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水琴桜花のブログ~ENJOY LIFE~

本・マンガ・映画・アニメなどのレビューブログです。ライフハック系の生活お役立ち情報なんかも紹介していこうかと思います。

ラノベ主人公に見る『優しすぎる病』 ~ウィリアムズ症候群との類似~

 世の中には、優しすぎる病気というものがあります。ウィリアムズ症候群と呼ばれる特定の遺伝子疾患です。

 ウィリアムズ症候群は、1~2万人に1人の割合で発症するとされています。以下、脳科学辞典から引用します。

 

 ウィリアムス症候群は、7番染色体長腕の微細欠失症候群(7q11.23)で、発生頻度の稀な神経発達障害である。心臓疾患、特徴のある顔貌、聴覚過敏知的障害視空間認知の障害、高い社交性などが伴う。

 

 ウィリアムス症候群の患者は、他者に対する警戒心を持たなくなるため、人懐っこくなるのが特徴です。

 優しさが病気とよばれてしまうのは、なんだか皮肉な感じがしますね。しかしながら、優しいことと警戒心がないということは、やはり区別するべきなのかなと思います。

 そういう意味で、ウィリアムズ症候群をより正確に表すならば、他者を信用しすぎる病、あるいは他者に安全を委ねすぎる病と言い換えたほうがいいかもしれません。

 

 

 さて。エントリーの表題にも書きましたが、私が言いたいことはこういうことです。つまり、ラノベの主人公の多くもまた何らかの神経発達障害にあるのではないだろうか、と。

 じっさいラノベを読んでいると、多くの主人公が、脳の機能に障害をもっているとしか思えない言動をよくします。 そのパターンは、以下のように大きく2つに分けることができます。

 

  1. 極端に人を疑って厭世的になる
  2. 極端に人を信用して『仲間』や『絆』といったものをありがたがる

 

 1の場合は、ウィリアムズ症候群とは逆のパターンですね。優しくなさすぎる病気といったところでしょうか。もちろん厭世的であることと優しくないことも区別するべきだとは思いますが。

 こちらのパターンですと、たとえば僕は友達が少ないとかやはり俺の青春ラブコメはまちがっている。なんかが代表作ですね。ただしこれらは、思春期特有のニヒリズムであってむしろ微笑ましく描かれているので、病気というほどではないでしょう。

 

 しかし、これがノーゲーム・ノーライフみたいな主人公だと、ちょっと危ういです。1日じゅう部屋でゲームができて衣食住も保障されている環境にありながら、「生まれた世界を間違えた」とか言ってしまうのは、わがまますぎるでしょう。テロや通り魔といった事件を起こす人にありがちな、承認欲求の満たされなさを如実に表しています。

「俺は人類なんて信じちゃいないが、人類の可能性は信じてる」とかもう。ほとんどカルト思想ですよ。「この世界は間違っているから、人類は霊的に進化しなくてはならない」などといって地下鉄にサリン撒いたオウム真理教なんかに似ています。

 私は、ノーゲーム・ノーライフのような 異世界転移+俺TUEEEEものが広く受け入れられているのは、新しいカルトの幕開けだと危惧しています。じっさい、イスラム国(ISIL)なんかはそういった傾向が顕著ですね。現実を虚構化させた世界で、俺TUEEEEを実際に遂行しているので。

 

 

 つづいて、2の極端に人を信用するパターンですが、こちらはウィリアムズ症候群に似ているところがあります。代表作をあげると、ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうかでしょう。

 この主人公は、他人を疑うことを知らないんですね。だから、主人公を騙そうと近づく女の子も受け入れちゃう。それがまるで美徳のように描かれてるんですが、こんなのは美しくもなんともないですよ。ハーレムを演出するための口実にすぎません。

 冒頭でも述べたように、優しさと警戒心がないことは違うんです。言い換えれば、信用することと、無条件に安全を委ねることは違う。

 

 もちろん、社会全体の発展とか考えたら、人を疑うよりも信用したほうがいいでしょう。でもそれが成り立つのは、完全な情報管理社会であってこそですよ。常に他者の利益になるよう強いられているディストピア

 個人に自己決定権が与えられているかぎり、『他人が自分に不利益を与えるかもしれない』と考えるのは必要なんです。

 

 それに、情報の駆け引きにおいて相手を警戒するというのは、相手に高度な知性があると認めることでもあります。つまり、疑うことは敬意でもあるわけです。逆説的ですが、疑うことで初めて成立する信頼関係というのもあるんです。

 疑わないから良い人、っていうのはちょっと気持ち悪い倫理観ですね。

 

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 とまあ、いろいろ書いてきましたが。最後にひとつ、強調しておきたいことがあります。

  それは、このエントリーに書いてある内容が、ウィリアムズ症候群の人たちの優しさを否定するものではない、ということです。

 

 遺伝子の欠損により警戒心をもたず、人懐っこい笑みで無条件に他者を信用する。それを優しさと呼ぶこともできるでしょう。しかしそれは、ウィリアムズ症候群という障害を受け入れ、支えてくれる理解者があってのものです。誰かが代わりに警戒してくれるから、本人が無邪気に笑えるわけです。

 周りの人の優しさによって成り立つ、二段構えの優しさなんです。

 

 このエントリーで私が問題にしたかったのは、ラノベの主人公が優しすぎる、ということではありません。そうではなくて、主人公に対して優しすぎるラノベの世界そのものが、問題だと思うのです。逆ウィリアムズ症候群なんです。

 主人公にとって都合のいい世界では、心の底から歓びを感じられるような作品は生まれません。そこにあるのは、想像力を必要とせず、流行りものを追いかけただけの皮相的な快楽だけです。そんなものをありがたがるのは快楽中枢を刺激されてオナニーをつづける猿といっしょです。だから、猿の精液みたいなライトノベルが量産されてしまうんです。

 

 ただ、文句ばっかりいってるようですが、異世界転移ものにも、心の底から歓びを感じさせてくれるような良い作品もあります。とくに私が感動したのは、灰と幻想のグリムガルです。

 こちらはファンタジーゲームのような異世界に転移してギルドを組んで戦うという、設定自体はありがちなものなんですね。だけどその異世界がかなりリアルなんですよ。ゴブリン一匹倒すのにも苦労するし、殺すときにはちゃんと肉の感触が伝わる。恐ろしいくらいのリアル。タイトルからおそらく村上龍を意識してるとは思うのですが、苛烈な生の描き方なんかは、いい感じに村上龍エッセンスが効いています。超オススメです。