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考える

毎日をどうしていいかわからない。

いくら有名人でも息子の不祥事に親が謝らなきゃいけない世の中は狂ってるよ

 
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 どんな劇が見たいというのか。

 あんまり主張の強いこと言うのは嫌なんだけど「は?」と頭にひっかかるとどうしても言いたくなることもあったりで、今日はそれの類いで、この文を今読んでいる奇特な人たちは俺に対して冗談だったり音楽の与太話みたいなものだったりをたまたま気に入ってくれて、俺を観察下に置いてくれてる人がほとんどだと思うんだけれど、全く楽しくもない話を今日のように時々してしまうのをまず謝りたい。人の主張って喉につかえるよね。

 

 もう一度言うけど、どんな劇が見てえんだよ。もちろん高畑裕太と高畑淳子の話だ。

 なんかこれを書いてる今生放送で高畑淳子が事件について何のかんの記者会見をしているそうで、そんなもの、どんなテンションで見ろというのか、と思ったのだ。あるいは、どんな顔で見てるんだよ人は、と思った。腹の底から気味が悪いのだ。

 何を釈明しろというのだ。育て方が悪かったから責任とって親は死ねとでも言うのか。声でそう言う人間はいないが投げかけられている視線はそういう類いの視線である。

 そりゃ息子がなにか事件を起こしたら、世間様が有名人の親にたいしても何かしらのネガティブな感想を抱くのは仕方がないし、それでスポンサー契約が打ち切られたり仕事がなくなったりもまあ、無理はない。ベッキーのときもそうだ。それはもう世の中に対して「事件とキャラクターを完全に切り離して捉えろ」と訴えるのは理想論すぎるというか、まあ無理だ。広告塔だったりキャラクター商売だったりする以上なにが事を起こせばイメージダウンが商品価値を著しく妨げるのは当然の成り行きである。

 にしてもだ、親が会見をしなきゃならない社会構造はどうかしてる。本人なら会社の立場上謝罪の声明を上げなきゃとおらないのはわかるよ。それでもそんなもん別に俺個人としては見たくないけれど。川谷とベッキーが謝るべき相手は自社とスポンサーと当事者とその家族とくらいなもので、謝れ謝れと野次る大衆になんて謝る必要は本当は全くなかったのだ。あるとすれば立場上、だ。

 

 劇を見ているのである。きっとそういう気持ちだ。

 テレビの向こう側の出来事に限らず、誰かと誰かがモメたりしたときに人間が知りたがるのは、面白みのない事実なんかじゃなくて「こうであってほしい」という願望だ。

「どっちが悪いんだろう」という事実追求なんかじゃなくて、元々なんらかの理由で抱えていたヘイトが、事件をきっかけにそいつに対して「ああ、あいつが悪いに決まってる」という風な物見になることは多々ある。自分にとってこころよい劇が見たいらしい。いやそもそもからして人の揉め事に対して過度に当事者意識をもって興味津々な奴なんてのは本当にろくでもねえなと思うんだけどね。暇な奴だなと。仕事ならわかるけどさ。

 

 息子が捕まって自分は仕事が立ち行かなくなり世間の目はどうやっても厳しい、そんな状況に立たされれば人間、自死もおかしくない。事件発覚から親の毎日は地獄だ。

 そんな追いつめられてる人間を壇上に立たせ喋らせ。古代ローマのコロッセウムと同じシステムだ。残虐極まる。

 高畑淳子が自主的に壇上に上がってるわけじゃない。自主的に上げさせられてるのだ。そうせざるを得ない状況を作っているのは個人個人の残虐性の集積に他ならない。槍でおいつめて進まなきゃ刺し殺される状況を作っておいて「あいつが自主的に崖から飛び降りた」と言うのか。言ってろよそういうこと一生。

 嫌だな。ほんと。