あなたは深刻な病気と聞いてどういう病気を思い浮かべるだろうか?
ガンだろうか、脳卒中だろうか、糖尿病だろうか
確かに深刻だ。
その人の命を奪う力があるのだから。
ただ、私は思う。これらの病気は自分が病気だと気づけるだけまだましではないかと。
気づくことで、その生を正そうとするチャンスがあるだけ幾分か救いがある。
むしろその逆に、自分は絶望していると、なんのよそおいもなく言う者の方が、絶望していると人からも見られず自分でそう思わないすべてのものよりも、すこしばかり、弁証法的に一歩だけ、治癒にちかづいているのである。
今日は、こういった病気以上に恐ろしい病について書きたい。
- 最も恐ろしい病気
-
最も深刻な病への予防及び対処に必要なこと
-
今からできること
1.最も恐ろしい病気
世の中で最も深刻な病気にかかった場合、本人はそれに気づくことなく殺される。
20代でもこの病で死ぬ人間が大勢いる。
ではこの病気に蝕まれている人はどんな人たちか。
具体例をあげよう。
「終わった人間」と私が呼称する人間達は主に以下のような生き方をしている人間である。
例えば、
「テニスサークルに入っている人間」
例えば、
「平日の夜をモンテローザの居酒屋で飲み明かす人間」
例えば、
「ポケモンGOに勤しむ人間」
もう読者諸氏であればわかるだろう。
最も深刻な病気の正体とは、自らの生命をどうでもいいことであれよあれよと空費することなのだ。
何度も言うが、早期治療をしなければ20代だろうが100%死ぬのだ。
人生を空費した人間というのは、人生の喜びや人生の悲しみに欺かれてうかうかと日を送り、永遠に、断固として、自分を精神として、自己として自覚するに至らずに終わった人だけのこと
この「どうでもいいこと」の定義なのだが、もちろん「世間や大衆が飛びつくもの」だ。
どうでもよいことに無限の価値を与えるのが、世間というものなのである。世間的な考察は、いつも人間と人間とのあいだの差別にのみ執着し、だからまた当然のことであるが、唯一必要なもの・・・・に対する理解を持たず、それゆえにまた、偏狭さと固陋さに対しても理解を持たない
世間というのは愚かなので、多くの人が集まれば、どんなに劣悪なものでも人気が出てしまう。
だから、お寿司が回っていなければ怒り心頭である。
「みんな食べてるスシローでいいじゃねえかよ!」と。
ところで、この間、「あっ!この世界もいよいよ終末だな」と思ったニュースがあった。
叩かれに叩かれたマクドナルドの華麗なるV字回復である。
私もさすがにノアの方舟を手配しようかと検討した次第だ。
ここまで手のひらがひっくり返るとなると手首が折れているのかもしれない。
世の中にはマクドナルドを真っ当と考える人がかなりいることを示すこの事実にあなたは恐ろしさを感じないだろうか?
2.最も深刻な病への予防及び対処に必要なこと
では、この病気はどうすれば予防及び治療ができるのか?
それはただ一つである。
必然性を習得するしかない。
彼に欠けているものは、実は必然性なのである。・・実は服従する力なのである。・・・自己の限界とも呼ばれるべきものであるが、この必然的なもののもとに頭を下げる力なのである。
場当たり的な快楽に人を誘う近代が生み出したこの病は、必然性への回帰によって対処する他ない。
宗教団体の教祖のようなことを書いていると思われがちなので、断っておくと宗教に入れと言いたいのではない。
人々が信仰するに値する必然性とは、宗教に限らず、「真っ当な知性を持つ人間」が「素晴らしい」と判断した歴史や伝統のあるものであれば何でもいい。
3.今からできること
こういう話をすると「保守派ですか」「復古主義ですね」といった反応が散見される。
ただ、そういう人たちに私が言えることがあって、歴史や伝統を尊重する態度を持たない人が自分自身にも世の中にも変革をもたらすことはないということである。
保守派がつねに現状に満足し、現状の維持を欲しているといふ革新派の誤解である。戦術的誤解でなければ希望的観測である。日本の保守党すら、明治以来今日に至るまで、たえず進歩と改革を考へてきた。保守派が合理的でないのは当然なのだ。むしろそれは合理的であつてはならぬ。
福田恆存『保守とは何か』
真に保守的であることを目指すことで、大きな誤りを犯すことを防がなくてはならない。
まずは、福澤先生の『学問のすゝめ』からでも読んでいただければと思う。
おもしろきことなき世をおもしろく