@hyper_nazo
だれでも
ギャラルホルン側の描写から見る演出意図の考察:ギャラホクラスタさんには不快かもしれないので全文はリンク先にて。
オルフェンズにおいて、鉄華団側(特に主人公2人)の人物描写はかなり徹底して「説明をしない」という意図が感じられる。
オルフェンズにおいて、鉄華団側(特に主人公2人)の人物描写はかなり徹底して「説明をしない」という意図が感じられる。キャラが心情を吐露する事もないし、考えを口にする事もないし、過去何があったか、という事も詳しい描写が殆どない。実際の人間がそうであるように、キャラが口にする言葉は思考のトレースではなく、キャラの言葉や言動が「何か考えた結果の言葉」であり「過去の体験を伺わせる」描写がされている。しかしこれはかなり注意して見たり、過去に同様の演出がされている作品に触れていないと気がつかなかったりするもので、これはエンターテインメントとしては不親切な方法であろうと思う。だから今はアニメでもドラマ映画でも過去や心情や考えを全て台詞や演出で説明し、気持ちよく感情移入させる手法が多くなっている。それに慣れてしまっていると、三日月やオルガはかなり分かりづらくつかみ所の無いキャラクターであり、最後に向けての鉄華団の行動や集団心理は共感しづらいものだろうと思う。
一方でギャラホ側の描写はその逆をいく描写になっている。ガエリオ、カルタ、マクギリスの三人は三日月、オルガ以上に過去の関係性の描写がされているし、ガエリオとカルタ、特にアインは分かりやすく思想と感情を口にする。カルタに至っては死亡する直前にこれでもかと好感度を上げ、視聴者が感情移入するようにしむけている。ギャラホ側は「通常エンターテインメントに見られる説明的な演出」をしている。これは鉄華団側の演出に比べて、言ってしまうとかなり「雑」な演出に見えてしまうが、感情移入しやすいぶん、人気が出るのもこちらであろうと思う。
鉄華団側とギャラホ側がここまで対の演出方法がされているのは、ギャラホ側のキャラの立場や経歴、思考が鉄華団側と比べて単純で軽薄である(育ちがよくて良い人だからこそ差別思想である事に気がつかないなど)という事の表現か、という風にも感じられる。(もっとも尺の都合というのが一番大きそうではあるが)
しかし、彼らの中においてマクギリスだけは例外で、彼についてはキャラの役割というのもあるが、言葉と本心は逆、もしくは別であり、過去も描写されるもののカルタやガエリオをどう思っていたかの明確な描写はされない。そういう意味ではマクギリスはやはり本質的には鉄華団側であろう。
ガエリオは、公式の動向から2期で登場するだろう事がほぼ確定してきたので、そうなると1期と2期で対の演出がされる可能性が高い。彼の裏表がない純粋さはギャラルホルンの軽薄さを体現していたが、ガエリオもギャラルホルンも2期では1期を土台にした複雑さを得て登場すると考えられる。そうなって初めてマクギリスの屈折した複雑な心情を暴ける存在になるのではないかと感じている。