2016年08月25日

「俺の嫌いなものが褒められているのが許せない病」の人が面倒くさい

ゲームキャストさんで、こんな記事を読みました。


おっしゃっていることは首肯することしきりで、

 「あのゲーム、好きなのに人気がない!」というあなた。
「自分の好きなゲームは儲からずに消えていく」というあなた。
嘆いている暇はない。全員揃って好きなゲームのレビューを投稿したり、Twitterで面白さを語るべきだ。島本和彦先生の「シン・ゴジラ」ばりにポジティブに面白さを語れば、あなたの言葉はゲームにとってプラスになる。
大事なことだよなあ、と思うわけです。

以前から何回か書いているんですが、何かのことを「好きだ!」と表明するのって、リスクばっかり大きくって、その割に自分に対するリターンは少なくって、だからこそ大事なことだと思うんですよね。

作者さんのところに声が届くっていうのもそうですし、どこかの誰かが、それを見て「自分の好きなもの」に興味をもってくれるだけでも、それって素晴らしいことだと思うんですよ。

で、だからこそ、私は「好き」を表明するハードルなんて、低ければ低い程いいとも思っているんですが。

残念ながら、世の中には「自分が嫌いなものを、他人がほめていることが許せない」という人たちが結構いるようで。

冒頭、ゲームキャストさんのコメントを見てちょっと「うーん」と思ってしまったんですが、

さっそく悪意を増幅するような書き込みをして本当に申し訳ないのですが、さすがに書き込まずにはいられないので。

いったい、ゲーキャスさんは、いつから、Cygamesの宣伝屋に成り下がったんですか?

グラブルのことなんてなかったかのようにCygamesのゲームをひたすら持ち上げるゲーキャスさんがもう信じられないというか、スマホゲーム界の良心がまた一つ失われた気分というか、なんと言っていいのか・・・もう、もう・・・・

とか、
どんなゲームにも熱をもって接するユーザーはいるものです。

人の居ないゲームで熱を持った少数ユーザーの個々のツイート内容を出して「このゲームは熱い」なんて仰っていると、メディアとしての信頼を失いますよ。

とか。

ただたんに「このゲームが面白い!」と言っているだけの記事に、なんでこんな言葉を吹き付ける人がいるんだろうなあ、と。大変に面倒くさい人たちだなあ、と。他人の「面白い!」を、一体どういう根拠で否定しようとしているんでしょうか、と。

まあ、読んでいるとCygames憎しの人らしいですけれど、「自分が嫌いなものが褒められている」ことくらいスルーしてあげられないのかなあ、と。

自分で「嫌いなもの」を自分で批判するのは全然問題ないと思うんですよ。それは認められるべき一つの意見です。

「自分が好きなものを批判している」ことに憤ることも、それもまあ、ある程度仕方ないと思うんです。

ただ、企業ですらない一サイト運営者が、自分が嫌いなものについて「これが好き」と言っているからって、大目にみてあげられないもんなんでしょうか。それくらいの余裕ももてないもんなんでしょうか。


こういう人たちが、何かを「好きだ!」ということに対するコストを上げて、Webから「○○が好きだ!」というテキストを減らしているんじゃないか、とすら思います。それ、結果的には誰も幸せにならないと思うんですよ。

うちみたいな辺境ブログですら、ベタ褒めエントリー書くと大体20に1か2くらいは「俺が嫌いなものを褒めるな」っていうベクトルの非難が来ますからね。よくよく見逃せないんだなあと。


不倒城は、そういう「俺の嫌いなものが褒められているのが許せない病」の人にも負けずに、これからも褒めたくなったものをベタ褒めし続けたいなあ、と思います。そして、そういう人が増えていってくれればなあ、と思う次第です。

「好きだ!」ということのハードルが、可能な限り低くなることを。そして、Webに「○○が好きだ!」というテキストを気楽に放流出来るようになることを、願ってやみません。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 23:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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