「苦手なことはさっさとやめるべき」
「得意なことで結果を出しまくれ」
こういうのは昔からずっといわれ続けていることですが、いざ実行に移すとなるとできないひとが多いです。
実際にはこれを実行に移せるか移せないかでかなり大きなちがいが出てきます。結果を残せるかどうかも絡んでくるので、できて損のない行動です。
苦手なことに時間を使わないというのは、ある意味で時間の節約です。
同じ時間を使うにしても、得意なことに時間を使うのとそうでないのとでは結果の出方がちがいます。
結果が出れば実績として残りますし、それがモチベーションになってさらなる結果を生むこともあります。
ただ、実際に自分の得意に気づくのはむずかしく、経歴は時として思考を凝り固まらせます。
自分の才能を考えるうえで経歴によるバイアスというのは非常に邪魔で、経歴への固執を減らさないと延々と時間をむだ遣いしてしまいます。
目次
得意に取り組むのは時間の節約になる
あなたは何か、苦労を苦労だと思わないことを持っていますか?
それほど努力しなくても結果を出せることがあったりしますか?
もしそういうのを持っているのであれば、大切にした方がいいでしょう。
結果が出ればそれだけ多額のお金を得られますし、また実績としてひとに紹介できます。
個人の趣味でやっているものについても飛び抜けた結果が出せればマネタイズにつながります。
しかしながら、世の中にはそのような「得意を伸ばす」的な考えを排除する空気が蔓延しています。
「責任感」だの「苦手克服」だの、得意に専念させない要素がごまんと存在し、多くのひとが「もっと自分に正直になればよかった」と考えるものです。
実際に苦手克服に使う時間を自分の得意なことに割り当てられれば、かなり時間を有効に使えることでしょう。
得意なことであれば短時間で結果が出ますし、余った時間でさらに結果を生み出すこともできます。
一方で苦手克服にばかり時間を割いていたのでは延々と結果が出ないばかりか、得意なことに時間を使えないということにもなってしまいます。
つまるところ「苦手克服よりも得意をのばせ」というのは理にかなっており、長い目で見れば時間の節約になるわけです。
結果の出る出ないというのは自分の得意に対してリソースを割けるかが大きく影響し、結果の出やすいオイシイ部分にリソースを投入できれば大きな結果が出せます。
苦手克服はボトルネックとなっている部分だけでいいでしょう。
問題となっている点を集中して片付け、得意なことに使える時間を最大化する。大半のひとは「苦手を克服しなければ」というのを盲信してしまい、得意なことに打ち込む時間を自ら減らしてしまっています。
結果はモチベーションにつながる
結果というのはモチベーションを向上させます。
モチベーションが上がればそれによってさらに頑張ろうと思いますし、次に出てくる結果がよりよいものになるのは言うまでもありません。
「結果が出た!うれしい!次はもっとやってみよう!」
こういうのは苦痛に耐えぬくよりもずっと効果があります。
義務や仕事だと思っているうちは、好きで取り組んでいるひとよりも結果を出すことができません。
自然体で取り組めること、少し頑張っただけで大きな結果が出ることを探し、それに全力で取り組むというのは合理的なことなんです。
たとえば、もしあなたが運動が苦手・文筆は得意というのであれば、運動については苦労してまで取り組む必要性はありません。
取り組むにしても最低限の考え方を身につけるぐらいでよく、時間を使うごとに得られるものが少なくなっていきます。
それとは逆に、文筆に対してはバカと呼ばれるぐらいに時間を使ったほうがいいでしょう。結果が出まくる一方で、苦痛をほとんど感じないどころか「楽しい」と感じるため、生活そのものが楽しくなります。
得意な文筆活動で結果が出て、それによってモチベーション向上。
そこからさらに文筆にまい進し、さらなる結果が出る。
モチベーションというのは無視できないもので、それひとつで大きく人生が変わる要因にもなります。
才能の有無に「気づく」
ただ、自分の得意なこと、自分の才能というのは、実際には気づくのがむずかしいです。
というのも多くのひとは経歴やイメージについて他人からあれこれ言われ、それを評価の基準としてしまうからです。
言いかえれば、理系の学部出身のひとが、自分のマネジメント能力に気づけないまま人生を終える可能性もあるということ。
わたしたちは他人の評価を気にしてしまいがちなだけに、才能に「気づく」というのは実は難易度が低くはないのです。
本に書いてあることを実行してみたら結果が出てしまった。別の視点から見たら、自分の意外な点に気づくことができた。
こういうのは友人のアドバイスだけでは気づけないもので、
- 考えのちがうひとからアドバイスされる
- 実際に取り組んでみる
といったことによるものが大きいです。
考えがちがうひとのアドバイスというのは、格上のひとと関わるというのと似ています。
自分と同レベルのひととばかり関わっていては斬新な発想など生まれませんし、そもそも褒められること自体がまれです。
その一方、文化がちがうひと、格上のひとというのは視点そのものが自分とはちがうため、今までは気づかなかった点に気づかせてくれることも多々あります。
また実際に取り組んでみるというのもいいでしょう。
たとえ経歴が理系だからといってマネジメントができないわけではなく、文系だからといってプログラミングやモノづくりで化けないとは限りません。
わたし自身はちょっと前まで自分のことを「プログラミングができず、ひとを動かすこともできないゴミ理系人間」と思っていました。
理系人間にもかかわらずプログラミングはできず、ゲームが作れない。理科系男だからコミュ力はないだろう。
しかし分野を変えてプログラミングをしてみると意外とできてしまい、むずかしい流体の話もどんとこい。ビジネス書を読んで素直に実行してみたら、まわりのひとを思い通りに動かすことができた。こんな感じで、実際にやってみないと能力があるかどうかはわかりませんし、また自分では気づかない視点からのアドバイスというのは能力に気づくのにつながります。
経歴は能力を担保しない
プログラミングやひとを動かす以外にも、コミュニケーション能力の圧倒的成長、文筆能力など、自分の意外な才能に気づくことはありました。
それらは「今まで体育会系&理系人間だったんだから、これからもその路線でいくべき」みたいなのに従っていたら気づけなかったでしょう。
コミュニケーションについては質問の仕方をマニュアル化し、文筆能力についてはインプットとアウトプットの繰り返し。そうしたら意外とできるんだなと気づけました。
自分の意外な能力に気づけたのは、情報収集のしかたを変えたのが大きいでしょう。
外部の情報を意識的に手に入れようとしたのは結構大きくて、今いるコミュニティ以外のひとと関わる、本やネットでの情報集種も欠かさないなどといったのが影響しています。
経歴は手がかりになることはありますが、それが必ずしも能力を保証するというわけではありません。
理系卒といいながらも文系能力が高いひとはこれまでにもたくさんいましたし、「理系はただ使われるだけの駒」みたいな考え方から抜け出せないと文系能力に気づくことはできません。
経歴に固執せず自分の得意を探すというのは重要で、経歴という固定観念から抜けだして考えることで、自分の本来の才能に気づくことができるのです。
まとめ
経歴やまわりの評価に依存する考え方というのは、才能に気づく・得意で頑張るという点では致命的です。
フツーのアドバイスを聞いていては「今までやってきたことを続けるべき」みたいなアドバイスしか返ってきませんし、文系人間に対してプログラミングの提案がなされることもありません。
もし人生を好転させたければ、入ってくる情報を変えてみたり、幅広く物事に取り組んでみるということが欠かせないでしょう。
才能というのはそのようにして気づくパターンが多いですし、才能に気づければ時間の使い方もおのずと変わってきます。
コミュニティを抜けた人間に対して敵対視する風潮はあるが、あなたはどうするのか。
経歴を過信して泥沼にはまっていないか。
苦手や得意に気づくことができるかどうかは、現状に疑問を持てるかどうかが大きく関わってきます。
情報やかかわるヒトが変わり、時間の使い方が変わっていく。
多くのひとは情報やコミュニティといったものに対して疑問を持てず、苦手なことで搾取されつづけてしまいます。
チャレンジや方向転換は勇気がいりますが、それらが生活を好転させる可能性というのも無視できないのです。