先日、運転免許の更新に行ってきました。いつもは平日に有給を使って近くの警察署で更新するのですが、うっかりして期限ギリギリになったのと仕事のスケジュールが合わなかったので運転免許試センターまで行ってきました。
で、免許証って裏面に臓器提供の意思表示の欄がありますよね。僕は専用の意思表示カードは持っていないものの、保険証や運転免許証の意思表示欄には常に提供すると記入してきました。
でも、今改めて考えてとても迷っているんですよね。
今までは臓器提供をするつもりだった
臓器提供で救われる人がいる
言うまでもない話ですけど、臓器移植の目的はそれがなければ死んでしまう方の命を救うということ、大きな障害を抱えて生きていく方を救うことにありますよね。それを実現するための臓器提供の目的はとても尊いと思います。
再生医療だとか、臓器提供を必要としない治療法の研究も進んでいるのでしょうが、現状では臓器提供がなければ助からない方は確実にいるわけですから。
死後の肉体など不要
僕は今まで死んだら肉体なんて必要ないものだし、それで救われる人が要るなら良いくらいに思っていました。
「自分の肉体は自分のもので、自分が必要なくなれば不要なもの」と思っていたのです。
不要なものが誰かの役に立つなら、不必要に拒否する理由はないだろうというところですね。
誰かの中で生き続ける
誰かの中で生き続けると言っても、霊魂の存在は信じているとか、本当に生きているって話ではないです。
僕が死んだあとも世界は続いていくし、そこに何かのつながりを持っていられたらということです。
死後も誰かの役に立てる、ということが自分が死んだあとの世界、未来とつながることになると思ったわけですね。
残される家族はどう思うのか?
家族を残して死ぬ
臓器提供に同意するか悩み始めた原因の1つは新しく家族ができたことですね。前回意思表示欄に記入したのは5年くらい前のはずです。それから僕も結婚し、娘が生まれました。
それまでは家族とは両親と妹のことでした。正直両親より早く死ぬというのは(ありえるんだけど)あまり現実味がなく、妹も家を出てすでに別々の道を生きているわけで、残して死ぬという感覚ではなかったんです。
でも、妻と娘ができ、もし自分が死んだら2人はどうなるんだろうと考えるようになったんですね。
夫婦仲は悪くないと思っているので、僕が死んだら妻は悲しむと思うんですよね。その時、僕の体を切り刻むことについて妻はどう思うのでしょうか?
もし、自分の愛する人が死んだとして、その体を切り刻むことになんの抵抗もない人はいるのでしょうか?僕なら嫌です。やはり多くの場合、抵抗があるものではないでしょうか。
死んだらすぐに決断しなければならない
海外ではどうかわかりませんが、日本では本人が臓器提供の意思表示をしていても、遺族の同意がなければ移植はされないといいます。 しかも、臓器提供はスピード勝負なはずなので、その人が死んだらすぐに決断しなければなりません。
だから、家族と話をしてあらかじめ決めておくという話もあります。確かにそれは大切なことかもしれません。
でも、お互い元気な時に話し合いをして同意していたとしても、いざ相手が死んだときに本当に心の底から同意できるのでしょうか?それもほとんど考える時間もなく。まだその死を受け入れることもできていないかもしれないのにです。
そんな決断を迫られるのはとても辛いものなんではないかと想像してしまうんですよね。
まとめ
自分の考えもまとまっておらず結論も出ないのにまとめってのも変な感じですが、記事の終わりなのでまとめってことで。
結局未だに記入できていない意思表示欄はどうすればいいのか。妻との話し合いも必要なのかなって思ってはいます。僕の中での気持ちの変化も今回のことで改めて感じたことで自分自身整理できていませんしね。
それに今回考えたことで臓器提供についてもいろいろと調べました。そして脳死や、そもそも死ぬとは何なのかといったことを考える良い機会にもなりました。
臓器提供については今後しっかりと考えて記入したいと思っています。