忙しさを言い訳にした自分への戒めとして。
先日、ある本の編集について協力を依頼されました。直感的におもしろそうだとは感じたものの、その時点では本の内容も私に求められる役割も不明瞭だったため、返事を保留していました。
しばらくそのままの状態だったですが、昨日、本の内容(章立など)について意見を求めるメールを受信。この間の経緯が分からず、また他の仕事で忙しかったのもあって、深く考えず思いつくままの返信をしました。
そしてその夜、「その程度の考えしかないのであれば、あなたは必要ありません」といった趣旨のメールが送られてきたのです。相手とのコミュニケーション不足のところもあるように思いますが、私が熟慮した意見を出さなかったのも事実です。
そして本日、もう1件の出来事が。
この半年ほど一緒に仕事をしている某社。某社の担当者Aさんが作成した資料に、昨晩から手を入れていました。今朝、重要な箇所の修正は終わった状態で別の協力者Bさん(社外)に資料を渡して、私は外での仕事に。
夜、戻ってくるとBさんから資料に赤ペンで手を入れた資料が届きました。「Aさんの資料はいつも分かりにくいから細かくチェックしないと」というメールの文面は、遠回しに私の確認不足を指摘しています。
正直、そこまで細かく直さなくても、と思いましたが、Bさんの修正版は確かによくできています。自分の甘さを思い知りました。
いずれも目の前の仕事にきちんと向き合えていなかったことの現れ。
今晩のコーヒー、苦かったです......。