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初代ゴジラの“呪縛”から逃れた『シン・ゴジラ』 モルモット吉田が評する実写監督としての庵野秀明

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正統派の原田と邪道の庵野

 次に、庵野の実写監督作品として『シン・ゴジラ』を考えてみたい。これまで長編実写として『ラブ&ポップ』(98年)、『式日 SHIKI−JITSU』(00年)、『CUTIE HONEY キューティーハニー』(04年)を撮ってきたが、個人的に『ラブ&ポップ』は90年代日本映画を代表する傑作と思うが――最初の2作はアニメ監督の余技であり、実験作と言っていい。ところが『キューティーハニー』は、一般観客向けのサービスを盛り込んだものの、庵野の考える実写エンターテインメントとのズレが露呈し、無惨な作品となった。それだけに『シン・ゴジラ』の総監督が庵野と発表された時に、実写での履歴を思うと不安を覚えた。

 庵野自身も過去に「実写とアニメでは業界からの見方が違ってきますから。『アニメやる』と言ったらすぐお金が集まると思います。(略)実写だと『庵野さんは実績がないから作れない』と。そこが大きく違います」(『文藝別冊 庵野秀明』河出書房新社)と語るように、バジェットの大きなゴジラ映画を撮るにあたって、これまでとは異なるアプローチを余儀なくされるのではないかと予想した。
 
 庵野の実写演出の特徴は、劇中で描写されるものを即物的に描こうとすることだ。『ラブ&ポップ』で、女子高生のヒロインが援助交際する相手の男が大事に持っているぬいぐるみは、原作に沿えばディズニーランドにあったアトラクション『キャプテンEO』に登場するファズボールである。しかし、商標権の問題があり、映画に登場させるわけにはいかない。通常ならば架空のキャラクターなどに置きかえるところだが、庵野はぬいぐるみにモザイクをかけ、台詞にはピー音を被せて画面にそのまま登場させた。出せないから映画らしく工夫する、置き換えるという工程をすっ飛ばしてしまうのだ。

 だから、この作品で女子高生が描かれると言っても、庵野にとっては理解不能の存在である。そこで無理矢理分かったふりをするのではなく、映像手法によって分からない内面を補完しようとする。当時はフィルムが主流だった映画撮影に、家庭用のデジタルビデオカメラを複数台導入してドキュメンタリー的に長時間の映像素材を撮影し、饒舌なまでのモノローグを挟みこみ、編集によって女子高生の内面を作り上げていくのである。
 
 そんな映画の作り方は邪道と思われるかも知れないが、例えば同時期に原田眞人が監督した『バウンス ko GALS』(96年)も同様に女子高生の援助交際を描いているが(庵野は自作の撮影前に現場を見学したという)、映画としては正統なアプローチを行って佳作に仕上がっているものの、女子高生を理解しようとしたせいで、おじさん目線の女子高生像に矮小化された感は否めない。

 これは、それから20年後に原田が再映画化した『日本のいちばん長い日』(15年)と、『シン・ゴジラ』の関係にも同じことが言えるだろう。共に岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』(67年)が起点となっているが、映画としては真っ当な作りの原田より、邪道な作りの庵野の方が現代にふさわしい『日本のいちばん長い日』を作り上げているのではないだろうか。
 

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