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キャリアの原点

「出世」の定義なんて、人それぞれでいいんじゃない? 東京糸井重里事務所 取締役CFO 篠田真貴子氏(下)

 

2016/8/25

 慶応義塾大学を卒業して旧日本長期信用銀行に入行。米国のビジネススクールで経営学修士(MBA)を取るなどした後はマッキンゼーから外資系の大企業に転職し、人もうらやむ出世街道を歩んでいた篠田真貴子さん。人気ウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)」に転職するキャリアの原点となった出来事を探っていくと、小学生のころの異文化体験に行き着いた。

 慶応義塾大学を卒業して旧日本長期信用銀行に入行。米国のビジネススクールで経営学修士(MBA)を取るなどした後はマッキンゼーから外資系の大企業に転職し、人もうらやむ出世街道を歩んでいた篠田真貴子さん。人気ウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)」に転職するキャリアの原点となった出来事を探っていくと、小学生のころの異文化体験に行き着いた。

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 「ほぼ日」を運営する東京糸井重里事務所(東京・港)に転職する直前は、かなりモヤモヤしていました。正直に言えば、「出世競争」に飽きちゃっていたんだと思います。

 グローバル企業で出世するためには、ある程度の要職に就いた段階で海外勤務を経験しないといけません。日本市場だけではなく、ほかの市場でも通用する人材かどうかを見極められ、その上のポジションに就けるかどうか、を判断されますから。しかし、2人の子供を産んで悪戦苦闘していた当時、どう考えても海外赴任は無理だろうと思いました。

  • 東京糸井重里事務所 取締役CFO 篠田真貴子氏
 だとすれば、これから先何を目標にして働いていったらいいんだろう?

 周りの男性たちは職位が上がるたび、あるいは部下の数が増えるたびに喜んでいました。でも、私自身はそこに喜びを感じることができなくなっていました。机が大きくなることとか、個室をもらえることなんて、実はどうでもよかったんです。

 みんな必死で競争をしている世界にいるのに、その競争にまったく燃えない自分。これはいかんな、と思いました。

 そんな矢先に「ほぼ日」の仕事が舞い込んできた。実際に働いてみて、そうか、自分はこういう異文化と遭遇することが楽しくて、その謎めいた世界を探求することが楽しかったんだと気づきました。

■正座をしようとしたら怒られた

 私が初めて異文化と遭遇したのは、5歳の時です。日本のメーカーに勤務していた父の仕事の関係で、米国のロザンゼルスに行くことになりました。

 当時のロサンゼルスは全日制の日本語学校がなく、補習校しかありませんでした。月曜から金曜までは現地の小学校に通い、土曜日だけ日本語の補習を受けていました。

 言葉もできないし、最初はなかなか苦労しました。教室に入ったら机と椅子がなくて、じゅうたんが敷いてある床に、みんなであぐらをかいて座りながら授業を受けていたんです。日本風に正座をしようとしたら、「違う」と注意されたりして。日本語を忘れないように、両親は家では日本語しか話しませんでしたから、家と学校でぜんぜん違う文化の間を行き来していたようなものでした。

 そのころの出来事で、今でも強く印象に残っているのは、「カタツムリ事件」です。登校途中にカタツムリを見つけて、「あっ、でんでんむしだ!」とうれしくなり、捕まえて女の先生に見せたんです。そしたら、先生が「ギャーッ!」と驚いて、ペシッって手を振り払われちゃった。

 ショックでしたけれども、後から聞いたら、なるほどと思いました。米国人におけるカタツムリはゴキブリみたいに嫌われ者だったんです(笑)。

 文化の違いを感じる出来事はいくつもありました。たとえば、YMCAか何かの行事で、半日くらいかけてキャンプに行くことがあったんですね。ちょっと郊外に出かけるので、お弁当持参なんです。その時、うちの母もまだよくわかっていなくて、日本流にごはんの上に卵とそぼろをのせた三色弁当を作って持たせてくれたんです。

 そしたら、「ウゲーッ」って。

 蓋を開けたとたん、周りの子が言うんですよ。それを見ていた先生まで「食べ物なんだから、そんな風に言うものじゃありません!」とたしなめている。

 周りの子のお弁当をみたら、食パンにピーナツバターを塗っただけとか、ハムを挟んだだけのそっけないサンドイッチを茶色い紙袋に入れて持ってきていた。

 そうか、米国人ってこうなんだと思いました。

■「What are you?(ルーツは?)」の質問で、日本人を意識した

 米国には小学校4年生までいましたが、途中で一度、転校しています。最初の家が父のオフィスから遠くなってしまい、近くに引っ越したんです。

 2番目に通った学校はロサンゼルスの南側、メキシコの国境に近づいた場所にありました。メキシコ系の移民も多く、彼らはいつも移民同士で固まっていて、学校でもスペイン語を話していました。それに対して、日本人は私ひとり。英語にも慣れ、特に「アジア人」ということを意識することもなく過ごしていました。

 ただ、そんな時でもひとつだけ、否が応でも「日本人」を意識させられたことがありました。

 移民が多い土地柄だったこともあり、初めてのお友達と会うと、子供同士でも「お名前なあに?」「年はいくつ?」の後で、必ず、こう聞くんです。

 「What are you?」

 つまり、「あなたのルーツは何ですか?」と。

 そうすると、周りの子は「うちの祖先はアイリッシュとジャーマンだ」とか、「僕はクオーターフレンチだ」とか、「私の祖先はネーティブアメリカンだけど、なんとかの血が8分の1入っているんだ」という話を、わーっとするわけです。

 そこで、私が「ジャパニーズ」と答えると、「えっ、それだけ?」と意外な顔をされる。子供心にすごく残念で、「もうちょっと言えたらいいのにな」と思っていました。

■「ほぼ日」が大事にしている4つのモノサシ

 そんな環境で小学生の前半を過ごしましたから、私の中にはいつの間にか、一人ひとり「違う」ことが当たり前という感覚が染み付いていました。むしろ、「みんな同じ」が気持ち悪い。

 だから、日本に戻ってからも苦労しました。ばかばかしいと思いながらも、周りの子に合わせるために、涙ぐましい努力を続けていたように思います。

 帰国したばかりの頃、同級生の女の子に「トイレに付き合って」と言われたんです。最初は意味がわからなくて何度か聞き返したら、「トイレに一緒に行こうよ」という意味だと。「嫌だ」と断ったら、クラスの子がみんなが怒っちゃって、3日間くらい口をきいてもらえませんでした。

 当時は「ピンク・レディー」がはやっていたんです。私はそれも知らなかったから、友だちの輪に入れない。母に「ピンク・レディーがテレビに出てきたら呼んで」と頼んで、呼ばれたらテレビを見ながら、ふりを覚えて練習したりもしていました。

 自分が母親になり、改めて子供たちの様子を見ていると、そんなに「みんな同じ」じゃなくてもいいのにな、と思うことはありますよね。ちょっと過剰に合わせようとしすぎているんじゃないかな、と思うことも。

 じつは「ほぼ日」に来て、オペレーション的な部分ではいろいろと改革もしましたけれど、基本的なところはあまり変えないようにしたいと思っています。私たちが大事にしているのは、「自分が何をおもしろいと感じているか」ということ。「ほぼ日」は、そうした個々人の日常に根ざした「思い」や「違い」を大切にしながら成長してきた会社です。

 自分がおもしろいと思うことが一番だというと身勝手に聞こえるかもしれませんけれど、決してそうではないと思います。「自分」を基点にその動機を深堀りしていくと、普遍的な何かへとつながっていく。自分と顧客は必ずどこかでつながっているからです。

 「ほぼ日」が大切にしているモノサシは4つあり、その4つとは「自分と仲間」「お客様とその周辺」「取引先とその周辺」、最後が「社会と歴史」です。それぞれがみんな喜んでいる状態が、一番いい経営。

 今はそこに一歩でも近づきたくて日々、努力している感じでしょうか。前よりそれがうまくできていることが、私にとっての「出世」です。

篠田真貴子氏(しのだ・まきこ)
1968年生まれ、東京都出身。小学1年から4年までを米国で過ごす。91年慶応義塾大学経済学部卒、日本長期信用銀行(現新生銀行)に入行。96年から99年にかけて、ペンシルベニア大学ウォートン校で経営学修士(MBA)、米ジョンズ・ホプキンス大学で国際関係論の修士学位を取得。98年米コンサルティング大手、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、2002年スイス製薬大手のノバルティスファーマに転職。2003年第1子出産。07年、所属事業部が食品世界最大手のネスレ(スイス)に買収されたことにより、ネスレニュートリションに移籍、第2子出産。08年東京糸井重里事務所に入社、09年取締役最高財務責任者(CFO)に。

(ライター 曲沼美恵)

 前回掲載の「常識外れの経営でも増収増益 『ほぼ日』の篠田さん」では、華々しいキャリアを経て「ほぼ日」と出会うまでを聞きました。

「キャリアの原点」は原則木曜日掲載です。

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