外相会談が東京で開かれた意味
日本と中国、韓国の外相会談が1年5ヵ月ぶりに東京で開かれた。
尖閣諸島や南シナ海情勢が緊迫する中「成果は期待できない」という声もあったが、会談の開催自体に意味があるのだ。中国は少なくとも外交的には八方塞がりになりつつある。
まず外相会談を開いて、尖閣諸島などの問題がたちまち解決するか。するわけがない。なにかと言えば「話し合いで問題解決を」と唱える日本共産党じゃあるまいし、そんな期待を抱くほうがどうかしている。まったくトンチンカンだ。
南シナ海で人工島の軍事基地化を進め、尖閣諸島周辺には軍艦を派遣して領海を脅かす中国は、そもそも国際法などどこ吹く風で、尖閣における日本の主権も認めていない。「実力で奪い取ったもん勝ち」と腹を固めている。これが現状認識の出発点である。
では、なぜ外相会談に応じたかといえば、軍事優先に変わりはないが、さりとて会談に応じず外交努力を放棄すれば、国際社会の批判と非難が一層、高まってしまうからだ。
9月4、5日には中国・浙江省杭州で主要20ヵ国・地域(G20)首脳会議を控えている。それでなくても東アジアや日米欧が対中批判を強めているのに、3ヵ国外相会談をボイコットすれば「中国はなんだ、話し合いも拒否するのか」という非難が高まってしまう。
外交戦の勝ち負けは第3国を交えた国際社会の評判にかかっている。G20で中国非難が高まるのは外交的敗北にほかならない。だから、とりあえずポーズだけでも会談に応じないわけにはいかなかった。
そうみれば「会談が東京で開かれた」というだけで、日本は1点ゲットである。