さるオヤジです。
ちょっといい話を小耳にはさんだんで書いてます。
みなさん、ピクトグラムよく目にしますよね。
代表的なのはトイレのマークとか非常口のマークとか・・。
駅や商業施設や公共施設等、至る所に見る事が出来ます。
下地に一色で描かれていて、完結明瞭、一目で意味することが理解できる便利な表示です。
このピクトグラムですが、現在のように定着させたのは日本人だって知ってますか?
時は1964年の東京オリンピック。
当時の日本は戦後復興が軌道に乗り、高度経済成長の真っ只中。海外旅行もまだ珍しい時代ですから、日本にやってくる外国人も少なく、その対応に”言葉の壁”が問題となりました。
なんせ世界中から多くの人々が東京に来るわけですから、それまでの「お手洗い」とか「食堂」なんていう文字による表示だけでは理解してもらえませんよね。
かといって英語表記したとしても英語圏以外の人には読めないですし、「お手洗い」と書いた下に英語、フランス語、ドイツ語・・・。大変です。
そこで活躍したのが、東京オリンピックのデザイン専門委員会委員長だった勝見勝(まさる)氏(1909 ~ 1983年)でした。
勝見氏をよく知るデザイナーでピクトグラムの第一人者でもある村越愛策さんは、当時のことをこう説明します。
「英語やフランス語、ドイツ語、ロシア語など、各国の文字をすべて表示するのは不可能なので、絵文字を作ろうと提案したのが、東京オリンピックのデザイン専門委員会委員長となった勝見さんでした。
彼のもとに若手グラフィックデザイナーが大勢集まり、いくつものピクトグラムを考案しました」
彼らが作ったピクトグラムは「陸上競技」「漕艇」「体操」などの競技種目を表すものから、「トイレ」や「公衆電話」など公共施設や設備を表すものまでさまざまでした。
まさに、お・も・て・な・しの精神ですね。前回の東京五輪も様々な問題に対処しながら、成功を目指して、精一杯の取り組みがされていた事がうかがえます。
もう一つ、この勝美さん、ピクトグラムに関して素晴らしい決断をされています。
なお、この制作作業を終えた後、デザイナーたちは、勝見氏の呼びかけにより著作権を放棄する旨を書類に署名したといいます。
そこには、自分たちがオリンピックに向けて創り上げた成果を、世界の財産として発展させたいという思いがあったとのこと。
この時もし、個人個人が著作権料を要求していたら、これら日本発の優れたデザインが世界に受け継がれていくことはなかったかもしれません。
著作権の放棄。素晴らしいの一言です。自分たちの利益よりそれが世界中に定着して、世の中の役に立つことを求める。
なかなか出来る事じゃありません。
これぞ日本人って感じです。
2020年の東京五輪でも、世界に向けてこんな素晴らしい発信が出来るといいですね~。
以上、さるオヤジのちょっといい話でした。それでは~。