昨日、こちらのコラムを書きまして「貧困」=「悪いこと」と断言しているNHKの姿勢に対して「そう決めつけるものでもないのではないか?」と指摘させていただきました。
すると…
様々なコメントを頂戴しまして、いつも通り私にコラムの下記部分「コメント欄」にすべて反映させていただいているのですが…(興味のある方はご一読を)
「貧困が武器になるのは、最低限の生活レベルが担保されている場合に限られます」
「中国では貧困がひどく、確かにみんなそこから這い上がろうと目がギラギラしてますが、日本をそういう社会にしたいですか?」
「貧困な生活は恵まれた環境だとよ。 なら海外のスラム街に言って、そこで生活している貧乏人達に同じ台詞を言ってみろ。バーカ」
まぁ、ラストのはちょっと面白いのでほっとくとして、何通ものメッセージを頂きました。で、興味深いのがハンドルネーム「くろたま」さんから頂いたこちらなのですが…。
「貴方の言う貧困とは?
ファミコンを買ってもらえないのは貧困ですか?
学費がなくて大学に行けないのは貧困ですか?
学費がなくて高校に行けないのは貧困ですか?
水道代が払えないので、毎日風呂に入れないのは貧困ですか?
給食費を払えないのは貧困ですか?
1日三食食べられないのは貧困ですか?
貴方の言う貧困は、「貧しくて困る」レベルではないと思うんですが、貴方も貧困を論じるには、経験的に少々裕福過ぎるのではないでしょうか?」
はい。
ええとですね…(汗)…これは、明確にお答えしますね。もし皆さんの中にもまだご存知じゃない方がいらっしゃるなら、ニュースの説明をもっとよく聞いてみましょう。
■「貧困」とは…ちゃんとした「定義」のある言葉です
皆さんのコメントの中に、世界的に定められた「貧困の定義」をちゃんと理解していない人が多いように見受けられました。上記コメントのように「あなたにとっての貧困とは何なんですか?」と聞かれましても、そもそも「貧困」を勝手に長谷川が決めることはできません。数式がちゃんと決まっているからです。
私も昔、カンボジアのゴミ山で働く貧困に苦しむ子供たちの取材に行ったことがありました。21日間、ゴミ山でゴミの仕分けをして1日に5円や6円を稼ぐ学校に通うことの出来ない子供たちと寝食を共にしたことがあります。
その報告の時にもちゃんとテレビ上で説明しているのですが、他の番組ではそういう「言葉の定義」の説明をしていることが少ないのでしょうか…。
ええと…「貧困」とはですね…ちょっと難しい話にもなりますが、よく聞いておいてくださいね。
言葉の定義をしているのはOECDです。経済協力開発機構ですね。彼らの「貧困層」の定義とは「等価可処分所得の中央値の半分の金額未満の所得しかない人口」のことを指します。
はい。
何言ってるか全然わからないですよね。
えッと…「可処分所得」ってのは分かりますね。私がいつも言っている「最も大事な数値」ですね。要は「自由に使えるお金」です。お給料を沢山もらってても、保険料だ、年金だ、税金だ、でバンバン取られてたら、自由にその額面は使えないですよね?
「自由に」「処分することが」「可能」な所得。要は「好きに使えるお金」って思っておいてください。
その可処分所得を世帯人数の平方根で割って調整して…
…面倒くさいので、具体的な金額とともに言います(涙)。
日本の場合、ネットなどで出てくる最新のデータでは等価可処分所得の中央値は274万円なので、その半分の137万円未満の人が貧困層ということになります。
つまり、妻1人、子供2人の合計4人家族のサラリーマン世帯ならば、月給25万、年収305万円未満ならば貧困層と定義されます。(概算で、年収305万円のうち社会保険料や税金などを差し引いた可処分所得が274万円。それを4人の平方根の2で割った数値が137万円。)
少し分かりました?
要はね、日本って
「子供の貧困率が6人に一人ですぅぅ!!」
「貧困が深刻化しているんですぅぅ!」
とか、何も分かってない人たちが必死になってネットで吠えてるんですけれど、そもそも「貧困」の定義って、日本の経済状況から考えると…
月収25万円の家庭は「貧困」のゾーンに入れられちゃってるんです。
(より詳しい内容はこちらのサイトでとてもよくまとまっています。もっと知りたい人はご一読を。)
月収25万円で「貧困」なんか?って聞きたくなりますよね?
はい。そうですね。今、盛んに叫ばれている「子供の6人に一人が貧困でぇ!」という言葉って、確かに論点もあるんですけれど、現実的には「ただの政権批判」「政権のマイナスイメージの刷り込み」に利用されちゃってるところが大きいってことを覚えておいてください。
ちなみに私はフリーになって3か月間は、3か月で収入が10万円でしたからね。子供は3人。長谷川、ゴリゴリの貧困層でした。蔦屋でDVDとか借りて家族で楽しんでましたけどね。
そして、もう一つ。
なんでこんなイメージ操作が出来ちゃうか、と言いますと…多くの日本人が「絶対的貧困」と「相対的貧困」の区別がついていないことからくる「誤解」なんです。
コメント欄を読んでいますと、どうも「貧困」と聞いて「絶対的貧困」のことを想像している人が多いようです。
「貧困」には2種類の定義があります。
恐らく、コメント欄の感情論の多くが「絶対的貧困」を考えているようです。これは生きるのすら危ぶまれる…衣食住の確保が厳しく飢餓で苦しんだりと普通に生活するのが絶望的な状態のことを指します。
私が取材したカンボジアのゴミ山の子供などもそれに当たります。義務教育を受けることが出来なかったり、識字と言って文字を読むことが出来ないような状況もそれに当たります。
もう一つは「相対的貧困」です。
多くのコメント欄でガーガー言ってる方は、これをずいぶん誤解されているようです。
これは「死に直面した状況をさすわけではなく、自分が暮らす地域での一般家庭という基準のもとに存在する定義』に当たります。
要は、日本はアベノミクスで金持ちがかなりハイパワー金持ちになりましたね。
でもデフレも進んでいますので、今や最安値の格安スマホなどは月に1980円~で持てたりします。「貧困」とか言いながら他を切り詰めれば、スマホは持てますし、SNSは出来ますし、アニメグッズも買える可能性があります。
それでも「貧困」なんです。「貧困」って言葉は「定義」が存在するので、そのゾーンに入っちゃうんです。
日本の社会保障制度やライフラインの整備状況は、世界的にも最高峰のシステムです。私はこのOECDの基準を踏まえた上で…
日本における「貧困」は…苦しいことは確かだが、努力で乗り越えられないとまで言えるほど「世界的には」深刻な物は極めて少ない
ことを取材の過程で知っていたので、前回のような記述になったわけですね。
中国がどうの、スラム街がどうの、と必死に言われてもねぇ…(苦笑)。そんな話してないし…。
最低レベルの生活保障は日本ではかなりなされており、そのシステムは世界中が模範にするレベルです。それらを整えてきた行政に対するただの『レッテル貼り』は辞めた方がいいと思います。NHKのあの特集はそこを押さえていなかったので同じメディアにいる人間として指摘させていただきました。
四の五のと遠巻きに言ってる変な人たちもいるようですが、日本においては、私の前回のコラムでした指摘はそこそこ大事な指摘だと思いますよ?
異論・反論あるならいつでもどーぞ。
すると…
様々なコメントを頂戴しまして、いつも通り私にコラムの下記部分「コメント欄」にすべて反映させていただいているのですが…(興味のある方はご一読を)
「貧困が武器になるのは、最低限の生活レベルが担保されている場合に限られます」
「中国では貧困がひどく、確かにみんなそこから這い上がろうと目がギラギラしてますが、日本をそういう社会にしたいですか?」
「貧困な生活は恵まれた環境だとよ。 なら海外のスラム街に言って、そこで生活している貧乏人達に同じ台詞を言ってみろ。バーカ」
まぁ、ラストのはちょっと面白いのでほっとくとして、何通ものメッセージを頂きました。で、興味深いのがハンドルネーム「くろたま」さんから頂いたこちらなのですが…。
「貴方の言う貧困とは?
ファミコンを買ってもらえないのは貧困ですか?
学費がなくて大学に行けないのは貧困ですか?
学費がなくて高校に行けないのは貧困ですか?
水道代が払えないので、毎日風呂に入れないのは貧困ですか?
給食費を払えないのは貧困ですか?
1日三食食べられないのは貧困ですか?
貴方の言う貧困は、「貧しくて困る」レベルではないと思うんですが、貴方も貧困を論じるには、経験的に少々裕福過ぎるのではないでしょうか?」
はい。
ええとですね…(汗)…これは、明確にお答えしますね。もし皆さんの中にもまだご存知じゃない方がいらっしゃるなら、ニュースの説明をもっとよく聞いてみましょう。
■「貧困」とは…ちゃんとした「定義」のある言葉です
皆さんのコメントの中に、世界的に定められた「貧困の定義」をちゃんと理解していない人が多いように見受けられました。上記コメントのように「あなたにとっての貧困とは何なんですか?」と聞かれましても、そもそも「貧困」を勝手に長谷川が決めることはできません。数式がちゃんと決まっているからです。
私も昔、カンボジアのゴミ山で働く貧困に苦しむ子供たちの取材に行ったことがありました。21日間、ゴミ山でゴミの仕分けをして1日に5円や6円を稼ぐ学校に通うことの出来ない子供たちと寝食を共にしたことがあります。
その報告の時にもちゃんとテレビ上で説明しているのですが、他の番組ではそういう「言葉の定義」の説明をしていることが少ないのでしょうか…。
ええと…「貧困」とはですね…ちょっと難しい話にもなりますが、よく聞いておいてくださいね。
言葉の定義をしているのはOECDです。経済協力開発機構ですね。彼らの「貧困層」の定義とは「等価可処分所得の中央値の半分の金額未満の所得しかない人口」のことを指します。
はい。
何言ってるか全然わからないですよね。
えッと…「可処分所得」ってのは分かりますね。私がいつも言っている「最も大事な数値」ですね。要は「自由に使えるお金」です。お給料を沢山もらってても、保険料だ、年金だ、税金だ、でバンバン取られてたら、自由にその額面は使えないですよね?
「自由に」「処分することが」「可能」な所得。要は「好きに使えるお金」って思っておいてください。
その可処分所得を世帯人数の平方根で割って調整して…
…面倒くさいので、具体的な金額とともに言います(涙)。
日本の場合、ネットなどで出てくる最新のデータでは等価可処分所得の中央値は274万円なので、その半分の137万円未満の人が貧困層ということになります。
つまり、妻1人、子供2人の合計4人家族のサラリーマン世帯ならば、月給25万、年収305万円未満ならば貧困層と定義されます。(概算で、年収305万円のうち社会保険料や税金などを差し引いた可処分所得が274万円。それを4人の平方根の2で割った数値が137万円。)
少し分かりました?
要はね、日本って
「子供の貧困率が6人に一人ですぅぅ!!」
「貧困が深刻化しているんですぅぅ!」
とか、何も分かってない人たちが必死になってネットで吠えてるんですけれど、そもそも「貧困」の定義って、日本の経済状況から考えると…
月収25万円の家庭は「貧困」のゾーンに入れられちゃってるんです。
(より詳しい内容はこちらのサイトでとてもよくまとまっています。もっと知りたい人はご一読を。)
月収25万円で「貧困」なんか?って聞きたくなりますよね?
はい。そうですね。今、盛んに叫ばれている「子供の6人に一人が貧困でぇ!」という言葉って、確かに論点もあるんですけれど、現実的には「ただの政権批判」「政権のマイナスイメージの刷り込み」に利用されちゃってるところが大きいってことを覚えておいてください。
ちなみに私はフリーになって3か月間は、3か月で収入が10万円でしたからね。子供は3人。長谷川、ゴリゴリの貧困層でした。蔦屋でDVDとか借りて家族で楽しんでましたけどね。
そして、もう一つ。
なんでこんなイメージ操作が出来ちゃうか、と言いますと…多くの日本人が「絶対的貧困」と「相対的貧困」の区別がついていないことからくる「誤解」なんです。
コメント欄を読んでいますと、どうも「貧困」と聞いて「絶対的貧困」のことを想像している人が多いようです。
「貧困」には2種類の定義があります。
恐らく、コメント欄の感情論の多くが「絶対的貧困」を考えているようです。これは生きるのすら危ぶまれる…衣食住の確保が厳しく飢餓で苦しんだりと普通に生活するのが絶望的な状態のことを指します。
私が取材したカンボジアのゴミ山の子供などもそれに当たります。義務教育を受けることが出来なかったり、識字と言って文字を読むことが出来ないような状況もそれに当たります。
もう一つは「相対的貧困」です。
多くのコメント欄でガーガー言ってる方は、これをずいぶん誤解されているようです。
これは「死に直面した状況をさすわけではなく、自分が暮らす地域での一般家庭という基準のもとに存在する定義』に当たります。
要は、日本はアベノミクスで金持ちがかなりハイパワー金持ちになりましたね。
でもデフレも進んでいますので、今や最安値の格安スマホなどは月に1980円~で持てたりします。「貧困」とか言いながら他を切り詰めれば、スマホは持てますし、SNSは出来ますし、アニメグッズも買える可能性があります。
それでも「貧困」なんです。「貧困」って言葉は「定義」が存在するので、そのゾーンに入っちゃうんです。
日本の社会保障制度やライフラインの整備状況は、世界的にも最高峰のシステムです。私はこのOECDの基準を踏まえた上で…
日本における「貧困」は…苦しいことは確かだが、努力で乗り越えられないとまで言えるほど「世界的には」深刻な物は極めて少ない
ことを取材の過程で知っていたので、前回のような記述になったわけですね。
中国がどうの、スラム街がどうの、と必死に言われてもねぇ…(苦笑)。そんな話してないし…。
最低レベルの生活保障は日本ではかなりなされており、そのシステムは世界中が模範にするレベルです。それらを整えてきた行政に対するただの『レッテル貼り』は辞めた方がいいと思います。NHKのあの特集はそこを押さえていなかったので同じメディアにいる人間として指摘させていただきました。
四の五のと遠巻きに言ってる変な人たちもいるようですが、日本においては、私の前回のコラムでした指摘はそこそこ大事な指摘だと思いますよ?
異論・反論あるならいつでもどーぞ。
コメント
コメント一覧
貧困という言葉を聞くと、多くの人は絶対的貧困を思い浮かべると思います。
それは、前回の記事で多くの人から絶対的貧困に関するコメントが寄せられたことからも明らかでしょう。
貧困という言葉の定義が複数ある以上、どちらの意味で使っているかを明確にするべきではないでしょうか?
あと、一時月収10万の時期があったからってそれまでの蓄えがたんまりあったでしょうし、それでゴリゴリの貧困って。共感できる人いんですかね?
OEDCが定義する貧困が逆境に立ち向かうための良い環境になる?うちの実家もここに当てはまりますが、必要なものはありましたし、貧困だの感じたり、ここから抜け出すために頑張ろう!と思ったことないですよ。
ここで何かを指摘した所でNHKが変わるわけじゃなし、本質を見抜くにはどうしたらいい?など、前向きになれるエントリーを希望します。
NHKが社会問題として取り上げるとしたら、何らかの意図があるということが、
今回の件で明らかになりましたね。
予算を引っ張りたい団体があるってことです。
「貧困偽装対策会議」や「かながわ子どもの贅沢対策会議」が必要でしょう。運営予算は最小限でお願いします。
可処分所得の50%,と言ってるけど、本来、この%は母集団によって任意に替えて利用するものじゃないのかな? 国の事情が有るんだから一律の比較は別の目的で使ったんで、国別の比較のための50%、これが日本のJk が貧困だと言うのは最初から無理があったんだ。レベルABCDとかの方が学術的ですよね、あのJK の貧困度はレベルDか? 認定証でも発行するのかな?これも格差を表面化するのでいけないか、
貧困女子高生の話、
http://bylines.news.yahoo.co.jp/sendayuki/20160825-00061485/
オモロすぎて、鼻水でましたわwww
それと、セロトニンとドーパミンの事はサラリーマン社会に置いても、色々関係してそうなので、また書いてほしいです。
わたしは以前シングルマザーでした。当時の生活は、母子手当てをもらっていてもかなり厳しかったと思います。
でも、子供の服は成長に合わせて買い換えることができたし、習い事も1つだけど通わせていました。美容室には行けなかったけど、市販の髪染めを買って自分で染めることはできました。それから、わたしの住む地域は、車がないと不便な街なので車も持っていました。
月収は総支給で15万なかったと思いますが、その中からアパート代や光熱費も払い、生命保険や学資保険も払っていました。
これが、日本でいう【貧困】大多数だとおもいます。
ちなみにうちの子は、おもちゃもゲームもなくても、自分のからだ1つで遊ぶことできます。貧困から生まれる想像力、プライスレスです。
別にくってけるからいいとか、金額の絶対額ではなく、社会内の格差として。
あとはシングルマザーの貧困率とかか
私の身近でも阪神大震災のせいでお父さんの経営する工場が倒産、金のかかる私学の工学部を中退した後輩がいましたし、同じく父親がパチンコ依存症になって借金まみれになって大学中退をした同級生もおりました(苦笑)。東北大震災なんてそんな昔じゃないし、原発事故の影響で農業漁業のみならず職を失った家庭は山ほど存在すると思うのです。ましてこの不況下。
こういう表現は不適切やも知れませんが、本当に貧困な家庭っていくらでも見つかると思うのですが・・・。なんで、ああいう事例を持ってきたんでしょうね? やはり何らかの団体の恣意的な圧力があり、「組織」で活動している彼女の宣伝をする必要に迫られていたような気がしてなりません。ま、完全にすべりまくった結果に大笑い。NHKの信用がさらに地下まで潜ったような気がします。
とか、マスコミ出身の太陽エネルギーに執心の革新系の知事でしたっけ、
そんな知事だからNHK の記者を委員にいれたり、彼が何か絡んでるんじゃないのかな?
余り話題にでないけど、亀のように首を引っ込めているなかな~
とても興味が沸いてきたな~
①相対的貧困の場合
相対的貧困は数式できまる定義ですので、かなり儲けてる人がいたら、相対的に一般家庭の中で低い所得の人は相対的貧困に定義されますよね?つまり、相対的貧困を減らそうって、みんなの所得をなるべく均等にしようという意味と同義だと思うのですが、いつ故障して職を失うかわからない野球選手も、プライベートが無いような生活で頑張る芸能人の売れっ子も、みんな一般サラリーマンと同じぐらいにしたいのか、数を減らすかしたいのでしょうか?共産主義者か何かなのですか?思想は自由かもしれませんが。
②絶対的貧困の場合
まず、今回のNHKのニュースが絶対的貧困についてでないですし、絶対的貧困のニュースを長谷川さんが否定する文章は無いと思います。なので絶対的貧困についての話題ならこれもなんでこんな長谷川さんが言ってもいないことを非難してるのかなと疑問に思うことになります。
一番問題なのは、一方的な見解しか放送しないことが全然問題にならない、放送法を守りもしない放送がまかり通ってることですよね。
長谷川さん、色々と私の考えや見方に間違えがあると思いますので、可能でしたら訂正とご教授よろしくお願いします。
isiさん
かなり論点がズレてると思いましたので投稿してしまいました。
1まず長谷川さんは「メディア側の人間が「まずくしくても頑張ればなんとかなるよ。」までならともかく、「貧困って必ずしも悪いことじゃないよね」「日本は恵まれてるから生活はできるよね。」「自分が努力すれば乗り越えられるよね。」と言ってほしい」なんて言っていません。
「貧困かわいそうだねぇ、行政が悪いねぇというレッテル貼りしかしない放送には問題がある」と言っていませんか?私はblogを読んでそのように理解しました。
2「でも、貧困はよくないよね、貧困を減らしましょうねという向きの番組がなくなれば、そっちの方がよくないと思います。」まず、そもそも、長谷川さんは、「貧困はよくないから減らそう」という番組を減らそうと考えてないですよね?どう読んだらそのように感じるのでしょうか。まずその時点でこの文章はコメントとして明後日の方向に行ってると思います。
また、それをおいといたとしても、貧困って相対的貧困ですか?絶対的貧困ですか?今回の長谷川さんの話題は主に相対的貧困をあげてますので、普通なら相対的貧困をとりあげてるはずです。
私は、3600円の食事をしてもいいと思います。
3600円の食事をして、1000円くらいの食材で自分で再現してみようと言った工夫があってもいいのでは。
あの高校生のツイッターからは、2000円・3000円の食事をしたり、DVDやアニメグッズ大量購入の散財しか伝わってきません。お金を使うだけ。節約の努力とか工夫がまったく感じられないのです。
「アパートに冷房がないから保冷剤」「パソコンが買えないから1000円のキーボードで練習」は、努力や工夫と言うより、貧困を強調している演出にしか見えません。
貧困状態でも、アニメグッズに大金を使ったり、豪遊ができる。
多くの人が貧困の現状を知ることになりましたね。
それに紐づく感情は置いといて、これが定義ですよと。
それを踏まえて意見を述べられているので、なるほどなと。
いちいち意見をけなすのはいかがなものかと。
ただの揚げ足取りですやん。
給食費や修学旅行代をどうしても工面できない、このくらいなら貧困なのでしょうが、生活保護やさまざまな援助で対応できるはずです。
かく言う我が家も息子をカネのかかる私学に進学させたところ、同級生が毎月5万の小遣いを貰っている、ウチは貧乏だと言われてしまっていまして。上を見たらキリがないんですよ。
半ば公人の人間が、自らの憶測とか想像、そして物語仕立てで、物事の本質を茶化してしまう。誤魔化している。
長谷川氏が繰り返し、繰り返し、冷やかしの言葉として使っている「高給取りのNHKクン」という表現にそれは現れている。
NHKより高給取りだったフジテレビの元社員で、今はテレビの人気キャスターのあなたが、サラリーマンを高給取りなどと冷やかせる資格などない。
NHKの問題が出てからネットでもようやく賛否の意見が出てきたが、
子供の貧困という本源的な問題の議論ではなく、ただNHK批判に終始している姿は、
わざと子供の貧困の根本的な問題を隠すか、歪曲していることなのだと思う。
片山さつきさんに至っては、長谷川氏同様、日本に子供の貧困など無いと、
今の自民党政治を擁護しているにすぎないし、長谷川氏の主張もまた、ネトウヨ系読者から
共感を得ようとするのか、問題を歪曲していることに間違いはない。
マスコミ人ならご承知だろうが、最初に日本の子供の貧困問題が出されたのは
2008年のOECDの白書からで、それをマスコミが最初に取り上げながら、
政府や厚労省は重い腰を上げず、ついには2012年の厚生白書ではじめて、
日本の子供の貧困率は16%と発表しただ。
その後、朝日新聞が2012年から連載をはじめ、NHKが番組で最初にとりあげたのは
2014年のことなのだ。6人に1人が貧困という数字は、厚労省が発表した数字で、NHKや朝日新聞が発表した数字ではないのだ。
どうかご自分の価値感じなくて、客観的なデーターをもって、
子供の貧困、日本の貧困、ひいては格差社会、母子家庭、生活保護者の実態について
論じてほしいものだ。
・日本の子供の6人に1人は貧困だが、本人にも自覚がないのがほとんど
・少女はごく一般的な高校生で、大きな不自由もなく暮らしている。
・しかし、経済的には恵まれておらず、大学へ進学することも難しい状態
・実は、OECDの定義で言えば彼女も貧困にあたり、現在この「飢えない貧困層」が拡大している
・確かに彼女たちは生活を切り詰めたり多額の奨学金を借りれば大学へ行くことも可能
・しかし一般的名高校生には不必要な切り詰めや奨学金が必要なこと自体が、そもそもおかしいのではないだろうか
・彼女はこの現状を訴えるための講演会へ参加した・・・(略)
・OECD加盟国の中で日本の公的資金比率や教育投資比率は最低レベル
・この国の未来を作る子供たちへの教育環境が整っているとはいえない状況だ
のような構成で紹介されていたら、絶対に違っていたと思う。
事実、少女は一般的な人と同レベルの、飢えず、遊べて、楽しめる生活を送っているわけで、ことさらに「悲惨な現状」を作りだす必要はなかったはず。番組を盛り上げるために彼女を被害者にしたてあげたせいで、被害者を装った加害者に仕立て上げられてしまった。
はぁ???
と思ったひとりです。
長谷川さん、こんなに噛み砕いて説明してくれるなんて、本当にやさしいなぁ。
お金よりも思考の貧困層が日本人には増えてるのかもしれませんね。
貧困家族、政治家、ジャーナリストが貧困問題を論じるのは理解できるけど、関係のない人は貧困問題を考えるよりも自分の収入・支出をいかに効率的にするか考えた方が人生豊かになるのでは。
月15万円もあえば、田舎にいけばめちゃくちゃいい暮らしできますよね(笑)
スマホも抑えれば、本体分割代合わせて、5000円で使えますし。
動画もほぼ無料で世界中のコンテンツ見れますし、月980円払えば、アマゾンでキンドル本も好きなだけ読めますし。(すべてが読み放題では無いですが)
正直、貧困どころか、
お金がどんどんなくても昔より豊かな生活が出来る世の中ですよ、今(笑)
プライド、見栄を捨てれば、本当に豊かな生活が既に出来るのですがね。。
友人は3人家族で、25歳ですが、長野県で家賃3万で庭付きガレージ付き、部屋数6つの一軒家に住んでます。物価が安いから、子供が生まれたら引っ越ししたみたいです。
多分、情報収集と(ググるだけですが・・)、プライドと見栄を捨てる、そして少しの創意工夫があれば、この日本で『お金』が原因で苦しむ事は無いです。
東京で仕事するとしても埼玉や千葉にいけば、都心まで40分位で通勤できて、家賃6万で住めます。(僕が住んでました)しかも、部屋数も3つありました。
NHKの女子高生問題でもうちとかなり似ています。
相対的貧困なので物を捨てません。
子供手当、一人親手当か入れば、手を着けずにずっと貯めていられたら来年中学校にあがる制服代も部活費用も難なく出せるでしょうが、
日頃の節制で息子可愛さに、『手当が入るから誕生日近いからディズニー8年ぶり行こうか?』とか、
『夏休みだからせめてプールくらい』
『ずっと我慢させてからゲームくらい』
私だってなります。
しかし、NHKの放送後の議員さんの議員らしからぬ発言や無責任な吊し上げ報道に悲しみしか感じません。
貧困とは?この言葉に心を感じた記事は長谷川さんだけでした。
ありがとうございました。これをお伝えしたかったので。
この手の話で弱者救済を訴える人間は、自分の私財をなげうってまで金銭的な援助した人はどれくらいいるのか!?と思うし、ほとんどはごちゃごちゃ言ってるだけだと思う。
大体見下してるから可哀想って発想が生まれるのだし…その考えの方がよっぽど悪ですね。
例えば「統計上の貧困」とか「いわゆる貧困層」のような
言い回しをしていない以上、伝わらなくて当然です。
それはそれとして、
「素晴らしい恵まれた環境」であり「負けない力を得るチャンス」
という主張には賛同します。
私自身も貧困家庭に育ち、その定義によると現在も貧困ですが、
幸せに暮らしています。
貧乏人は貧乏人らしく、ぼろぼろの服を着て趣味など持たずスマホも持たず、一食150円くらいの何が使われてるか解らない激安弁当で昼飯をすませ夢など見ずにつつましやかに暮らせ!そうしたら貧困だと認めてやってもいいぜ。というふうに言っているように見えます。
そんな、解りやすい貧乏人が今のデフレの時代、そうそう、いるわけがないじゃないですか。
目に見えて貧乏ではないけど、現実問題として進学するカネがない、結婚するカネがない、子供をつくるカネがない。そんな人たちが増えている。それはこの国のありかたにも影響する話だと思います。
「世界的に見て深刻な貧困など日本にはない」、などというレベルの話ではないし、その問題を提起するために、名前も顔もさらして!テレビに出てきた女子高生は立派だと、私は思います。
なんか、もやもやするんですよ。
釈然としないというかね。
自分ルール、自分基準というのがあります。
「あの高校生のどこが貧困なの?」と突っ込みたくなる人が多かった。
だから、炎上しているのです。
OECD基準より、自分基準なんです。
神奈川子どもの貧困対策委員会で、
「あなたの当り前は、当り前じゃない人がいる」
と語ってましたが、
貧困が理由とかではなく、個人のお金の使い方の問題でしょう。
あの高校生にとっての当り前は、
3615円の食事をしたり、友人の分も負担したり、DVD、CD、アニメグッズに大金を使うことなのですかね。
貧困の定義からすれば、なんら問題ないと言うことになりますね。
アクセサリーやブランドバッグを購入していても、「私は貧困です。貧困の現状を知ってもらいたいです」
と主張できると。
神奈川県・平成28年度予算案の30ページ目「子どもの貧困対策の取り組み」を見ると、
323億円もの予算で貧しい子どもの支援をすると書かれています。
この予算を引っ張りたい人たちがいると言うことではないでしょうか?
何故被害者ドラマを公共の電波を使って(しかも国営放送)やるのか。
女子高生云々、実際はそこそこ恵まれた家庭だとか正直どうでも良い。
国や制度や社会が悪いのか。
この手の番組の結論は大体読めるし腹が立ちます。見なきゃ良いだけなんですけどね。
前回のブログ読ませてもらって、実は長谷川さんは優しい人なんだな、と思いましたけどね。
口は滅茶苦茶悪いかもしれませんけど。
長谷川氏の言葉は確かにキツいです(笑)
でも、ブログですから自分が書きたい事思った事を自由に書いても良いスペースですよね
酷い例ですが、殺人予告や個人の住所や秘密などを悪意をもってばら撒いたりしたら犯罪だと思いますが…
素性を明かした上でこれだけ言うのだからそれなりの覚悟がおありだと思います。
やだな、気分悪いと思ったら読まなきゃ良いし、コメントでいちいち反論したりしなきゃ良い
逆に勉強になると思えばそこを掻い摘んで知識にすれば良い。
色々な方のコメントにもありましたが、長谷川氏が、釣ってらっしゃると見れば、反論コメントがどんどん増えて、それは大成功な結果なのかもしれませんが
なかなか性格って変えられませんから、反論しても、自分は間違ってました。すみませんでした。
とはいきません
反論はさらなる反論を産むだけで、こちらのブログが世の中の何か変だ⁉︎を変えるために発信しているのか、小さな世界であーでもないこーでもないとただコメントが錯綜してストレス発散で終わるのか
後者だととても残念です。
私は長谷川氏の情報は概ね共感しています。
長谷川氏個人の体験談などはあくまで俺の場合はという事で全ての人に当てはまるはずも無いのだから突っ込まなくて良いのでは
長谷川氏が変だ‼︎という事ではなく
日本のメディアや政治家が言っている事が何か変だをもっともっと国民が知るきっかけにこちらのブログがなれば良いなぁと思いつつ、私も何人か知人に紹介しました。
選挙に行って顔や、知名度だけで票を入れてしまう事故も防げるかとも思い…
偉そうに申し訳ないです
コメントを読むうちにふと思いました。
ありがとうございます。間違えました(笑)
ここ最近だったら、明らかにおかしいですよね(笑)
人間の見間違いというのは怖いですね…気を付けましょう(笑)
ブログ主への好き嫌いの感情は別にして、まずは伝え方が足りなかった事のお詫びとわざわざ説明してくれたことへの感謝、そのうえで真意を伝えたり追加コメントするのが礼儀だと思います。また、その方が読み手も見やすくなると思いますよ。
キャリアが積めず結婚もできない女性はどうすればいいのか
https://news.careerconnection.jp/?p=26922
将来のキャリアを描けない仕事に低い給与で従事する
「中年フリーター」が問題になっている。
新卒時に不景気に伴う就職氷河期に直面し、
正社員を諦めざるをえなかった世代だ。
そんな彼らも、いまでは40歳前後になっている。
35~44歳の独身女性の労働者数は2015年時点で190万人。
そのうち非正規は79万人、41%を占め、
2005年と比較すると14ポイントも増えている。
彼女たちが「独身非正規アラフォー」となった背景について、
記事は結婚しない女性が全体的に増えたことや、
女性事務職が派遣などの非正規に置き換わって
キャリア形成がうまくできなかったことをあげる。
IT技術の普及の影響もあったことだろう。
横浜市男女共同参画推進協会が行った調査では、
35~44歳の独身非正規女性の7割近くが年収250万円以下。
回答者からは「20代は正社員だったがリストラ。ずっと非正規で貯金もない」
「両親に介護が必要になったり自分が病気になったら破綻する」
といった危機感を訴える声があがる。
20年前の大学卒業時が所謂「就職氷河期」で
正社員になる機会を失い、無理やりもぐり込んだ
職場では結婚の対象となる男性が居なくて
ズルズル年齢を重ねて来た結果
金も男も居ないアラフォー独身女性が
190万人も居るとは驚きですね。
この3タイプの若者達は
どんな部類の「貧困者」に
区分けされるのでしょうか?
その理由第1位は…
https://news.careerconnection.jp/?p=26902
昨年10月に発表された「平成27年版厚生労働白書」によると、
20~30代の未婚男性会社員300人の41.7%にあたる125人が
「生涯未婚でも構わない」と回答していた。
調査結果では、彼らに
「生涯独身でも構わない理由」を聞いていたのだ。
その結果、もっとも意見が集中していたのが、
やはり「お金を自分のためだけに使えるから」。
「何が悲しくて、毎月の雀の涙のようなお給金を
奥さんとシェアしなきゃならないの?」って話なのだ。
ましてや結婚すれば、いずれは子どもを儲けたくなるだろうし。
するとますます自由に使えるお金なんかなくなる。
こんな余裕のない生活をしている独身男性がいるのだ。
山ほどある欲しい物の中から、
安くで手に入るものを選んで購入する。
こういう楽しみぐらいしかない
独身男性を、何人も知っている。
独身男性が自分のためだけにお
金を使いたいという願いを抱える背景には、
とてもじゃないけど自分以外の誰かを
養う余力がないという現実が隠れている。
「どうして今の自分が、かろうじて
満足するだけの生活をしているのに、
扶養家族を持たなくてはならないのか?」
独身が気楽だからではなく、現実的な、
人間らしい生活を成り立たせるために、
独身でなくては難しいという
環境の独身男性は大勢いるのだ。
なるほどねえ、自分一人だけの生活費で精一杯で
他人(妻)を養う余力が残されていないという
誠実な思いを抱えている独身男性が
4割を超えている現状については
考えさせられるものがありますねえ・・・
「貧困者」に日の目を当てないで
机上の空論に終始していると感じました。
少し長くなり3回に分けて抜粋記事と
その感想をアップしようと思います。
https://news.careerconnection.jp/?p=26494
「25歳の単身者が生活するには時給1526円が必要」
――全労連のデータが話題、
2016年度の最低賃金822円との差は倍近く
厚生労働省の中央最低賃金審議会が7月28日、
2016年度の最低賃金の改定額の目安を発表した。
適用されれば、東京は時給907円から932円に、
現在693円で最も低い沖縄や高知など
4県の時給は714円になる。
だが、この額でフルタイムで働いたとしても
依然生活に余裕はなさそうだ。
人間らしい生活には最低でも額面で月21万円が必要
25歳の単身者が1か月の生活に必要な額は額面で
22万8853円(手取り18万4770円)。
これを時給換算すると月に150時間働いた場合1526円になるという。
最低生計費は、25歳の単身者が賃貸ワンルームマンション
(25平方メートル)に居住という条件で算出。
健康で文化的な生活を送るために必要な最低額を出した。
その結果、最低生計費が最も低い広島県で額面が21万991円、
最も高い静岡県で25万1490円が必要という試算が出た。
平均すると額面で22万8853円(手取り18万4770円)となり、
月150時間働いた場合の時給換算で1526円。
最低賃金審議会で用いる月の所定内労働時間、
173.8時間働いたとしても、時給1317円が必要になる。
現在の最低賃金の全国平均は798円。24円引き上げられて
822円になるとしても倍近く開いている。
「最低賃金を抑えながら1億総活躍を推進するのは奴隷化に等しい」
>「最低賃金を抑えながら1億総活躍を推進するのは奴隷化に等しい」
絶対的貧困者ならまだしも「奴隷」とは・・・
日本の若者世代に暗雲が立ち込めている感じですかねえ・・・(続く)
他の人も書いてたけど、どう読んでも元のコラムで「貧困」の定義に基づいた話なんてしてないじゃないですか。
批判殺到したので慌ててネットに溢れてる程度の「貧困の定義」を持ち出して来たようにしか読めないから、やめといた方がよかったねですよ。
「金がないのは一つの特徴に過ぎない」云々という当たりを何度読み直しても、そんな「貧困」の定義を前提にした話になっていない。
そもそも「貧困」って言ってないし。「金がない」「貧乏」という言い方しかしてない。
金がない人に対して「金がないのは特徴の一つに過ぎない、チャンスだ」って言ってるだけでしょ。
やっぱりお花畑満開じゃないですか。
前にも書きましたが、本当に金の無い状態は、あなたが言うような生ぬるいものじゃない。定義なんてクソ食らえだ。それは命にかかわる問題だ。軽々しく、しかも偉そうに講釈垂れてる場合じゃない。
NHKのあの特集に対して書かれてる以上どの程度の貧困の話をしてるかなんて普通にわかりますけどね。
そもそも前回の長谷川さんの書かれている貧困が貧困とは言えないと言うなら、まずNHKに「その女子高生のどこが貧困なんだ」と文句言った方がいいんじゃないの?
それともあの女子高生がスラム街で暮らしてるように見えたのだろうか。
日本における「貧困」世帯って、どんな雇用形態で仕事をしている人が割合としては多いんでしょうね。なんらかの疾患があって仕事に制限がある方はどのくらいいるんでしょう。
そもそもどのような生い立ちで生活してきて、「貧困」になったんでしょう。
努力でどうにかなるはずなのに抜け出せないということは、お金の使い方や、解決策を考え出す能力に問題があったりするのでしょうか。そういうことを学んだり、実行したりする努力に欠けておられるのでしょうか。
・・・考えてたらよく分からなくなったんですけど、努力で解決できることと出来ないことってどうやって決めるんですか?^^;
努力は報われることのほうが少ないと考えると、「貧困」から抜け出そうと努力したけどうまくいかなかったという事態も当然発生する(というか、そうなることの方が多いということになる?)と思うのですが、日本における「貧困」であれば努力が報われないとはいえないのはなぜですか?
(「世界的には」もっと深刻な貧困が存在するから、というのは理由ではなく単なる比較すので、これ以外の理由をうかがいたいです)
「私だったら~~できるから、みんなだってやろうと思えばできるはず」
「自分はやれた。だから同じ問題が解決できてない人は自己責任」
みたいなのってすんごい視野が狭いというか、人はそれぞれ異なる事情を抱えて生きているっていう大前提がスポーンと抜けてると思うんですよ。
それこそ努力の押し付けというか、あれ?人って不平等なんじゃなかったの?なんで能力みな平等って感じになるの?って思うんですが。
ちなみに、そりゃ人は不平等ですから「全ての人が同水準の生活を」とは思ってません。
NHK出演のJKの子も、なぜその専門学校を選んだのか。あの世界で成功する人は一握り。もっと安定的に暮らせる収入が得られる仕事はいくらでもある。貧困から脱することよりやりたいことを優先しているわけですよね。でも貧困で行けないから、貧困でもやりたい事が出来るように制度で何とかしてくれと・・・。何かおかしくないですか?貧困じゃなくともやりたいこと出来ていない人が大半だよ。
と思わせてしまう構成にしたNHKが一番反省すべきですね。
私は貧困家庭で育ちました。学歴も褒められたものではありません。卒業後はやりたいことよりも自分の性格に合った仕事を選び、数社職を変えたものの管理職にまで昇進でき、今は平均年収を大きく超える収入を得て、そして今やっとやりたいことを趣味レベルで始めています。もちろん相当な努力はしました。一方で努力や実力だけでなく、人に恵まれ、運もあったと思っています。
制度を議論するのはとても良い事ですが、卑屈になっている人はその前にもっともっと自己変革、努力しましょうよ。報われてないのだったらやり方変えてまた努力してみましょうよ。自己変革、努力すら出来ない貧困環境なんて無いと思います。相応の保護が受けられる現制度だと、私は思っています。
結局がーがー言う人たちは、貧困がどうのこうのという話は全く関係がなく、ただ、「弱い者いじめをするための標的を探しているだけ」だと思うけど。
要は、人の落ち度や弱みを鵜の目鷹の目で探して、少しでも弱みを見せた人を見つけると、ピラニアの群れ並みに群がりよって食い尽くす。こういう思考と行動をとる人たちがどんどん増えていて、今回のターゲットがたまたま「貧困JK」だった。こういうことなのでは?
長谷川さんはこういう人たちと向き合おうとするんだったら、一度映画「エス」を見たほうがいい思う。
この映画は、かつてスタンフォード大学で行われた悪名高き、「監獄実験」を題材にしたものだけど。
この実験では、心理学の研究のために模擬監獄を作って、そこに数十人の被験者を集めて看守役と囚人役に分けて入れた場合の行動の変化を調べようとした。
実験開始後、囚人役は元々囚人でも何でもないのに、本物の囚人のような卑屈で委縮した行動をとり逆に看守役は囚人役に対して横柄で尊大な態度をとり始め、その挙句暴力を振るい始めることでこの実験は打ち切られる。
この実験で分かったことは、人間は閉鎖的な環境下で権力を持つといくらでも、暴力的になるということだった。
それで、この監獄実験の構造を今のネット社会に当てはめると、何かあるたびに「正義」を振りかざして対象をたたこうとする人たちは、「看守役」になっていることが分かると思う。
ただ、現実の社会では模擬監獄と違って、「役割」はいくらでも置き換わり、今日「看守役」だった人物が、明日「囚人役」になってしまうこともあるのだけど。
今回の記事を読んで、さらに違和感を覚えました。貧困に関してです。
まず、前回の長谷川さんの主張は「貧しくても、それを乗り越えることで成長できる!」、
「それゆえ、貧困はある意味、金持ちより恵まれた環境なんだ!」というものでしょう。
前回のブログで、「OECDの定義する貧困の基準は***だから、
貧困といっても、世界的に見ればある程度裕福な中での話だな」 という前提を
持って読んだ読者がどれだけいるでしょうか?
むしろ、何の説明もなく、抽象論の文脈で貧困と言っているのだから、
長谷川さんの記述自身そのものが、誤解を招いたのではないでしょうか?
普通貧困と聞いたら、月収25万以下をイメージしませんし、絶対的貧困の方を
想起する人が多いでしょう。
日本における「貧困」は…苦しいことは確かだが、努力で乗り越えられないとまで
言えるほど「世界的には」深刻な物は極めて少ない
そんなことは、読者も皆わかっています。
前回のブログとあわせて読むと、今回の記事は議論のすりかえというか、
長谷川さんの言い訳にしか聞こえません。
さらに言うと、上記の記述は明らかに「極めて少ない」から問題じゃない、と言っている
ように聞こえます。長谷川さんの育ったご家庭も、所詮はその程度の貧困、であって
「極めて少ない」層には入っていなかったということを自ら証明しています。
私は医療関係で、生活保護を受けている患者さんもたくさん診てきましたが、
お金の支給の前になると、ほとんど食事もとらずに栄養状態が悪化する人もいます。
複雑な家庭の事情で公的サービスが受けにくい中、苦しんでいる
人もいます。
長谷川さんの認識も、自分の置かれている環境から見た社会の一面でしかないという
謙虚さをもってください。データや資料からはうかがいしれない現実があります。
ただ自分の周りに対して責任(義務とはまた別)を果たせたらそれでいーかな、って思います。
自分のいまの状況がいわゆるところのなにに当てはまるかいちいち考えてるのって暇なやつだなと思うし、それだけ余裕あるんでしょ。
定義つつくんじゃなくてそんなもん無視してさっさと自分のことをやっとこうと思いました。
そして私も「貧困の意味すら知らない」不勉強な人間でした。
ただ、前エントリーの貧困の話をするのならなぜ最初に貧困の定義を書いていなかったのでしょう?
そんなこと自分で調べろと?調べないやつは俺のブログに意見するなと?
コメントを見る通り、殆どの人が貧困の定義を知りません。習いませんしね。
それをわかっていて、わざとエントリーしたんですよね。釣りで。
そして震災の時のエントリーのようにわざと承認したんですよね。
前々から思ってましたけど、性格悪いですよ、ほんと。レベル低すぎですよ、ほんと。
長谷川さんはフジを辞めてから3ヶ月で月収が10万円で貧困だったとおっしゃる。
その3ヶ月だけ見ればそうなんでしょう。でも、その年の年収はおいくらですか?
フジ時代のお給料がありますから、年収305万は超えてますよね?
だとしたら、長谷川さんは自分が定義する【貧困層】ではありません。
(もし本当に年収305万以下ならそう書くべきです。自分が説明した定義なので)
多くの人が感じていることを私も感じました。
あなたは本当の貧困を体験したことがないんでしょうね。
中学生でお小遣いを月2000円もらってテニスをする。裕福ですよ。
3ヶ月の収入が10万円しかないのに蔦屋でDVDを借りる。なんて贅沢でしょう。
私ならその収入でDVDを子供に見せることなど到底できないと思います。可哀想だけど。
世界的に見ると日本の貧困は努力で抜け出せる可能性はあります。
でも、努力だけではどうにもならない人もいることは確かです。
それをカンボジアなどの途上国と比べて「それよりましでしょ?そんな深刻じゃないって」というのは
あなたが嫌うNHKと同じ上から目線だと思います。
ここ3ヶ月の収入じゃなくて、あの、例のとくダネ辞めた時の3ヶ月だと思いますよ。笑
道徳教育の基本は『奉仕の精神』だけでなく『真面目にコツコツ努力しましょう』ということも含まれると思うのですが、これは否定なさらないんですよね?
道徳、といえば北野武さんはこんな批判をなさってました。
『今時のウサギはカメなんか相手にしないし、コツコツ働くアリより、頭のいいキリギリスの方が幸せになれる。カネを握ったやつが社会の形を変えていく。道徳教育も考えを変えないと、まじめな子供たちが損をすることになる』(若干、たとえが古いような気もしますが・・・^^;)
ま、確かにその通りなんですよね。身もふたもない現実ですが・・・。
しかし、元AKB48の総監督だった高橋みなみさんは違います。あちこちで『努力は必ず報われる!私は生涯をかけてそれを証明したい』と宣言なさってますからね。
私たちは自分の経験してきたや見てきたことを、知らない誰かと共有することはできません。
恩を仇で返された経験を持つ人と、困ったときにはいつも誰かが助けてくれた人とでは価値観がちがうのはあたりまえ。
あの秋元康さんは『成功の98%は運だと思う』とおっしゃってますし・・・。
それを認め合えればいいんでしょうけどね。
ちなみに我が家は貧困家庭ではなさそうです。
ニュースサイトをチェックしてたら見つけたんですが、政権側の国会議員の大先生がこの件に乗っかってましたね。
この大先生は「貧困」を理解されてないみたいです。
NHKが理解してないのも問題だけど、国会議員の大先生達の中で、与野党共に理解していない人が沢山いらっしゃる可能性があると思いました。
国会議員には立候補するような人は最低でも、政策秘書レベルの「試験」に合格するくらいの実力がある人でないといけないと思います。
安易に数を減らすんじゃなくて、質を高めてもらいたいものです。
いざという時のための蓄えがないというストレスは、強い不安、不満を生みます。
貧しくても子供に精一杯の愛情を注いでいる人たちもたくさんいますが、一方で経済的困窮が子供の虐待に深く結びついてることも事実です。
2009年7月に公表された全国児童相談所長会の調査結果によれば、虐待につながる要因として最も比率が高かったのは『経済的困難』で33・6%でした。
もともと何らかのハンディキャップを抱えている家庭には、そこに経済的困難が加わることで、さらに問題が深刻化することにもなるのです。
虐待と経済的困窮の議論は、当事者への偏見、非難につながる恐れもあり、慎重でなければならないという声もあります。だからと言って見て見ぬふりをすれば、事態はますます悪化するでしょう。経済的困窮は『弱い立場の者へのしわ寄せ』という側面もあります。他者に対する依存を余儀なくされている女性、子供は暴力などの被害を受けても、すぐに逃げ出すことができません。(友人、親戚などからも孤立している場合が多い)
加えて、女性は子供の養育の当事者としての役割を担わされがちであり、視点を変えれば虐待の加害者になるリスクも負っているのです。
経済的困窮、格差は『分断』を生み『社会的共感』も阻害します。手をこまねいている時間はないのです。
1 叩き目的だけのコメントは薄気味悪い
このブログで言えば当然のように長谷川叩きだけが目的のコメントがあるわけです
2ちゃんのニューススレでも同じ
もう忘れたかのようですが
あの北海道子供置き去り事件の時は
バッシングでスレの伸びがすごかった
もちろん子供が無事何事もなく発見されてからはすぐ沈静
熊本の時のテレビ局コンビニ弁当事件?の時もすごかったけど
こちらは局が無視していたら自然鎮静化
2ちゃん人は
相手にされないとつまらないようです
だからベッキーの件も
再始動したら叩いてやろうという2ちゃん人が大勢いるんだろうな
こりゃーベッキー 復活は無理かも
このところ立て続けにテレビで2ちゃんに関するディスカッションがあり
2ちゃんの効用として ガス抜きになっている
という意見がありましたが
その一方レスを重ねるうち感情がエスカレートする人も多い事も否めないかと
こういう叩き目的だけのコメントは薄気味悪い
2 同じ立場である事って
例えば今回の場合 貧乏でないくせにみたいな
議論しているとそういうレベルに持って行こうとする人いますよね
昔っからそーなんですけど
以前 友人のお悩み事相談の時友人は感情がたかぶってしまい
「結婚していない人にはわからない」
「子供のいない人には解らない」
「離婚して一人で子育てしていない人にはわからない」と次々に
今回の場合
たしかに金持ちで育った人に語られると
ん? と思いますが
でも意見は意見として聞きたいと思う
ちなみに自分 ビンボー自慢では負けません
と私も考えてます。
ブログ主の言う「貧困」って
・金無いから川にキャンプ行って魚取ってました。
・畑からトウモロコシ捥いで茹でて食べました。
・竹ひごで弓作って、木の上に秘密基地作りました。
とかそんな話ですよね。
・・・・・それ、「貧困」ではなく金無いだけ、精々「貧乏」な だ け で他は恵まれていた、単なる自慢話。・・・・・
ブログ主の少年時代も「貧困家庭」ではなく、「最も恵まれた家庭」だと聞こえました。
「貧困」と「貧乏」は 別 。
「調べてないけど気のせい」と言う事にしている。
コレが、日本の貧困問題に対する私の考えです。
「捕捉率」について調べてください。
NHKのヤラセ程度の知識しか無いってことは無いと思いますが、「貧困」の実情も勉強しなおしてくださいね。
こんな変なこと書くなら、「貧困」と「貧乏」の違いでも書いてください。
・・貧困層の受け取れる金についても、捉え方も、書いてあります。
調べて見て下さい。・・・
ドヤ顔で定義定義と仰っておられますが、
感覚的なものを否定するのは如何なものでしょうか?
たとえば立春を迎えたからといって季節感はとても春じゃないですよね。
雪も積もりますし、春というよりむしろ冬真っ只中という感じです。
ところでテレビ関係者様の定義では、
我が国に不法に入国して他人の土地に勝手に住み着いて居座り、
強制送還しようにも相手国から受け入れを拒否されたために
止む無く特別に滞在することを許可したところ、
我が国法律も社会ルールも生活ルールも守ることなく
犯罪を生業として寄生すrことは悪い事ではないのですね。
悪人が善人の命を奪うために使用している殺人兵器に使われているネジは、
自分が殺人兵器の一部であることを知らないでしょう。
仮にそうであることを指摘しても「自分は殺人などしていない」と否定するでしょう。
しかいそのネジは紛れも無く殺人兵器を構成するひとつの部品なのです。
そしてあなたは、まさにそのネジなのです。
頭の悪すぎるあなたには自覚することが出来ないでしょうが・・・
分かり易い解説ありがとうございます。
うちも貧困層です、薄々、いやハッキリと感じてはいましたが(笑)
ただ、子ども達が自立してるのでなんとか生活はしてますが…私は未だガラケーだし主人も例の1980円のスマホです。
贅沢はできませんが生活できてるのでコメントでいろいろ批判されてる方からみれば“甘い”かもしれませんが(苦笑)
それと努力は報われるとは限らないですが無駄にはならないですよね。
少なくとも経験値として人間力を養っているのではないかと思います。
私は子どもの頃から不自由するほどではないですが決して裕福ではなかったので欲しい物を我慢するのは困難ではありませんでした。
なので今のボンビー生活も平気なのかもしれません。
それはかつての厳しい経済状況の中で努力してきた事が経験としてあるからです。
ただ、心まで貧困にならないようにとは思ってます(笑)
ドヤ顔で論破コメントって、
読んだこっちが恥ずかしい。
「ググれカス」
と返されることも減りましたね。
今は、ネットを使ってる人の大半が
ネットの賢い使い方を知らない人になってるってことでしょうね。
毎日ネジを止めるラインで働き、週給が1,000ドルあったそうです。
今は400ドルだそうです。だからトランプを支持すると。
90年代初頭に日本の最大手商社から52歳で子会社の社長へと出向した方から、
「俺たちが世界飛び回って働いていた70年代頃のウチの平均寿命知ってる?」
と聞かれ、私が答えられずにいると「47歳だよ」と。
40代に入るとほとんどの社員が何らかの病を得て現場から閑職へ退くとのこと。
「52にして既に数十回の同僚葬儀に出席した」そうです。
「当たり前」のことがそうでなくなるのはアッという間です。
日本の中間層は壊滅的打撃を受けた敗戦からたった数十年で
>子どもが社会に出て働くまでは衣食住と教育に関して何の心配もなく生活できる状態
(すみません。トワレさんのコメント欄から拝借しました)
を当たり前のものとして手にしましたが
今度はそれが当たり前でなくなろうとしているに過ぎません。
経済発展を遂げた先進国の国民は永遠に飢えや貧困から解放されるなどと考えるのは傲慢です。
喜ばしいことでは決してありませんが、
科学技術の進歩は着々と達成され、誠実且つ懸命な労働の価値は大きく減じました。
教育機会格差や就業形態にのみ原因を求めていられるのも今の内だけ、とすら思います。
セーフティネットをどれだけ整備しようと、変化そのものを止めることは出来ません。
ならばその変化を受け入れた上で、なんとか自分なりの幸福を模索する以外、
他に方法などないのではないですか。
頭の良い人に謎な反論かまして自分が賢いと思いたいだけの馬鹿ですから(笑)
こうゆう馬鹿に正論は意味無いんですよね。
どーせ貧困なんて一定数いるのだから、前向きに捉えるのは正解。
上手くいかない人生を親や国のせいにして逃げ道を作るっていうのは違う。
その思考を手助けしてる意味でも今回のNHKの罪は重いと感じます。
伝わらなかったようですが、私は、こういう定義を訊ねたのではありません。
が、せっかく定義を紹介して下さっているので、関連してコメントさせていただきます。
貴方は、前回の記事で、貧困がマイナスではないことを説明するのに、自らの経験をあげられました。
ただ、今回の定義の話に照らし合わせれば、ファミコンのソフトが買えなくても、炊飯器を40年使おうと、小遣いが500円だろうと、(相対的)貧困であるとは限らないと言うことですよね?
むしろ、ただの節約をしているだけで、必要なものを切り詰めて、何とか生活しているレベルではないんじゃないかなぁとすら感じました。奨学金を利用したかもしれませんが、大学まで(しかも私大!)卒業してるわけですしね。
そういう中で、さも、自分は貧困側の人間で、貧困は悪くないんだぜ、というような論理ってどうなんでしょう?
別に生活に困ってない人が少し節約をして、本当に困っている人に「金がないことは悪いことじゃないんだぜ。」と言うのって、貴方の仰るNHKくんと大して変わらないですよね?
まあ、最後の方は貧困という言葉を使わず、金のあるなしと表現されているので、「誰も 金がない=貧困とは言っていない」と言われればの通りですがね。
いずれ、貴方の経験からきている、「金がないことで貴重な体験ができるんだ」というご意見の、金がないってどのレベルのことを言っているのかなぁというのが気になったので、お尋ねしたのが真意です。
私はそのNHKの番組は拝見することができなかったのですが、ほぼ長谷川さんと同じような感覚でこれらのネットニュースを読みました。
『貧困』という定義は長谷川さんのこの記事によって初めて知りましたが、私の中での定義は、「子供が生活のためにバイトする状況」であることかな、と思っています。ですので、この「自分の趣味に費やすお金を持っている女子高生」を『貧困』と決めつけるのは、『貧困ではない者による上から目線の同情』でしかないと思いました。
しかし、実際は、『貧困』とは定義で語れるものではなく、それぞれの感覚から生まれる「自己認識」にすぎないことは間違いなく、そういった「可哀想」「助けよう」という上から目線の優しさにより、自分を不幸だと捉える子供たちが増えることは問題かもしれませんね。
貧乏から這い上がることのできる人も決して少なくはありません。その人たちは、人と比べて自分の「ないもの」を探すのではなく、「それでもあるもの」「それでもできること」を知っています。
今では多くの人たちが『お金の本質』を訴えています。そういう教育をしていってほしいと、「かなり貧乏だけど、それでも世界一幸せ者」の私が言ってみました笑
という意見のコメントがありましたね。僕もそう思います。長谷川さんくらいなら、こう発言すればこう言ってくる奴がいるだろう、という想定はできるのでは?先手を打たずに突っ込まれた長谷川さんの脇が甘いと思います。だって、テレビで貧困とはそういうものなんだと垂れ流していて我々視聴者はそう刷り込まれているから、長谷川さんがここで月収25万でも貧困って言われてもねえ。
長谷川さんはキー局は出ないっていうけど、もっと大きい舞台でぶちまけた方がいいと思うけどなあ。今のメディア業界の中では、キー局側から見たら長谷川さんがノイジーマイノリティなんじゃないですか?名前出してるけど。世間から見ればキー局の方がやっぱり信頼されているし、フォロワーが3500程度本気論本音論は、日本全体のメディアの中では教室の隅っこで小声で文句言っている程度の規模なんじゃないですかね。
でも長谷川さんの言っていることは正しいことが多いので、やっぱり大舞台でもっと大人数を前にしてやってほしいです。それを目標としてくれていると願います。今の時点では、的は外れても主張を通した古賀さんの方が行動力は評価できるかな。
月11万円程度から家賃、食費、学費をまかなうことなどほぼ不可能。
本人の努力不足で貧困になった場合と生まれながらの環境で貧困である例は別問題と考えるべきでしょう。
結果の平等は保障されなくても機会の平等は保障されるべき。
これすら認めないというなら自分の子供の進学について学費と生活費を援助しませんという宣言をしてみたらどうですか。
そこまでやればあなたの行動の発言に説得力が出ますよ。
世界から見れば?
スマホを持てる?
長谷川さんのような昔の価値観で無理解な人がこの問題を大きくしていることを自覚してほしいです。
現在はデフレやファストファッション、賃貸住宅の余剰化で衣食住の絶対的貧困は減りました。
しかし「社会人になる準備」としての格差は広がるばかりです、もはや塾に行かないと受験に落ちこぼれます、大学だって学費は莫大です。
大学に入れなければほぼそこそこの企業への就職は不可能でしょう
昔は学歴による就職差別はあっても企業の正社員になれました、高卒でも大企業の工場や地方の営業所での採用がありましたが今や派遣です、非正規です。
そもそも今貧困で問題になってるのは家庭がシングルマザーや共働きで教育や家庭の大切さを学ばず怠惰な環境にあるのです。
つまり貧困の再生産です、なのに長谷川さんのように一時的に所得が下がっただけの人が得意げにわかったような主張を述べる事が間違いなんですよ。
NHKを批判できるような認識をもってない所は同じメデイアの人間と言えるかもしれませんが・・
感情面でとりあえず嫌いとなったらまあどんなこねくり回してもなんかいってくるよなぁと。
他方で、長谷川さんのスタイルの、なんつーか下品さ?口汚さ?を見てるとまあそれも解らないでもないんだよなぁ。そして、正直あなたの書き口はスタイルで治まるのか?とも思う。たとえ意図的でも元々の素地がなければできない部分もあるだろう。
長谷川氏に置かれてはまあ自分のスタイルに伴う対価、税金の様な物だよ。そういうのが嫌なら初めから徹底的に言葉の定義づけを先手打ってやればいいのでは。
変なコメントする方には、もはや、まずキライだっていう感情が先に来るならもう読まない方がいいよと。別の人の読んだ方が精神衛生的にも自身の時間の使い方としてもずっといいよ、と思う。もっと品性のある専門家の人のブログはたくさんあるよ。
長谷川氏の書き口が「ひどく自分の美感/価値観を逆なでする」のならそれは必ずしもその人の知的レベルの問題ではなくて、根本的にブロガー長谷川豊のペルソナが合わないんだよ。
よくコメントに「そこまでよく攻撃的/口汚いな」みたいな批判がある。実は私もこれは少し賛成で、なぜならコミュニケーションは相手方への信頼があって成り立つ訳で、長谷川氏のやり方みたいに他人をオケラにして信頼を損ないながら、でも「3000字以内で収めてるから言えない部分もあるけどちゃんと下調べはしてある(=おさまらない部分は信頼してくれ)」っていうのは少し都合がよすぎる。
建設的な会話には相手への信頼が欠かせないけども、それを自ら掘り下げるのだろうか。
よくわからんな。
すみません
続きです
福祉関係は国からの保護が手厚くなればなるほど、やはり甘えてしまう、それが当たり前になってしまう傾向は強いと感じます。
保育にせよ、医療にせよ、生活保護にせよ国が福祉を充実させればさせただけ甘えたい人達も増加して、まだまだ足りない
もっともっとと、いたちごっこな気がしました。
北欧は日本人にとって何だかとても良い国のイメージですが、マトモに働く人は税金を取られ過ぎて自殺者も多いと聞いたことがあります…日照時間が少ないのも原因かもしれませんが…
可哀想な人達がこんなにいるから福祉をもっと充実させてお金を沢山あげて!何でもタダにしてあげて!とアピールするより、貧しさや困難はチャンス、自分や家族と協力して努力して、道を切り開いて頑張ってとエールを発信する事の方がよほど健全だし、これ以上税金を不用意に大量投入しないためにも、大切な事だと感じました。
①貧しい人を今この瞬間に救えるのか?
貧しい人を減らしていく努力は必要だろう。でも、それを実現するには、急いでも時間がかかる。少なくとも今この瞬間に助けることは当然無理だ。
だから、現状のなかで、せめて前向きに生きるべきだと思う。現実を恨んで生きるんだよって言うんじゃなくて。
前向きに生きた方が良いって話に対して、貧困ってのはそんな甘いもんじゃない!ってコメントを出してくるやつが出てくるのかわからん。
それとも後ろ向きに生きた方が良いのか?
②でも、それでも貧困は難しい
親の年収と子供の学力の統計がある。年収が高い親の子供ほど学力が高いという奴だ。貧困は不利ではないと長谷川さんは言うが、どうだろうか。
子供が前向きに乗り越えれば、その壁も越えられるに違いない。しかし、越えられない子供が大多数でもあるのだ。
果たしてうちの子は越えられるのだろうか。
がんばれ。
貧困特集で子供に限らず貧困と言う位置づけで登場する人達が普通にスマホを持っていたり趣味のグッズがチラホラ画面に映り込んだりする謎が解けました。
話が逸れますが
いつも思うのは、この人達にお金や物品をただポーンとあげるんじゃなくて、お金の使い方や貯金の基本をファイナンシャルプランナーにでもしっかり教育させれば良いのにと…
以前医療関係の仕事だったので生活保護の方を見る機会が多かったのですが、彼らはペットに犬を飼っていたりiPhone6を高そうなレザーのバッグから出してゲームしたりしてました。
糖尿で働けないと週に何回か通院してきてリハビリと食事指導を無料で受け、そのあとオシャレなカフェでランチしてるのを見かけた事もあります。
彼らを見て思ったのは
貧しさがのし上がる原動力をフルに発揮していたのは救済措置など無かった時代のことなのやもしれません…
(反論ではないです)
生保の彼らに限らず
自分で努力したり工夫するより恥も外聞も無く安易に行政に頼る人が多い気がします。
同僚に、私鬱なんだ〜と言って数日来ると数週間休み、傷病手当金を貰ってる人もいました。
鬱⁇なのに忘年会には来てました(笑)
何故か休んでる間に地元のケーブルテレビにも出演してました(笑)
救済制度がなければ、またはもっと厳しい審査や、何かしら恥ずかしい思いをせねば受給出来ないとかだったら、もうちょっと頑張れるんじゃと思った事はあります。
と、コメントしようとして、睡魔にやられましたが、こんなことになっていようとは。
でも〜またまた論破し過ぎて
『気持ち良すぎですね!』
おやすみなさい。
で、件のお嬢さん。画材。まあ頑張ったら買えんこともないし、グッズもね。映画だってさ、前売りと映画デー駆使したら二回くらいは、へっ?六回も見てる?贅沢だな~。これで貧困ですていわれても、えっ?
金の使い方間違ってませんか?としか言えませんよ。
我が家は相対的貧困ではないにしても、子供が同じことしてたら、ふざけんなってなりますわ。
同情引くための演出なら、もっと説得力ある子供を出すべきでわとしか。出演料いくらだったのかしらと勘ぐってしまいます。
一部で言われてるのが共産党系のプロパガンダではと。は~、納得です。
まさにその通りです。
なぜ、生まれながらに貧乏人なのか。
なぜ、生まれながらに頭が悪いのか。
なぜ、生まれながらに醜いのか。
究極の問いですね。
原因のないところに結果はないんです。
努力は必ず報われます。
でなければ生きている意味はありません。
読んでてもわかりますが言い返す言葉なんてないですよね。
でも長谷川さんもスルースキル身につけた方がいいですよw言い返すだけ時間の無駄だと思います。
長谷川さんよりもっと言葉のスルドイ(酷い…笑)永江一石さんは「バカと貧乏は遺伝する」とブログに書いていらっしゃいました。
金銭的貧乏の遺伝は仕方がないとして、バカの遺伝はどこかで食い止めることができると思います。
と言うわけでバカな私は44歳にして独身です(笑)食い止めた。そうじゃないですね。
どうすれば貧乏を乗り切り、どう努力したら稼げるのかを学ぶ姿勢が大人にも子供にも圧倒的に欠けている気がしてならないんです。学ぶ欲があれば、貧乏から中流へ一歩近づけます。
奨学金が返済できない学生が大量発生しているのも、借金する前にちゃんと返済プランを立ててから借りないからだ!自己責任だと私は思います。これも「どうすれば借金をなくせるか」を借金完済した方から学ばないからです。
小さなことからでいいじゃないですか、節約とか倹約とか学べば、苦労した分得るモノは大きいと思います。
でも長谷川さんの言いたいことすんなり入ってきました。逆に反論してる人の意味がよくわかりません。だって日本の話ですよね?努力だって別に必要ないとも無駄だとも言ってないですものね?普通に考えたって、長谷川さん自身努力してきたから今があるわけだし。
冷静な反論ならまだしも感情的な反論は不愉快ですよね。アジアの某大国の人民のような発想の反論は恥ずかしいと思います。
日本語で貧困と言えば、ほとんどの人が絶対貧困を類推すると思いますし、高校生の冷房もないとか言ってる印象は、日本語の(絶対)貧困をイメージさせてましたよ。
可処分所得の分布を貧困と括るのは、単なる参考指標と見る方の方がリテラシーは高いと思いますね。
相対貧困とかの指標で、貧困が六人に一人と声高に叫ぶ人の方が絶対変です。
貴方の言う変な人たちの方が常識的だと思いますよ。
前回のコラム、栄養失調になるのは問題だと書かれていたので、そこを線引きにして読めば長谷川さんのおっしゃっる事は頷けます。
ルサンチマンを見捨てないで、かまってあげる姿勢に優しさを感じました。
同じ民族を見捨てない長谷川さんは凄いです。
人生は上手くいかない。自分に都合がいいように世の中はできていない。
それを外向きに考える奴が、嫉妬し、浪費し、他人を攻撃する。
内向きに考える奴が、後悔し、反省し、努力する。
どっちも負けるサイクルだと、最近気が付きました。
バカの考え休むに似たり。 実に奥が深い言葉です。
あなたの一時的な失業状況なんてくだらないこと書かないで、
彼らがなぜその環境に置かれたのか、に思いをはせることはできないのですか?
貧困の定義、定義があるからーってのたまう長谷川さんの頭の堅さ。
取材してないからこその空虚な展開ですよ。
結局、あなたは自分を基準に考えている。
社会のセーフティネットについて想像することはできない。
異論反論どうぞ、というなら明確に答えてください。
貧困とは、数値で測れるものですか?定義におさまるものですか?
たとえば、「潜在能力と自由」という書を読んでみてください。
いかに、あなたの考えが浅はかであるかわかると思います。
それでこそイロンナモノ・コトもススンデきたわけですし…
来し方行方眺むれば~…
相対的貧困からの脱却に主観的満足感が絡むならば、脱却なぞ絵空事にすぎませんナ
絶対的貧困層は滅すべき社会的課題だと考えますが、
相対的なソレは、個々の発想の転換によってそれぞれ自身の成長なり自己実現に繋げ得るエネルギーゲインの高い社会的団塊(主観で入りうるカタマリである以上社会階層とは…)、
そのエネルギー発露の相によっては社会を大きく変化させ得る団層と理解できるのではないかなア
つまり問題なのは、特に子どもたちにとって、経済的貧困は精神的貧困や社会からの離脱を生み出し、それが貧困の再生産につながっているという現実です。もちろん、個別具体の状況がすべてそうだとは言いません。個人的努力や才能、人間関係の支えで跳ね返している子はたくさんいます。しかし現実として、社会総体で見た場合、日本の貧困は決して軽視できる状況ではないのです。長谷川さんのおっしゃる”数字上だけの”貧困層の割合ですが、OECD諸国の中では日本は上位に位置しますし、それが近年拡大し続けている国は、そう多くはありません。
日本における「貧困」は…苦しいことは確かだが、努力で乗り越えられないとまで言えるほど「世界的には」深刻な物は極めて少ない
この言説こそが、相対的貧困と絶対的貧困を混同しているように感じます。
コメントお待ちしています。
問題はあくまでもNHKの取材対象の選定やその伝え方であって、子供のうち6人に1人が貧困状態にあることには変わりません。
個人の努力で不利な状況を乗り越えるのは言うまでもなく素晴らしいことですが、同じような苦労をしていない他者を許せないのは了見が狭いと言わざるを得ません。
子供の貧困や、勤労所得の低下などの明らかなデータがあるにも関わらず、解消すべき社会の問題としての貧困があたかも存在しないものとして、個人の責任に帰属させているようでは日本はますます貧しくなると思います。
でも、貧困、貧しいって難しいですね。OECDの定める定義に当てはまらないからといって貧困だと思ってる人は貧困なんでしょうし、逆もしかり。相対的貧困であれば、結局、自分が貧困かどうかは当人の認識次第ですから。絶対的貧困は金のあるなし、それが大部分を占めますが、相対的貧困は一概に所得の大小のみではないってことだと思います。月25万円でも貧困を感じない人は感じないし、1000万もらってても足りないと思う人は思う。人間は欲深いので、ほとんどの人が相対的貧困なんでしょう。その感情を「ただの政権批判」に利用されちゃってるんですね。
貧困であることは恵まれているという表現は言葉のあやなのかな、と思っていましたが、今回のコラムでは感情的な表現で自己弁護されていますのでコメントさせていただきます。
現実では確かに人はもともと不平等ですが、本来は平等でありたいともがくことは大切なことと思います。ですから貧困から脱するチャンスがあれば救いがありますが、むしろ貧困の連鎖を断ち切りにくい現実に苦しんでいます。そんな思いを抱きながらコラムを読むと、長谷川さんがNHKの番組で感じた奢りと同じものを感じてしまうのです。
だから「貧困をどういう形へもっていくのか」、そして「そもためにはどういう政策をすべきなのか」という議論がなかなか熱を帯びてこなかった。
私はそう思っております。
個人的には、努力や能力や結果が不当に評価されているという問題は、貧困とは逆のエリート層で起こっていると感じております。まだ日本はまず優秀な人間がしっかりと評価される社会を目指す段階ではないかと思います。
長谷川さんのこの一連の投稿は、貧困について問題提起をする前に「そもそも日本における貧困とはどういうモノか」を再確認をする、という位置付けだと受け取りました。
非常に興味深く読ませていただきました。
ぜひまた、このテーマを掘り下げて記事を読ませていただければと思います。
あの番組内容からプロパガンダとなるリスクなど読み取れませんでしたし
想像してもみませんでした。
そうですか… そんな形で政権・行政批判へ誘導する方法もあるんですねえ。
最近、日本の報道自由度や貧困率に関するOECD評価が
メディアで取り上げられることが多いなあという印象は漠然と持っていましたが、
国連やWHOはじめ恣意的情報操作が為されていそうな団体の発信は
最初からスルーする癖がついてていたため、
相対的貧困率算出法なるものについても初めて知りました。
それで概要だけでも確認しておこうと思い調べましたが…
いやいや、算出法杜撰過ぎますね、これ…。
算出結果そのものは特定の目的に使用する場合価値があるのかもしれませんが
素朴な印象だけでも、
非常に偏った所得構成になっている社会(極少数に富が集中)では
中央値そのものが極端な下ぶれを起こすため相対的貧困率には実態が反映されない、とか
平方根を使用している時点で単純に婚姻率が下がっただけで貧困率が上昇するなど…
ちょっと軽々に扱える数値ではありませんね。
「貧困」という言葉の印象からつい、
現実にあったネグレクトで餓死してしまった哀れな子ども達の事など
絶対的貧困者を頭に浮かべてしまいがちで
声高に貧困を叫ぶものはそれほど困窮しているように見えないと単純に切捨てていましたが
公的機関も含め様々な人達がそれこそ万の意図を持って情報発信されるため、
精査と検証に手間ばかりかかって面倒くさいことこの上ありませんね、もう。
前回のコメントに書き込みしませんでしたが、「明るい貧乏」なら貧困ではないですよね?
むしろ先日のNHKは心が「貧しくて困ってる」旨を取り上げたかったのかという人権侵害番組かという感想を持ちました。
だから長谷川さんの前回の取り上げ方に賛成します。
特に大変といわれているひとり親世帯であれば、50%の貧困率ですよね。
50%の内訳(年収170万なのか100万なのか・・・)などはよく知りませんが、決して貧困は簡単なものではないと思います。
>日本における・・・努力で乗り越えられないとまで言えるほど「世界的には」深刻な物は極めて少ない
どのくらい「極めて少ない」のですか?データで示してください。
我々のような一般人とは違い、それなりに影響力のある方が印象で物を言わないでほしい。
あなたのように3ヶ月10万でやって行けるほど、余裕(貯蓄)のある生活をしている人間ばかりとは思わない方がいいと思います。
手取りの方は22万くらいになるんですよね?
それで一家4人、生活するのに持家じゃなかったら苦しいのでは?
貧困とか言いながら、「他を切り詰めれば」ですから、やっぱり切り詰めているのでしょう?
それが望ましいことなんでしょうか…。
私は自分がこどもだった頃を振り返るなら、少なくとも衣食住に置いては親がちゃんと面倒見てくれていたので、自分が生まれてから大学を卒業するまでお金で進学先をあきらめなくてはならないという経験をしたことがありませんでしたから、やっぱり子供には少なくとも社会に出て働くまでは、衣食住と教育に関しては何の心配もなく生活できる状態であることが望ましい社会の在り方ではないのかなあ、と思ってしまうんですよね。
世界的に見て、ということが大事だとは思えないんですよ。だって仰る通り、後進国には明日の命の保障もない国があるんですから。というか、こういう時、どうしてより一層、悪いところと比べるのか…。
ブラック企業と比べてうちは良い企業だ、という経営者みたいで。
良い企業と比べてそん色ない企業だからうちは良い企業だと言われたら嬉しいですけどねえ。
まあ、できれば多くの人がこの国でそこそこ幸せに暮らせる社会であってほしいなあ。
今回のうららちゃん、観点を変えると本気で自分は不幸と思ってるかも。昨日の橋下&羽鳥の番組でもありましたが、結局は環境が重要なんだと考えます。
親や親戚、友達の中に的確な助言をしてくれる人がいるかいないかは、うららちゃんには不可抗力かも。努力すべきことがわからない、わからないことがわからない、ってのは結構あるんじゃないでしょうか。
前述のコメント欄のゴミの皆さんは、恐らくここに書き込めることから、
世界的な貧困層の人たちよりは裕福であるとは思います。
また、日本人である以上、低所得であれば、生活保護を受けられますし。
就業されていても、生活保護との差分がマイナス方向で発生しているようであれば、
その差分は受取れるのが今の社会の仕組みですね。
貧困より、卑屈が問題だと思う今日この頃。
その卑屈な人たちは、知識を得ない。特に正しい知識に乏しい人が多すぎますね。
騙された事があるのか、信じて裏切られた事があるのかは知りませんが、
常に知る努力をすべきなんじゃないかな?と思ってます。
世界的に見て、日本は餓死者数が特に少ない。
少なくとも食えるわけです。それ以上を望むなら努力すれば手に入れられる世の中です。
努力しても身にならない人は努力のする方向性を間違えているだけです。
卑屈になる理由なんて一つもない。
あんたの人生なんだ。頑張れよ。
そうコメント欄の人たちにはお伝えしたいですね。
今回の貧困の定義を説明なされた記事、全く持っておっしゃる通りだと思います。私はまだなぜ多くの日本人たちがこんなにも捻くれてしまったのか原因がわからないのですが、長谷川さんはどう思いますか?やはり教育の質が未だに低いことが原因なんでしょうか?「親って」の記事でも子供と表現するな、というコメントもありましたが、揚げ足取りをする人が日本には多く居るように思ってしまいます。
日本にいると、相対的貧困な自分を絶対的貧困かの様にガーガー言う被害妄想たっぷりな変な人が多い気がしてなりません。以前、番組制作関係の仕事でとあるロケ地を借りて撮影していたとき、変な中高年男性たちが「あなたたちはいいね。こんなことでたくさん稼げて」と、コンビニのお酒を片手に話しかけてきました。
インターネットでも、確かに生活保護の不正受給は問題ですが、根拠もなくただの妬みでチクる人や誹謗中傷をする人があまりにも日本には多すぎると思います。「若者はけしからん」も「外国人はけしからん、出ていけ」も「男は性犯罪者予備軍、けしからん」も、日本人にひとくくり脳が多すぎると思います。若者でも外国人でも男性でも女性でも誠実な人は誠実だし、悪い人は悪い。日本人にも悪い人はたくさんいます。
匿名で言いたいこと言えてしまう世の中になってしまったのも起因のひとつだと思っています。匿名性のメリットもありますが、一人ひとりが自分の言葉に責任を持っていないから、ガーガー言っても許されると思っているように感じます。発言するときは実名か実名が嫌ならハンドルネーム固定して、責任をもって発言する風潮を取り戻さなければ、被害妄想たっぷりな人たちを粛正することができないと思います。
あと、長谷川さんがここ三カ月で収入が10万なのは、驚きました(笑)
自分が貧困だと思って苦しんでいる人に対して、あるいは社会全体に対して、メディア側の人間が「まずくしくても頑張ればなんとかなるよ。」までならともかく、「貧困って必ずしも悪いことじゃないよね」「日本は恵まれてるから生活はできるよね。」「自分が努力すれば乗り越えられるよね。」と言って何がしたいんですか?ということを聞きたいんです。みんながそう思い始めたら、貧困の放置が始まり、貧困層はますます増加しますよ?知人の相談ならそう答えることもあるでしょう。でも、貧困はよくないよね、貧困を減らしましょうねという向きの番組がなくなれば、そっちの方がよくないと思います。
では、この記事が転載されてるBLOGOSでもコメント欄を解放してください。
先日の長谷川さんの記事を見て、貧困の定義をググって確認した人って何人いるんでしょね
でもそれは長谷川さんも織り込み済みかと思います。
そんな変な人達だって頑張って生きているんです。
ちゃんと税金納めている人も中にはいるかもしれません。
だからもう少し逃げ道を作った反論にしてあげたら良いのではと思ったりします。
あまりに一刀両断すぎるので・・・。