2014年02月06日

「公文式の弊害」について思うこと

あちこちで「公文式の弊害」について取り沙汰されています。(「算数」についてです。)

一応、公文式算数の弊害とは何か確認しておきますと、弊害と言われていることのメインは「計算は得意になるが文章題となると、文意を考えようともせず計算式を立ててしまう子が多い」ということでしょうか。つまり、じっくりと考えることができないんですね。

スピード重視で計算の特訓をさせられてきたことの弊害なのだそうです。
もちろん、皆が皆こうなるわけではありません。


こういうことになってしまう背景には、公文式がかなり特殊なやり方だということを親が分かってないのも原因のひとつにあると思います。
「計算さえできるようになれば算数はできるようになる」という親の思い込み、そしてそこに胡坐をかいている公文側の態度は不誠実です。


○○式ダイエットみたいな話に似てると思いませんか?
朝バナナダイエットとかリンゴダイエットとか、何かそういう単純なやり方がまるで万能であるかのように、皆飛びついてしまうでしょう?

公文式が良い、おともだちもやってる、幼児なのに四則演算できる、と聞けば何も考えずに飛びついてしまう。
小学生は公文というイメージがあるから、何も疑問に思わないのは当然かもしれませんが。


ただ、私が一番不思議に思うのは、計算ってわざわざお金払って訓練しないとできるようにならないの?ということです。
学校じゃダメなの?ってこと。

そりゃあ、今の学校教育が信用されてないのは私も知っていますが、四則演算くらいはちゃんと教えてくれると思うんだけどなあ。

高学年になって、あまりにも計算が苦手だということになったら、そのときはじめて公文式を考えればいいと思うんですよね。
それをなぜ幼児からやらせようとするのか。

勉強ってもっともっといろんな分野があるでしょう?
幼児期や低学年期に計算練習に時間をかけるくらいなら、語彙力を伸ばした方が高学年になってから役に立つと思いますよ。
言葉が増えることで、思考の幅も広がります。興味の幅も広がります。

「計算が速い」といった目に見える成果ばかりを求めて、大切な何かを失っているように思えますね。
それが「公文式の弊害」として現れているのでしょう。

・・・

と、ここまで書いておいてwikiで公文式について調べてみました。

そもそも、公文式というのは、高校の数学教師をしていた公文公(くもんとおる)氏が、高校数学での落ちこぼれ対策として考えたものだったのですね。計算のやり方でつまづいているところまで戻って、自力で再学習をするためのもの。

なるほど。

中高校生のできの悪い生徒相手なら、特訓めいたやり方にも納得です。

ところが、そんな公文式のやり方が、我が子に先取り教育をさせたい親のニーズにマッチしてしまった。
さらに、「自主学習」だから、フランチャイズ展開しやすかったことも、公文式がこれだけ広まるのに拍車をかけた、と想像できます。
また、一時期には、ビジネスチャンスを悟った公文側が「幼児でも方程式が解けるようになった」と宣伝してしまったこともありました。


ある程度の年齢に達した(小学生なら高学年以上)算数・数学の苦手な子に、つまづいている箇所まで戻って計算の特訓をするというやり方は、とても納得のいくものです。

中学生、高校生なら、たくさんある勉強の中で「計算」がどういう位置づけにあるものなのか、分かっているでしょう?
集団の中での自分の計算力がどのくらいなのか、計算力がつくとどういう利点があるか、自分で判断がつくから特訓めいたやり方をさせてもいいのです。
早くても小学校の高学年からなら、すでにある程度は文章題をやってきているから、いくらスピード重視で特訓をしても、「これ掛け算の問題?割り算の問題?」とはならないでしょう。


でも、幼児や低学年の子だったらどうでしょう?

公文式というのは、時間制限をかけて100点を取らないと先に進めないどころか、前のレベルに落とされるというシステムになっているようですね。
中学生くらいのタフな子ならそれでいいと思いますよ。あと、もともと理数系に強い頭を持って生まれてきた子も、少ない練習で計算ミスをなくせるだろうから、どんどん先に進めて公文式が非常に楽しいものとなるでしょう。

では、理数脳じゃない子は?
どんどん先に進んでいくお友達がいる中で、自分は計算ミスが減らせず先に進めない。苦手な計算ばかり、時間に追われながらやらされる。
100点じゃなかったら、また同じ問題を解かされる。苦痛じゃない?
がんばってがんばってやっと100点取れた!という喜びもあるだろうけど、それで算数が好きになる?
心理的負荷をかけられて速く答えを出すことを訓練されてたら、「じっくり考える」なんてできなくなっちゃうよね?

6年間かけてじっくりと計算力を高めていくような方法が合っているような子もいると思うんです。
低学年のうちは計算のしくみが理解できていればいいのではありませんか?学年が進み脳が成長するにつれ、計算ミスも減っていくはずです。


低学年のうちに6年生までの計算をできるようにしておいたら、高学年になってから別の勉強に力が入れられるよねという考え方は、一見合理的に思えるかもしれないけど、人間の脳ってそんなに都合よく成長するわけじゃないんですよ。

たとえば、幼児には筋トレなんてさせないでしょう?
幼児に体力づくりさせたいんだったら、自由に走り回らせるのが自然じゃない?


算数が得意になるためには、算数を好きになることが一番です。
算数のおもしろさは、自分の頭で考えてひらめいたときに感じます。

できるできないは二の次なんですよ。
低学年のうちは、日常の生活の中で計算と関わったり、あるいは、算数が楽しいと思えるような問題を色々与えて、算数を好きになってもらうことがまずは大切。
算数が好きになれば、あとは勝手に勉強するようになりますよ。


ちなみに、計算の速い子は、ゴリ押しの計算力で問題を解こうとするようですが、「計算めんどくさいなあ、なんとかラクにできる方法ないかなあ」
とズルく考える子の方が算数は伸びるようですよ。つまり、まじめにコツコツ計算をやるだけでは伸びない力があるってこと。「必要は発明の母」と言いますよね。「めんどくせえなあ」が思考力を伸ばすこともあるのです。


というわけで・・。
公文式算数教室を利用するなら、その学習法を必要とする子に必要なタイミングで。
私の考えでは、算数の非常に得意な子が中学高校の先取り学習をするためか、もしくは、算数を苦手とする子が中学高校へ進学する前に苦手を克服するために有用。いずれも中学受験しない子。

中学受験する子は、低学年のころから図形や文章題で思考力強化に時間をそそぐべき。計算の特訓に時間とお金を使うのはもったいない。
posted by クマゾー at 11:52| 公文式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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