伊藤誠
2016年8月24日09時10分
京都府笠置町では明治初期から昭和まで、天然の炭酸水が瓶詰めで出荷されていた。町によると、「初の国内産ミネラルウォーター」とみられるという。まちの創生に力を入れている同町は秋にも、炭酸水がまだ湧出しているかどうか調査を始め、確認できれば再び特産品として売り出せないか検討する方針だ。
町企画観光課によると一昨年、町の観光資源を再発見するため町民と話をしていて、「昔、炭酸水が湧いていた」と聞かされたという。担当者は「たぶん、今の町民のほとんどは知らないはず」と話す。聞き取りや資料の記述から、少なくとも昭和半ばごろまでは飲まれていたらしい。
府史や相楽郡史などの文献に記述がある。炭酸泉が見つかったのは1872(明治5)年2月。同郡上有市(かみありいち)村(現在の笠置町)の木津川で、岩の間から湧き出していた。当時、府の勧業政策の一翼を担っていた京都舎密局(せいみきょく)が採取場を設け、「山城炭酸泉」として発売。文献では、瓶で1日あたり500本分が湧いていたと推測している。日本のサイダー飲料の草分け、三ツ矢サイダーのもとになった天然炭酸水「三ツ矢印平野水」の発売よりも前のことだった。
当時は「消化を助け、胃腸に良い」とうたわれて人気があり、様々な業者を通して流通していたことが資料から確認できる。
1880(明治13)年7月の…
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