08月23日の「今日のダーリン」
・コンピューターが、どんどん発達して、
囲碁だとか将棋のような世界では、
近い将来に確実に人間より強くなると言われている。
人がつくった知能が、人に代わって、
「よく考えること」を、人よりうまくやってくれる。
そういう時代は、すでにはじまっていると思う。
こういう話題は、いろいろと、
これからの人間が考えなくちゃならない問題を、
生み出してくれる。
職業のこと、政治や戦争のこと、人間の生き方のこと、
医療のこと、教育のこと、芸術表現のこと、
あちこちで、たくさん論議されていくことになるだろう。
興味の範囲内で、ぼくも少しは考えなくもないのだが、
ぼくは、そもそも人間とコンピューターを比べるのは、
ちょっとおかしいような気がしている。
人間が人工知能に追いこされるとか、
人間はコンピューターの奴隷になってしまうとか、
そういう考え方っていうのは、
コンピュータが「人工脳」で、
人間が「自然脳」である、と捉えているような気がする。
人間は、「脳」ではない。
人間は「脳」でも筋肉でも心臓でもけつのあなでもなく、
人間は、生まれて生きて死ぬ人間というまるごとなのだ。
なにかを「よく考えること」を、
コンピューターさんにやってもらえるようになっても、
人間と争っているわけではないのだ。
つまり、いくら自動車が速く走ったとしても、
ボルトの足が速いこととは関係ないのと同じことだ。
コンピュータには生まれると生きると死ぬがない。
比喩的に親がいたり、経験があったりはするだろうが、
それは、人間まるごとの営みとはまったくちがうのだ。
早い話が、人工知能は、異性に好意を抱いて、
「ごめん、きもいからゴメン」などとは言われない。
じぶんの後継機に「おとうさん」なんて抱きつかれない。
ずいぶんたいしたことない例のようだけれど、
それこそが、人間の宝物のような「LIFE」なんだよね。
人間は「他者との関係まで含めて生きるまるごと」だ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
それはそれとして、人工知能が発達するのには興味ある。
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