こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。
2015年9月27日、平成ライダー第16作目となる「仮面ライダードライブ」が最終回を迎えた。小学生の時に初めてクウガを観て以来、シリーズ16回目の最終回。やはり感慨深いものがある。ご承知のとおり今時1年モノのドラマをやっているのはライダーと戦隊と大河くらいなもので、まずは無事に1年間走り切ったことをシリーズのファンとして喜びたい。同時に、キャスト、スタッフの方々、本当にお疲れ様でした。
とは言いつつ、私がこのドライブに感じているのは壮大な「惜しさ」だ。惜しい、とにかく惜しい。もっとああしていれば、もっとこうなっていれば、一介の視聴者の分際とはいえ色々と感じてしまう作品だった。非常に光る部分や面白いポイントもありつつ、やはり全体の構成やまとめ上げ方に不満が残る。この記事では、そんな私が感じた「仮面ライダードライブ」について徒然と書き並べながら、平成仮面ライダーシリーズそのものにまで言及していきたいと思う。
■奇妙なバランスの基本設定はなぜ走り出したのか
まずもって、私はこの「仮面ライダードライブ」の基本設定がそもそもあまり練り込まれていなかった、と感じている。それをひとつひとつ挙げながら紐解いていきたい。
ドライブの大きな目玉として発表されたのが、主に以下の2つの要素だ。「刑事」、そして「車(=バイクに乗らない)」。例えばアギトのG3やダブルのアクセルなど、刑事ライダーとして公権力が背景にある仮面ライダーは過去にも複数存在した。今回のドライブではそれを満を持して主役に持ってきた。メインビジュアルではパトカーを背に立ち入り禁止の黄色テープで彩られており、“いかにもな警察戦士”な方向性が垣間見えた。しかし蓋を開けてみれば、劇中のドライブは実の所「自警団」だった。ドライブという戦士の存在は警察組織に全く認知されておらず、その変身者も組織に対しては隠蔽。警察組織とドライブシステムの分断の理由は中盤に語られたのだが、それはともかく「刑事ライダーなのに警察組織に所属していない」という奇妙な設定から番組は走り出した。
実はこのバランスが全ての“歪さ”の始まりだったのではないか。特状課の面々は凸凹な面々ながら一致団結でドライブをサポートする、そんなシチュエーションが描きたいのは分かるが、そもそも誰が変身しているかも存在も不透明な奴をサポートする意義が見出せない。「特状課と進ノ介と霧子はチーム」という状況は、決して「特状課とドライブと霧子はチーム」にはならないのだ。ロイミュードによる怪事件が発生し、特状課が捜査に乗り出すまでは良いとして、解決は毎度のようにいるかいないかも分からない仮面ライダーが知らぬ所で敵を倒してクリア、ってそんな都合の良いことが度々起こっていいはずがない。
特状課がチームプレイをすればするほど、ドライブが警察組織所属でないという設定が足を引っ張り、その溝が露呈されていく。特状課の(課長を除く)面々は、一体誰のために情報収集と捜査を頑張り、どのような手段でその事件の収束を知り得ていたのか。神の視点である視聴者には「特状課からの情報提供」と「ドライブこと進ノ介の戦い」が繋がって見えるけれども、一度作中の登場人物の視点に立ってみると、それらは恐ろしくグラグラでバランスの取れていない整合性だったと言わざるを得ない。
「刑事ライダーなのに警察組織に所属していない」という歪さは、中盤以降、進ノ介がその正体を明かした後に解消される。結果として001こと真影壮一が国家防衛局長官兼参議院議員として暗躍していたのでその分断体制は正解だったのかもしれないが、それはあくまで後付けの“辻褄合わせ”のようなもので、2クールもの間ずっとモヤモヤを抱えながら観ていた私のような視聴者に対する“答え”としては不成立だ。フォーゼの仮面ライダー部との被りを避けたのかもしれないが、やはり特状課内だけは隠し事なしで正真正銘のチームであって欲しかった。満を持してそれが叶った中盤からも、新生特状課の新たなチームプレイを魅せる間もなく仮面ライダーチェイサーの誕生に尺を割いていて、何だかなあ …と。
ひとつ目が長くなってしまったが、ふたつ目の本番組の目玉は、「車(=バイクに乗らない)」。「“仮面ライダー”なのにバイクに乗らない。それってもう“仮面ドライバー”じゃないか」という全国民からのツッコミをしたり顔で受け付けるかのようなこの方向性自体は、私は結構良かったと思っている。非常にインパクトがあるし、話題性も抜群だ。一口に「仮面ライダー」と言っても、それはマスクデザインなのか、マシンなのか、悲哀性なのか、物語なのか、多方面に様々な意味を持つ。「仮面ライダー1号とサイクロン」のように、「戦士とマシン」という組み合わせは一周して非常に仮面ライダーらしいものであり、巨大モノはCG処理だった例年のパターンをちゃんと崩してきたのは喜ばしいことだろう。刑事はパトカー(自動車)で現場に急行するというアイデンティティがしっかり活きているのは言うまでもない。
しかし、改造により公道を走れないというどこか本末転倒な“しばり”がトライドロンを襲った。たまたま放送時期に「激走戦隊カーレンジャー」を復習していたのだが、改造車が公道をガンガン走っていて、やはりこの迫力はピカイチだなあ …と惜しく思ったりもした(法規制の状況が違うだろうから一概に比較はできないが)。とは言いつつも、運搬も走行許可も恐ろしく手間がかかったであろうトライドロンをほぼ毎週確実に登場させたのは非常に素晴らしいことであり、それが明確に番組の“顔”として存在感を失わなかったのは称賛に値するだろう。そりゃあ、欲を言えばもっと公道を走って欲しかったし、カーチェイスも今以上のボリュームで観たかったのが本音ではあるが、あのデカブツを毎週しっかり演出するために流したスタッフの汗を思うと、私は心の底から拍手を贈りたい。
ということで「車」という目玉はトライドロンという意味で成功だったと言いたいのだが、今度はドライブの武装の面で粗が目立った。要は、「タイヤコウカン」が全く活きていないというか、正直言って面白味に欠けるのだ。ミニカーをガチャガチャと交換し、たすき掛けのタイヤを換装し、固有の能力で戦闘を有利に運ぶ。と、ここまではフォーゼのスイッチと同じ理屈なのだが、まさかのここにドア銃とハンドル剣が出てくる。結局この2つのアイテムである程度戦闘がこなせてしまうので、シフトカーをガチャガチャやる意味が相当に薄いし、かなり限定的な話の都合による使用に落ち着いてしまう。
劇中にシフトカーは沢山出てくるのに、その内戦闘で使ってちゃんとタイヤコウカンするシフトカーはいくつかのみ。例えばせっかく現さんと繋がりが出来ていたデコトラを現さんメイン回の戦闘で使うといった試みは全く無い。完全に「DXシフトカーという玩具を売るためのタイヤコウカン」以上の意味がそこにはなく、放送開始の2014年末までの使用が主となった。年が明けてからあまりタイヤコウカンをしなくなったのは、他でもなくDXシフトカーの販売スケジュールがそこで落ち着いていたからだ。その頃には、もうマッハドライバーやシフトデッドヒートやトレーラー砲を活躍させなければならない。
総じて、「刑事」であることも、「車」をモチーフにしたことも、どこか歪で奇妙なバランスを内包しながら始まった仮面ライダードライブ。主に前半2クール、私はずっとこの妙な感覚と付き合いながらドライブを視聴していた。他にも、「刑事ドラマなのに犯人であるロイミュードを爆殺してしまうので“逮捕”できない」「パトカーを背にした組織としての見せ方ができない」「真実に近いながらも近づけない特状課の面々は結局ギャグパートの担い手としての仕事が多くなる」という初期設定の甘さが、ことごとく足を引っ張っていた印象が強い。運転免許試験場に堂々と停まる赤い魔改造車を誰も不思議に思わないことが、この“歪み”の最大の結果と言えよう。
■テコ入れのようなスピーディーな展開はなにを犠牲にしてきたのか
そんな奇妙な基本設定で走り出したドライブは、回を増すごとに演技の質をメキメキと上げていく竹内涼真くんの頑張りや、驚異的な安定感のあるベルトさんことクリス・ペプラーの美声、何だかんだ盛り上がる所はきっちり盛り上げてくる三条脚本の緩急など、いくつか光る部分を抱えながら中盤戦に突入した。
中盤の展開については、以前『仮面ライダードライブの新展開がテコ入れにしか見えないのはなぜか』という記事でかなり突っ込んで書いた。「ドライブの正体が周知のものに」「融合進化態ロイミュードの登場」「仮面ライダーチェイサーの登場」「進ノ介の父親殉職の謎」「国家防衛局長官である001の暗躍」「剛の父親がロイミュード開発者」等々、ほぼ前フリ無く登場したそれらの新要素が、ストーリーを加速させた。一見すると盛り上がりが過熱したようで、そのもつれたままの駆け足は沢山の粗を生み出していった。
マッハこと詩島剛は、当初はやけに陽気なキャラクターで登場しつつ、一時的にロイミュード側に寝返る?といった活躍を見せた。結果として、自分の父がロイミュードの開発者であり、その事実を姉である霧子が知らぬうちにカタを付けようと独り苦悩していたのだ。その結果、父の電子データが眠るタブレットを奪取するためにロイミュード側に付くも、隠密作戦の最中で001が進ノ介を殺害してしまう。彼がその結果に非常に悩んだことは度々描写されるのに、その後の彼に進ノ介も霧子もろくに手を差し伸べず、何故かチェイスとの友情話が新規に登場しフォローを始める。剛とチェイスが友情云々で関係性を育むこと自体は良いのだが、その前に当然あるべき主人公サイド(進ノ介と霧子)とのわだかまり解消が全く描かれない。
一方のチェイスはプロトドライブとして実質の“1号ライダー”だったことが明かされ、機械人形としてロイミュードの手に堕ちていたことが判明する。「ロイミュード組織内の処刑人“死神”としてコアは破壊しない」という矜持が魅力だった魔進チェイサーだが、そのプライドや役割はあまり物語に活かされず、常にドライブのお邪魔キャラとしてマリオのハンマーブロスのような出現を繰り返すばかり。「人間のために戦う」という使命を思い出し仮面ライダーチェイサーとして生まれ変わるのは劇的だが、結果として一転同族であるロイミュードを殺す側(コアまで破壊する側)についたことへの葛藤や迷いは描かれない。そこが美味しいのに。“死神”としての魅力が、全く“仮面ライダー”にまで繋がってこないのだ。
マッハ(剛)も、チェイサー(チェイス)も、非常に良い物語を持っている。一見陽気ながら影を背負うカメラマンの青年、人間の機微が分からないギャグパートでも優秀な人造人間、非常に魅力的なキャラクターたちだ。しかし、痒いところに手が届かないまま表面的な勢いで進んでいく中盤戦において、彼らはこの上なく「惜しい」存在になっていった。演じる稲葉友も上遠野太洸も良いアクトを重ねれば重ねるほど、観てる側は「う~ん」と頭を抱えてしまう。
そんな「もったいなさ」が横行する中、タイプトライドロンが登場し、001を打倒し、怪演ぶりが賛否両論だった仁良を主軸とした「進ノ介の親父関連編」は終わるのだが、これまたそれが上手かったかと問われると苦しい。結局畳み掛ける説明に次ぐ説明でそれぞれの動機が語られるため背景が分かり辛く、そのドラマは終盤の展開にほとんど活きてこない。
この全方位の「もったいなさ」が浮き彫りになったのが第36話「銃弾はどこに正義を導くのか」の3大ライダーの共闘図であり、本来であれば様々な人間関係が盛り上がりクライマックスを迎えるべき場面で、“わだかまりそのままにただその場に集まったライダーたちが一緒に戦う”という最高にモヤモヤする場面に仕上がっていた。ついでに言えば、主要キャスト3人が一緒に歌う挿入歌もボリュームが小さく、敵である仁良を倒しても捨て台詞を吐いて意気揚々と去っていき、全くスカッとしない「進ノ介の親父関連編」エンディングとなっていた。
■蛮野が全ての悪を一手に引き受けた末の共存はあり得たのか
基本設定が生み出す歪みのままに突入した中盤ではあらゆる粗を生成しながら、それでも、次々出てくるデザイン類は正統派なカッコよさだったり、トライドロンと融合するという初志貫徹な最終フォームだったり、マッハにもデッドヒートという仮想強化フォームを用意してあげたり、チェイスという人間学ぶマンが既存のキャラ達の曖昧だった関係性にしっかり線を入れてきたりと、良い点も沢山あったドライブ。その物語は、霧子と剛の父である蛮野の登場で一気に終盤戦に突入する。
終盤で新たに示されたのは主にふたつで、「打倒蛮野」と「ロイミュードとの共存の可能性」だ。蛮野、後のゴルドドライブは、アクターの妖艶な動きや森田成一の針の振り切れた声の演技で非常に魅力的なキャラクターに仕上がってはいたが、あまりにも全方位に都合のよすぎる悪役だったと言わざるを得ない。結果として彼が出てきたことで、強制的に“敵の敵は味方”という状況を作りだし、そのままハート率いるロイミュードとの“共存の可能性”に繋がっていく。「人間の悪が原因であり、ロイミュードそのものに罪はない」という落としどころは人間と銃の関係に近いとも言えるが、ロイミュードは完全に自我を持って悪事を働いてきたし、108体を1年かけて殲滅してきた最後の最後で「一緒に生きられたのかも」と言われても正直「そうですね」とはならない。ライオンが散々好き勝手シマウマを食べた後に「俺たちの肉食という性が悪だった。シマウマとも一緒に生きられたかもしれない」と言い出すようなものだ。
いや、「敵との共存の可能性」というテーマそのものは、良いのだ。罪を憎んで人を憎まずの応用だし、平成ライダーでもファイズや剣を始め何度も描いてきた要素だ。しかし、そこに行き着くに足りる前フリがちゃんとあったのか、という話である。例を引きずるようで悪いが、狩りをする人間を登場させて利害の一致でライオンとシマウマを共闘させて、そしてライオンがシマウマとの共存に思いを馳せるのは、果たしてそれは作劇のロジックとして“あり”なのだろうか。ロイミュードは人間が生み出した存在、その自我による悪意も、全ては人間の中の悪意によるもの。本当にそれで納得がいくだろうか。
蛮野という存在は、色んな意味で「ドライブという物語を終わらせるために登場したキャラクター」であった。結果として、1年かけて敵対してきたブレンもメディックもハートも、誰もライダーに倒されることなく散っていった。その散り様に個々の評価ポイントはあるものの、大前提としてこれはヒーロー番組であるからして、幾度となく拳を交えた敵との決着が全て不完全燃焼になってしまったのには苦言を呈したい。ラストのハートと進ノ介についても、帰着はあのままで良いから、せめて互いに変身してガッシュとブラゴのように派手に戦って欲しかった。前フリの薄い共存オチは、「仮面ライダーとしての映像的カタルシス」をも失わせる結果になってしまったのだ。
■仮面ライダードライブが体現した平成ライダーの限界とはなにか
かなり辛辣な書き方になってしまったが、これは「ドライブという作品が大きなポテンシャルを持っていた」からこそのものだ。ライダーとマシン、そして刑事と電子生命体が織りなすドラマ、影を抱えた剛の活躍や誰よりも“仮面ライダー”らしいチェイスの魅力など、良い点は沢山挙げられる。しかし、基本設定の練り込みの甘さや玩具の販売スケジュールにあまりにも振り回されるガチガチのシリーズ構成など、数多の条件がその美味しさを殺してしまった。
実質最終回を経ての最終回特別編において、ベルトさんの幻が出現するもそれが消え、「精神的に“変身”した進ノ介」が描かれたのは最高だったが、それがメインライターではなくワンポイントの毛利脚本という結果に…。この「惜しさ」と「もったいなさ」が、1年間鳴り止まない作品であったと思う。特に度々書いてきたがキャスト陣の熱演と成長は見事であり、その良いチーム感が伝わってくればくるほどまた「惜しさ」に繋がってしまう。視聴ジレンマにひとっ走り付き合った結果となった。
安易に比較する意図はないが、昨年の「仮面ライダー鎧武」もこのような粗を無数に抱えた作品であった。しかし、例年に無かった作風とチャレンジングな試みの数々がそれを時に取り込みながら未曾有の面白さに昇華させたりもしていた。要は、「目新しさ」の前に粗が掻き消えるような、そんな面白い煙幕があったのだ。しかし「仮面ライダードライブ」は、平成2期として王道の「2話前後編完結」「アイテム手数商法」「少数ライダー制」といった枠組みを多用しているため、その煙幕は消え、足が引っ張られている部分のみがどうにも目に付くようになってしまった。「ダブル」が確立し「オーズ」が発展させた平成2期の作劇&商法は、「ウィザード」で一時限界を見せるも「鎧武」の変化球でかわし、それでも「ドライブ」でまたガチガチの限界を露呈してしまった。(平成2期の商法については過去の『折り返し地点総評、「仮面ライダー鎧武」の挑戦!』を参照)
“商売として達しなければ作品として成り立たない”。これは東映やバンダイに限らず全ての創作物に繋がる話である。しかし、あまりにもその部分への“良い意味への誤魔化し”が消え、節操がなくなってきてここ数年。炎上商法、粗雑なシナリオによる大戦映画の乱発、本筋にまで絡むコラボの数々、多売玩具の弊害。それらへの批判意見も一周した感すらある平成仮面ライダーシリーズ。その2015年現在の見事な「限界」を体現してしまったのが、他でもない「仮面ライダードライブ」だったのではないか。
(あわせて読みたい)
・完全なる伏線消化。「仮面ライダーディケイド」の最終回とは一体なんだったのか
・「鎧武」は相当な難産だったのではないか ~製作逆順で「魔法少女まどか☆マギカ」を観て感じた事
※仮面ライダーゴースト第1話の感想はこちら。
※映画・特撮の感想など、全記事一覧はこちら。
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【過去記事】
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・レンタル店でマイナンバーを求められた際の対処法(会員証・ポイントカード作成時の注意点)
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確かにタイプテクニック(とドア銃)の使用頻度の少なさが妙に気になっていましたし、ハートとの初戦とタイプデッドヒートの初お披露目での戦いだけで『進ノ介という好敵手が超進化への鍵』というのも違和感があって気になっていました。
小さい子にはこういった粗は気にならないのかもしれませんが(私も平成ライダー1期の時は話を気にせずライダーと怪人の戦いに目を輝かせていたので)、大人になるとどうしてもシビアな見方をしてしまいますね(^_^;)
ドライブ序盤は
『まず男児が好きそうな玩具をひたすらかき集めて、なんとかライダーと絡めて、なりふりかまわず販促している番組』という印象しか持てなくて…5話くらいで脱落してしまいました(^o^;)
鎧武の後半くらいの時期から、子どもたちの興味が妖怪ウオッチに移っていったことで、ライダー関係者(とくに玩具関係者)が危機感を募らせた結果なのかなぁ…と勝手に想像しています。
このような危機のなかでは、新しい作風に挑戦することはそもそも難しかったのかもしれませんね。(勝手な想像ですが)
ただ、yu@kの記事を読んで、ドライブのポテンシャルというか、見逃していた魅力もたくさんあるとわかったので、今さらですがDVD借りてみようという気になりました(*´∇`*)
>「敵との共存の可能性」というテーマそのものは、良いのだ。
という言葉から察するに、これをテーマだと? しかし本当にそうでしょうか?
私は、違うと思うんですよね。
「人間の中にしか悪意はない」…進ノ介が本編最終話にして初めてはっきり口にしたこれ。
これこそがこの作品のテーマだと思うんですよ。何故なら、これは刑事ドラマだから。
人間の中の悪こそが最悪。
本当に、4クール目から蛮野と共にいきなり登場したと思いますか?
せめて3クール目を振り返ってみてくれませんか? 進ノ介の父親を殺した真犯人という大トリに、フリーズではなく仁良を据えていたことを…。
これは普段適当に見てる私でも「んっ?」と気付いた、壮大な「前フリ」ですよ。
そしてそれより前を遡ってみると、またぽろぽろと見えてきます。
>ロイミュードは人間が生み出した存在、その自我による悪意も、全ては人間の中の悪意によるもの。本当にそれで納得がいくだろうか。
私は、納得いきました。
あ、やっぱりそうか、って。
全っ然分かりやすくはなかったし、正直「テコ入れ」以降の後付けなんじゃないかと言われても仕方ないレベルではありますが、私は事前に気付いていたので納得しました。
>108体を1年かけて殲滅してきた最後の最後で「一緒に生きられたのかも」と言われても正直「そうですね」とはならない。
私的には、ロイミュードは「人間を襲うよう調教された猛獣」と「人間の犯罪者」の中間です。
警察官はこの二者に対してどう対応しますか? どちらも正当防衛でなら殺すことが可能です。
人間の場合は人権があるからなるべく傷つけないようにしないといけないし、余程逮捕が不可能な時の最終手段。
獣だったら逮捕もできないし、熊でもイノシシでも現実にしょっちゅう殺して終わらせてます。人間が仕込んだような危険なやつなら尚更。でも愛護団体の一つくらいはクレームを入れるでしょう。
じゃあロイミュードは? 人間によって悪を仕込まれて、でも人間の心をコピーすることによって段々感情を手に入れていくロボにはどう対応するのが一番いいのか?
そりゃ、話も通じない逮捕も出来ない、捕まえて逃がすアテもない奴が市民に危害を及ぼしたら倒してもおかしくないですよ警察官なら。
でもハートや一部のロイミュードは段々話が通じるようになっていく。
チェイスやロイミュード072が「特殊例」だったわけではないと初めて気付いたのが38話。そこから進ノ介は本格的に悩み出していく。
(※進ノ介ははじめから警察官の心を持って戦っているので、序盤の秘密裏活動の件とは別にお考え下さい)
この完全にグレーな存在に対してどうすべきか。はっきりと答えは出ないまま終わりました。
視聴者に委ねる意味もあるのでしょうし、明確な答えは出せない、と突き付けたのかもしれない。
でも進ノ介は、根源である自分達人間の方から何とかしていくことで、ロイミュードというグレーな新たな存在を一律に駆除――殺さなくてもいい子まで――するのでなく、
同じ人間やあるいは獣たちのように共存の体制をまず敷いていけないか、と考えたんですよ。
(そして一つの種としての誇りを持って人間を超えたいハートによって、そんな風に戦いを避けるのは甘いんだ!と退けられもした)
この作品、あまりに設定詰め込みすぎて尺足りなくて描写足りなくて、それが重なって崩れていった感はんぱないです。
だから「何を一番描きたいのか」も読み取りづらいとは思うんですけど…。
でも上記の件に関してはブログ主さんの認識が凄くずれてて勿体なくて、もどかしかったので、長文ですが書かせていただきました。
警察の話っぽくなかったかもしれないけど、でもやっぱり刑事ドラマ、ってとこに目を向けてみて下さい。進ノ介は警察官だってことを、考えてみて下さい。
共存の如何について、何故最後の一体になった時にそれを言うのか?ということについては、
それはそもそも万を辞して戦いを求めるハートを拒否して説得できる理由として出したから、なのでそこはあしからず…。
要はやはり共存云々はメインテーマではないということです。
一年ものの作品ではだいたい2クールまでに後の要素やフラグを立て終えて
3クールが回収4クールはラストに向けてひたすら加速
というのが見ている側としても乗りやすいのですが
ドライブは秘匿にした弊害でしょうが2クールまでの特状課がホント要らない子になっていて
でも毎回出さないとドライブにならないのでそこに時間を割いた結果
ほとんど話が進まないままルーティンで1クールぶん無駄にするという(しかも毎回チェイサーが乱入してくるパターンばかり)
戦隊でもたまにやる残念な展開に見えて仕方がなかったですし
鶴太郎さんが出てる時点で年季の入った視聴者なら見ている側からすれば何かあると察しはしますが
展開として匂わせて置かなかったせいで実は知っていた展開も[これ後付けの後追い設定なんじゃね?]という印象をずっと払拭出来なかったです
すごく好意的に解釈(苦笑)すれば2クールまではプレ仮面ライダードライブだったのかと無理やりノドに押し込む事も出来そうですが
だったら最初から設定と演出を上手くスリム化してれば少なくとも1クール終わりで秘密をバラす事も出来たように思えます(そのぶん後半の展開に時間を割けたハズ…)
蛮野がらみにしろタブレットをもっと最初の頃から上手く使ってればなるほど!と思えたんですが
単にブレンがいつも持ち歩いてるタブレットに何か意味を持たせないとなぁ的なこれも後付け臭がしちゃってました
とにかくドライブは終盤の[実は!]が実はじゃなくて今思い付いたんだろ!という感じが演出から漂っていて
色んな意味で残念賞感のする作品だったような気がします(割と平成ライダーには多い展開ではあるんですが)
あと蛇足ですが
映画のサプライズフューチャーは良い意味でドライブらしさがあって良かったのが救いだと思ってますが
3号で終わりだったら響鬼カブト以来のTVシリーズも映画も全部残念賞だったので
サプライズフューチャーがあって本当に良かったと思ってます(笑)
疑問に思ってたことを言葉にしていただけて自分の中ですっきりと整理がつきました
特に剛の進ノ介への罪悪感を持ってしまったわだかまりやvs仁良のスッキリしない部分など
納得できるところがたくさんありました
アンチのようにただ叩きたいわけでなく、仮面ライダーファンとして、ドライブのファンとして感じた疑問や批評なのですんなり読むことが出来ました
ドライブは、惜しいところが本当に多くて上手く料理すればもっともっと面白くなる要素がたくさんある作品だと思ってたので、手厳しい言葉が多くても納得しながら読むことが出来ました。
幹部ロイミュード達の最期は、きっと賛否両論だろうなと思いつつ私は好きな最期でしたが、確かにハート様と進ノ介の最後の一騎打ちは双方変身してがっつり描いて欲しかったですね。
冬映画では、レギュラーライダー3人の一角としてチェイスも復活するとは思うんですが、それが果たして一時的な復活なのかそうでないのかが目下の心配事です…。
ファン心理としてはちゃんと復活してくれたら嬉しいけど、ストーリー的にはやっぱり一時的なものなのかなぁ…。
良くできていながらもいまひとつハマれなかった理由がこの記事でわかったような気がします。
記事の内容は非常に納得のいくものでした。粗を気にさせない程の勢いって、やっぱり大事なんだなあと痛感した一年間でした。とはいえ、かつてのような勢い先行の作品創りが許される時代は恐らく二度と来ないでしょうし、やはり現状の製作体制を見直すしか解決方法はないのでしょうか。タイトルにもある通り、今回挙げられた問題点はドライブという作品単体に留まらず、今後の平成ライダーシリーズの行く末にも大きく関わることであることは間違いありません。次週からスタートするゴーストが、ドライブと同じ過ちを繰り返さないことを心から願っています。
いきなり共存出来たかも!まで飛ぶのはちょっとどうかと思いますけど、一応ステップになり得るくらいには出てたように思うんですが…
ただ、その他の要素については頷く所も多かったです
僕は特異体質の説明が少なすぎるのといきなり出てきた父親要素で完全にのめり込めなくなってしまいました
最後までは見ましたけど…
ただ、魅力的な作品であったことは間違いないと思います。父親の罪と向き合う剛の物語は子供番組としてはかなり攻めたものですし、終盤のロイミュードの生き様と散り様は、ヒーロー番組という枠組みではあり得ない程に感動的でした。(ヒーロー番組としてそれで正しいかどうかは別として)以前ユーケーさんが書かれた、ライブ感で盛り上げる良い意味での誤魔化しには成功したのかなと思います。
謎のヒーロー・ドライブの装備のはずのトライドロンを普段から乗り回しているという謎の描写のせいで、特に意味もなく台無しにされてしまっているのが本当勿体無いと思いました。
ひょっとしたら偉い方から、トライドロンを番組の顔として浸透させるために変身前から乗せておけ的なお達しがあったのかな、と個人的には思っています。
『クウガ』の場合は「分かり合えないから倒さねばならない」という悲哀があったので五代さんは涙を流していたわけですが、『ドライブ』の場合は「互いに分かり合える余地はあったけれども『種族』という観点から見るとやはり難しかった」ので進之介だけでなくハートも戦いの際に涙を流していたのではないかと・・。
進之介がハートに攻撃されるがままだったのは事情があったとはいえハートの仲間達を撲滅してしまった罪悪感もあったからなのではないかなーと私は思ってます。
まあ前フリが少ないのはわかりますけど。
なんか上手く文章にできなくてすみません(汗)
キラシードと申します
YU@kさんとは、文の内容からして年齢が同じかと思われますので、色々思うところあってコメントさせていただきました。
ドライブの「惜しい」という点は、僕も感じておりました。
鎧武のような(というか平成1期前半)が好きだからかもしれませんが、刑事ドラマ十八番のテレビ朝日の割りに刑事要素を活かしきってないと思いました
お決まりの2話完結形式に逆戻りしちゃいまして、緊張感があまり無かったかなーとか
1話目では敵がやられませんしね。また、2話目以降は生き残らないのもわかっちゃうという
タイヤコウカンとフォームチェンジは両立させない方が良かったですね
何より薄っぺらい共存(未遂)end
「人間のなかにこそ悪」。これは仁良のこともあり、進之介の刑事としてのおとしどころとしてはありかと思います
しかし、ハートやフリーズは自我を以て人間に戦いを挑んでました
蛮野を都合よく悪にすることで、上記の悪性に引っ張ったのかなと
何なら、クリムが悪役でも良かったんですけどねー
クリムの一面しか知らないとか、ZZZ開発とか
チェイスの超進化態も伏線あったままお流れですし
http://takebo.ldblog.jp/archives/%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC21%E8%A9%B1%20%E6%84%9F%E6%83%B3.html
http://takebo.ldblog.jp/archives/%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC32%E8%A9%B1%20%E6%84%9F%E6%83%B3.html
だからロイミュードはただの被害者かと言われればそうじゃないですよね
グローバルフリーズで全世界に被害を与え、ロイミュードを率いて人間の支配しようとしたのは蛮野ではなくハートでしょう
チェイスや072だけが「特殊例」ではないと上で言ってる人がいますがいやあの二人こそが「特殊例」でしょう
チェイスは人間を守るようにプログラミングされていますし、072は割と無害な方向に進んでいったというだけ(ただし怒るとビル爆破したりするのでやっぱりこいつもロイミュード)
善人をコピーしたなら大丈夫!という理論は夏映画の108で完全に崩壊してます
そもそも進ノ介がロイミュードについて悩むのならロイミュードのコア破壊しなきゃいいだけの話でしょうこれ
>大人になるとどうしてもシビアな見方をしてしまいますね
あの頃の純粋な気持ちで観れないというのは、嬉しくもあり淋しくもありますね…。
>ドライブのポテンシャルというか、見逃していた魅力もたくさんあるとわかったので、今さらですがDVD借りてみようという気になりました
記事では辛辣寄りで書きましたが、決して、「駄作」とかそういう類だとは思っていません。良い点も挙げればキリがないです。その辺りを、またDVD等でご確認いただければ…!
>上記の件に関してはブログ主さんの認識が凄くずれてて勿体なくて、もどかしかったので
前提として当たり前ですが、私もあなたも作り手の人間ではないので、どの解釈が正しいかの正解は双方にありません。互いに読み取った事を書くのは当然ですが、一方的に「ずれている」と言われるのは心外です。それは、解釈の違いということではないでしょうか。
私も「テーマ」という単語を用いてしまったので誤解を招いてしまいましたが、要は「テーマ」というより「落とし所」です。共存云々の「落とし所」は果たしてこれで良かったのか?…と未だに感じています。調教・犯罪者・悪意。色々とピースは多かったですが、私は「ロイミュードは自我を持って自らの意志でグローバルフリーズを起こし、その後も人間を襲っていた」という一点が確実である以上、本編の描き方での“共存”の「落とし所」は、妥当性が低かったと考えます。
>ほとんど話が進まないままルーティンで1クールぶん無駄にするという
私もこの辺りがやはり気になってしまいました。フォーゼと被っても良いので、やはり身内への正体バレとチーム結束力のアップを進めるべきだったのでは、と…。
>剛の進ノ介への罪悪感を持ってしまったわだかまりやvs仁良のスッキリしない部分
話が本格的に転がり始め、非常に魅力的なストーリーラインだったと感じているのですが、アフターフォローがどうにも雑というか…。度々ですが、やはり「惜しい」に尽きます。
>ハート様と進ノ介の最後の一騎打ちは双方変身してがっつり描いて欲しかった
ドラマ重視も良いのですが、やはり「仮面ライダー」でもある以上、戦闘シーンは観たかったなあ、というのが素直な思いです。
>良くできていながらもいまひとつハマれなかった理由がこの記事でわかったような気がします
お力になれて幸いです。
>かつてのような勢い先行の作品創りが許される時代は恐らく二度と来ない
願いたくはないですが、例えば仮面ライダーというコンテンツが下火になってしまい、もう開き直るしかない!…というタイミングくらいでしょうね。今の形がどうにか緩やかに好転していく事を願います。
>特異体質の説明が少なすぎる
書き忘れていましたが、これは確かに仰るとおりです…。気になっていました。唐突に出てきた割には偶然要素とご都合主義が強すぎましたね…。
>父親の罪と向き合う剛の物語は子供番組としてはかなり攻めたもの
剛がバランス的にかなり背負わされていた感は否めなせんが、非常に「仮面ライダーらしい」ドラマで、そこは見応えがあったと思います。飄々とした素顔の裏の苦悩、というのは、ベタですがやはり好きです。
>謎のヒーロー・ドライブの装備のはずのトライドロンを普段から乗り回しているという謎の描写
ここなんですよね…。せめてトライドロンが毎回地下から発進していればまだ…。
>「互いに分かり合える余地はあったけれども『種族』という観点から見るとやはり難しかった」
この辺りというか、種族間闘争の面がもっと強かったらまた印象は変わっていたのかもしれません…。要は、「種族」なのか、または「人間に作られたもの(例えば銃は作った人間が悪いのか、という話)」なのか、その美味しいとこどりを狙ってどっちも失敗しているような感じを受けました。
>1話目では敵がやられませんしね。また、2話目以降は生き残らないのもわかっちゃうという
このルーティンが非常に足枷なんですよね…。パターン化が強すぎて、圧倒的に緊張感を削いでしまっていると思います。
>ネットでの発言は自由だけどこれ知ってるどう思う?
引用形式で載せられるのは別になんとも思いません。ネットでは当たり前の光景でしょう。
>そもそも進ノ介がロイミュードについて悩むのならロイミュードのコア破壊しなきゃいいだけの話
そこなんですよね。ロイミュードを共存の相手として見るならその方向性がありましたし、そこを悔いる描写も無かった。魔進チェイサーとの差別化設定が足を引っ張ってしまった印象です。
私は、所詮子供向けなのでそんなに考えて観なくてもいいと思います。
なんというか設定とかもそんなにちゃんとしていなくてもあくまで子供のヒーローだったらいいんじゃないですかね。
主人公はずっと正義の味方、市民の味方だったのでなんの問題もないと思います。
それは、当の子供も作っている大人たちも、その全員を馬鹿にする観点だと考えます。
「製作側はこの場面が描きたかったんだろうな」と思われるシーンは確かに魅力的なものが多かったのですが、その場面を実現するための要素がつじつま合わせでしかなくストーリーの流れやキャラそのものの意思をあまり感じられなかった
「この場面に説得力が伴っていれば・・!」というのが自分がドライブに感じた残念さでした・・・
私も同じ感覚です。描きたいものが伝わってくるからこそもどかしいんですよね。
自分は放送開始前のプロデューサーが「ドライブはバイクに絶対乗りません!」って言ってた時点で不安だった。それって新しい事をやろうとしてるけど、外側だけライダーの記号を外す事に拘ってる様にも見える。車なら車の必要性を、バイクでは出来ない事を描写出来なければ上っ面だけ見た目を変えてるだけにしかならない。車なら何が出来るの?
例えば変身と言わない響鬼はそれ以外にも様々な挑戦が見られた。自分は響鬼は好きじゃないが、「こう言うのがやりたい」って言うのは明確に伝わった。でもドライブにはそれが無い。
拘りがバイクに乗らない事ってセリフが出てくる辺り、ライダーの既定路線に完全に囚われてるね。
実際蓋を開けてみれば車に乗る以外いつも通りの平成ライダーだった訳だ。
特に中盤のテコ入れは、展開を変えようと一気に新しい要素を入れたせいであっても無くても良かった存在になっている。それが終盤とどう繋がってるのか?
例えば鎧武はビートライダーズ同士の抗争からビートライダーズvsユグドラシル、そして人類vs異世界の侵略者、最後は勝ち残った者達で支配者の座をかけての頂上決戦と戦いのレベルが昇華して行ったよね。ビートライダーズの抗争から黄金の果実争奪戦に入ったら意味が分からない。
でもドライブは父親殺しの犯人編やらずにゴルドドライブ出て来ても問題ないよね。ストーリーの階段をゆっくり上がるのではなく階段を横に歩き始めた。
ドライブの正体露見で何か変わったのか。
ニラは「君も父親の様になりたくなければ」とか初対面で言ってたけどその時点で父親殺しの犯人って設定固まってたのだろうか。
剛が裏切る→フリーズに操られてる?→チェイスが耳の裏を確認→操られた痕跡→チェイス、霧子に操られてないと嘘をつく(???)→「操られてないのなら何か理由がある筈」と霧子一安心→実は本当に操られてませんでした→「特異体質って奴らしいぜ」
この辺りの流れは完全に場当たり的に話を引き伸ばしてる感じがする。
終盤の蛮野の存在。まぁ同情の余地の無い絶対的な悪がいるのはまぁ良い。それのせいでロイミュードは被害者的な存在とするのも良い。でもそれここまでロイミュード減らしたココでやる事か?
そんな描写したら主人公のやってた事、同情の余地がある奴らを片っ端から始末してた事になるけど良いのか?強化態の時人間は逮捕してロイミュードは始末してたけど、それ完全に法律で人権保証されてるかの違いになるのか?
ドライブのコンセプトは「ビデオの単発なら上手く纏まったが一年間放送する程には練られてなかった」と言うのが感想。
主様のブログを見てたくさんコメントしたい事があったのですが長くなりそうなので要点だけ。
私は仮面ライダーをずっと追いかけて今まで来ました。子供も産まれ、またそのおかげで子供視点から見直したライダーも多々あります。
商法?造り?そんなもんどうでも良く無いですか?平成ライダー昭和ライダーそんな括りもいらないです。ライダーはライダーでその時の子供達がカッコいい、憧れるヒーローがライダーなのではないでしょうか?主様の考察はいささか批判に偏っており、大事な部分が欠けてる様に感じます。
大それた事を発言してしまい申し訳ないですが、もっと童心に戻り素直に「仮面ライダー」を楽しんでみてはいかがでしょうか?
生意気な事を言ってしまい失礼致しました。