五輪はやはり五輪だ。施設の不備、治安の悪さなど問題も多いと言われたリオデジャネイロ五輪だが、いざ始まってみるとそんなことには関係なく、世界中の選手たちが連日、熱い戦いを繰り広げている。特に、太極マーク(韓国国旗のマーク)を付けてベストを尽くす韓国の選手たちの姿に、国民は時には感動の涙を流し、時には悔しさにこぶしを握りしめていることだろう。
だが、こうした場面に劣らず印象的な場面があった。韓国勢最初の金メダルを獲得したアーチェリー男子団体の決勝でのことだった。相手は米国チーム、監督は1988年のソウル五輪で韓国女子チームを率いたイ・ギシク氏だ。イ監督は決勝で韓国に負けた後「私は外国チームを率いる数多くの韓国人の一人」だと述べた。
調べてみると、イ氏のようにリオ五輪に外国チーム監督として参加した韓国人は16カ国・地域、7競技で18人いた。ベトナムに史上初の金メダルをもたらしたパク・チュンゴン氏、フィリピン卓球史上初の五輪選手を輩出したクォン・ミスク氏、マラウイのアーチェリーチームを率いるパク・ヨンスク氏、台湾の射撃チームのキム・ソンイル氏などだ。その多くは韓国が強いアーチェリーや射撃、テコンドーの監督だ。
私たちは優れた人材を海外に送り出すことに慣れていない。それどころか、人材が海外に出ていくことを「裏切り」と見なす場合さえある。だが、外国チームを率いる韓国人監督をめぐり、韓国国内で「祖国を捨てた。ライバル国に行くなんて、どんな人材管理をしているのか」といった人材流出批判はほとんど聞かれない。リオ五輪で秦鍾午(チン・ジョンオ)選手を抑え、男子エアピストルで金メダルを獲得したベトナム人選手を育てたのはパク・チュンゴン監督だ。また、台湾の射撃チームを率いるキム・ソンイル監督は秦鍾午選手の師匠だった。