人間中心設計だけでは見えないこと
今では見なくなりましたが、ひと昔の MacBook Pro や Power Mac の本体側面にあるスリープインジケーターや電源ボタンは、スリープ時に点滅をしていました。これがただの点滅ではなく、まるで人が眠っているときの呼吸のような動きをしていました。Apple はこの点滅のデザインの実現のためにコストをかけ、特許も取っています。
Apple 製品は小型化・薄型化が進んでいるので、こうした『演出』が少なくなっていますが、今振り返るとスゴいなと思うわけです。誰も気にしないディテールに拘るという点はもちろんですが、製品に実装してしまっていること事態がスゴいなと。
最近は「利用者のニーズを引き出して、実装しましょう」「そのデザインに効果があったか数値化しましょう」という文脈の中でデザインが語られることが多いわけです。たぶん、そうした中で「電源ボタンを人間の呼吸のように点滅させる」というアイデアが実装されるのか疑問です。利用者から「電源ボタンに心地の良い点滅を加えて欲しい」なんて声は出てこないでしょうし、それが必要だと感じさせるニーズを調査で引き出すこともできないでしょう。実装したところで、『効果』と呼べるものはないでしょうし、分かる人にしか分からないことに対して評価は難しいと思います。
それでもやってしまう… そこに力を感じます。
根拠や成果とは少し離れたところにあるデザインが作られることは、デザイナーの成長にも、チームの成長にも、そしてデザインという業界の成長にも必要なことだと思います。
伝えるためのデザインとは
ビジネスに関わる機会を与えられたデザインですが、それがデザインという行為を消極的なものにしてしまうことがあります。ビジネスに関わる人たちと同じ土俵に立たせてもらうためには、デザイナーは説明ができるようになるべきです。ただ、すべてに根拠が必要なのかというとそうではないと思いますし、成果を出すデザインだけを目指すと無難なものだけになり、利用者が潜在的に欲している解決や欲求をかなえるものを作るのが難しくなります。
人間の呼吸のように点滅する電源ボタンによって、コンピューターの利用体験が上がると立証することはできなくても、やる。それでもやるのは、Apple がにはビジョンであり、それがブランドになっているのだと思います。「なぜ」を伝えることができる企業なわけです。
Apple を持ち上げる表現をしてしまいましたが、彼らがやったすべてのことが成功だとは思っていませんし、むしろ市場に受け入れられなかったことのほうが多いのではないでしょうか。失敗を伴いながら、なお伝えるためのデザインを作り続けることは、Apple のような大企業でなくても必要なこと。その「伝えるためのデザイン」というのは、時には根拠もなければ効果測定もできないことが含まれています。
しかし、今は「失敗をしない」「成功のための」デザインを作ることに目が行き過ぎてしまうことがあって、そこに危機感を抱くことがあります。デザインは多少なりとも失敗が付き物であって、失敗を許す(そこから学ぶ)隙間がないのは、デザイナーとしての直観が養えなくなるだけでなく、作る意欲も次第に削がれてしまうことになります。
根拠のある、成果が出る(かもしれない)デザインを作ることが日々の仕事にあるのは当然です。ただ、そのなかで「なぜ」について立ち返ったり、それを形にするとしたらこうなるかもしれないという夢も語れる心と身体の余裕はもっておきたいなと思っています。