激動の昭和史の中枢を“参謀”として駆け抜けた伊藤忠商事元会長の瀬島龍三氏=写真左=が4日、東京都調布市の自宅で老衰のため95歳で亡くなった。大本営陸軍参謀からシベリア抑留をへて、帰国後は商社マンとして航空機商戦で辣腕をふるった。山崎豊子さん(82、同右)の著した「不毛地帯」は、瀬島氏の波乱の半生をモデルにしたとされる。山崎さんが人気小説にまつわる秘話と、人間・瀬島龍三を夕刊フジに語った。
「大本営参謀、シベリア抑留、商社マンという原型だけをいただきました。モデルではなく、私が作ったものです」
山崎さんは、主人公のモデルが瀬島氏であるという通説を否定する。
「不毛地帯」は1973−78年にかけてサンデー毎日で連載されて人気を呼び、76年には仲代達矢主演で映画化された。
小説のなかで、瀬島氏がモデルといわれた元大本営参謀・壱岐正は、近畿商事の大門社長に「あんた、戦争に敗けて、すまんと思うのなら、軍事戦略で鍛えた頭を、今度は日本の経済発展のための経済戦略につかうべきや」と叱咤され、46歳で新たな“商戦”に挑んでいく。
「まだまだ、あの小説は取材足らずだと思います。昭和の大事な生き証人を失いました。瀬島さんが話して下さらなかったことを、とうとう最後まで伺えなかったことが残念でなりません」
山崎さんは、戦時中の経歴や自身について語りたがらない瀬島氏へ度々取材を試みたが、断られ続けた。ついに瀬島氏も「あなたの根気に負けた。そのかわり、負けたからにはちゃんと話します」と取材に応じたという。
インタビューは100時間以上に及んだが、どうしても瀬島氏が答えてくれないことがあった。関東軍の将校が、最初にソ連軍と出会う場面だ。この席で、悪名高いシベリア抑留がソ連軍との間で密かに交わされたのではないかという疑問は、今でも歴史学者の中では根強く残る。
「日本の捕虜をシベリア鉄道の枕木を一本一本敷くように、兵器として使いたいというソ連軍の申し出に関東軍は了承したのか」と聞くと、瀬島氏は「そんな覚えはない」。さらに踏み込もうとすると、「辛いから思い出したくない。これ以上いいたくない」を繰り返したという。
「その点は昭和史をやっていられる方は疑問に思われるんですが、私も同様に疑問に思います。瀬島さんは、非常に頭のよい方ですから嘘をつくようなバカなことはなさいません。しかし、シベリア抑留の歴史的事実は話してほしかった」
賛否両論で見られた瀬島氏だが、山崎さんは戦後日本に与えた一番の功績として、「商社マンとしての活躍は評価に値します」と締めくくった。
ZAKZAK 2007/09/05