどの強風は初めての体験だった」と言わしめる天候だったのです。
ここで強風のために相当体力を使い、寒さも実際の気温以上に感じていたと思います。
辿りついた北沼は雨によって増水しており、参加者たちは膝まで水につかりながら沼を渡らなければなりませんでした。
この北沼で、最初の遭難者が出ます。
北沼で参加者全員が渡り終えるのを待つために、多くの参加者が水に濡れたまま、強風にさらされていました。
「寒くてたまらなかった」
生存した参加者は、そう証言しています。
そしてこのあと、続々と脱落者が出始め、大量の遭難事故につながります。
事故後の証言の食い違い
どんな事件・事故でもそうですが、同じ経験をしたはずなのに、参加者の印象に残っている出来事や記憶が違うことがあります。
時にはまったく真反対のこともあり、人間ですから当たり前といえば当たり前なのですが、これがいつも非常に興味深いなと思います。
この事故でも、数々のそういった出来事が出てくるのですが、強烈に印象に残ったのは、「先頭をいくガイドに必死についていって、結果的に一番最初に自力下山した女性」と「生存者の中で一番後ろを歩いていて、結果的に多くの死亡者の姿を見なければならなかった男性」の事故への印象がまったく違うことです。
少し長いのですが、非常に強烈な印象を持ったので引用したいと思います。
自力下山を果たした生存者の中で最後を歩いていた男性は、今まさに訪れようとしているいくつもの死に直面することになった。彼は言う。「なぜオレだったのか」と。
「たまたま自分が一番後ろを歩いていたばっかりに……。なぜ彼らのもとを離れたのか。なぜ通り過ぎてしまったのか。なぜいっしょに下りなかったのか。あるときは自分を責めたり、またあるときは自分を納得させようとしたり。今もそのことと格闘している。それは恐らく死ぬまで続くだろう」
声を震わせながら、重い口調で彼はそう語った。かと思うと、先頭を行くガイドを必死に追いかけていった女性は、「遭難したという実感はあまりない」と言った。
「事故後に『心に傷が残らない?』『ショックじゃない?』と聞かれたりしたが、ショックはあんまりなかった。最初のころは『私ひとりだけ帰ってきてよかったのかしら』と思うこともあったが、『生かしてもらったんだから』と考えるようにした」
(「トムラウシ遭難はなぜ起きたのか」羽根田治 山と渓谷社P354より引用)
同じ参加者で同じ事故に遭遇しながら、なぜこれほど違う立場になってしまったのか。
どちらがどうというわけではなく、運命としか言いようがないとは思うのですが、たくさんの方の死に際の姿を見ざるえなかった男性の気持ちを考えると、何とも言いようがない気持ちになります。
トムラウシ山遭難の原因
直接的な原因としては「三人のガイドのコミュニケーション不足」という声が、参加者の中からは上がっています。
三人のガイドはその日はじめて、このツアーのために顔を合わせたそうです。
だから「この天気で大丈夫か?」と思っても、自分の意見を強く言えなかった、そういう問題はあったようです。
主著者である羽根田治は「登山事故は自己責任であるという論が強いが、ツアーを組んだからには、旅行会社がリスク管理をするべきである。それができないのであれば、ツアー自体を組むべきではない」と主張しています。
主もツアーを組んだからには、もっときちんとツアー会社がリスク管理をすべきだと思います。
停滞した場合の宿の手配や、参加者の登山におけるレベル設定、日程に余裕を持たせることの告知などをすべきではないか、それでは利益が出るツアーが組めないというのであれば、そのツアーそのものを商品として売るべきではないだろうと思います。
主から見れば、こういったツアー商品を売るにしては、内実がずいぶんずさんだなと感じましたが、驚くことに今回事故を起こしたアミューズ社は、ツアー登山を売っている会社にしてはだいぶマシな方らしいです。
今回の事故の生存者たちはそう考え、事故後もアミューズ社のツアー登山を利用している人もいます。
そのうちの一人の方が語っているように、
「結局は登山というものは自己責任であり、最後は自分の身は自分で守るしかないのだから、事故があってもガイドさんや旅行会社のせいにはできない」
そういうことなのかもしれません。
遭難事故を扱った本を何冊か読んだことがあるのですが、いつも思うのは、
「自然への畏敬の念を決して忘れてはならない」ということです。
どれほど科学が発達し進歩しても、自然という大いなる存在の前には人間は無力です。
「荒ぶる自然の前には人間はちっぽけな存在」
登山に限らず、自然の中に進んで足を踏み入れるときは、そのことを決して忘れていけないと思います。
山の知識がない主が第一報を聞いたときに感じた疑問
「夏山のツアー登山で大量遭難なんて、何かミスや落ち度があったんじゃないの?」⇒「ミスや落ち度がなければ、夏山のツアー登山で遭難するはずがない」
というこの発想こそ、実は自然の脅威を軽視している人間の発想なのかもしれません。
本書の「はじめに」で、世界第五位の高峰マカルーへの登頂を果たしたフランス人ジャン・フランコのこんな言葉をあげられています。
「(山は)山という自然に対して、『謙虚さを学ぶ学校』でもある」
自然は人間にとって時に恐ろしい場所であり、だからこそ美しい場所になりうるのかなと思いました。
- 作者: 羽根田治,飯田肇,金田正樹,山本正嘉
- 出版社/メーカー: 山と渓谷社
- 発売日: 2012/07/23
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写真を見ると、本当に雄大で美しい場所です。