椎名林檎が総合演出をつとめたリオ五輪閉会式の引き継ぎセレモニーを観て、
椎名林檎は(私の思う)アーティストのめざす究極の姿を見せてくれるなぁとあらためて思う。


マジョリティの求めるものに真正面から応えつつ、
そこに自分の考える「美しさ」を堂々と表現すること。
大なり小なり表現者というのはその狭間でバランスをとりながら仕事をするものだと思うけれど、
それが壮大な形で実現されていた舞台だった。


国歌やアニメやキャラクターや日の丸やスカイツリーなど、その善し悪しや好き嫌いはおいておいて、
多くの老若男女が「これが日本(東京)だ」ととらえているモチーフはちゃんとおさえる。
その最たるモチーフが「安倍首相」だろう。


日本の代表選手たちからバトンのように受け渡された、日の丸を模したボールを手にする首相。
タクシーに乗り込んで、「リオに間に合わない!」と焦っている設定だ。
そんな首相が変身するように登場したマリオは、
ドラえもんがポケットの中から取り出した土管に飛び込み、
渋谷のスクランブル交差点から地球の裏側のリオデジャネイロまで、一気に突き抜ける。
その疾走感が心地いい一方で、「閉会式に遅れそう」という設定には、皮肉が込められているようにも感じる。


マリオになってコミカルに登場した首相は、
気さくなヒーローのようにも見えたし、
どこか「裸の王様」のようでもあった。


個人的には、首相までもキャラクターとして使っちゃうという心意気に、
一部の人が言っている「権力への迎合」や「右傾化」とは正反対の、
アナーキーと言っても過言でないほどの、アーティストとしての生き様を感じる。
「取り込まなきゃいけないもの」をきちんと入れながらも、
ゆずれない美しさ、隠せない自分の色、
そして毅然とした自分の立ち位置を守る……
本当にかっこいい。





映像に使われていた楽曲は椎名林檎の「ちちんぷいぷい」(アルバム「日出処」収録)。
インストゥルメンタルのみが使用されていたけれど、
きっと音として会場の雰囲気にマッチする、という理由だけでこの曲が選ばれたのではないはずだ。
「そう最初はフェイクでいいのよ
最後にモノホンにしてしまえば
従来の青臭い欲を凌ぐ性急な思い
きっとこれは命懸けなの最終手段」



そしてパフォーマンスの最後に使われていた楽曲は、
椎名林檎自身が音楽を担当した野田秀樹の舞台「エッグ」の劇中歌「望遠鏡の外の景色」。
「エッグ」は1940年の幻の東京五輪と戦争への熱狂を描いた問題作だ。
この曲を敢えてパフォーマンスの最後に使用したところに、
椎名林檎の無言の主張を感じる。

 



椎名林檎×オリンピックの映像といえば印象に残っているのは、
このミュージックビデオ。 



2012年9月にリリースされた東京事変の「ただならぬ関係」のMVは、
1964年の東京オリンピック開会式のオマージュ。
2020年の五輪開催地が東京に決まったのは2013年9月なので、
この映像が作られたのはそれよりも1年以上前ということになる。 
なんだか伏線めいている。


でもあのセレモニーで流れた映像を見て瞬時に連想したのは、
「ただならぬ関係」よりさらに前、2003年の椎名林檎の、「 雙六エクスタシー」でのバンドメンバー紹介映像だった。
まだバンドとしてはデビューする前の東京事変が、椎名林檎のバックバンドとして参加していたツアー。
それぞれのメンバーがスポーツ選手に扮していて、各メンバーがプレイしている映像が次々と繋がれていくものだ。
オリンピックへの予感は、あのときすでに浮かんでいたのかもしれない。





都知事選やいろいろな事件のニュースが飛び込んでくるにつけ、
「こんな東京、世界に誇れない」と、
「これが私の夢見ていた東京だったっけ」と、
嘆きたくなるようなことが多かった最近。
でもあのセレモニー映像を観ていたら、
めくるめくスクランブル交差点、東京タワー、摩天楼、高速道路、レインボーブリッジ、スカイツリー……
「そう、これが私の憧れていた東京!」
というときめきが戻ってきた。
そりゃそうだ。東京へ憧れていた10代の頃に聴いていたのは、ほかでもなく椎名林檎の音楽だったのだから。
(個人的には、あの映像に原宿と東大の赤門が入っていれば完璧だ。)


「お前ら覚悟しておけよ」「そろそろやりまっせ」
と、2014年のアルバム「日出処」のリリース時に宣言していたとおり、
まさに「東京事変」を起こしてくれてありがとう、林檎さん。


「夢」とは、「今打ち込んでいること、繰り返し鍛錬していることが、
どうしたらどのような形で実を結ぶのかとイメージできること」……
椎名林檎のコメントに背筋が伸びる思い。
一国を担うような大きなことはできなくても、
一国の中のほんの小さな文化の一部でも、残したいものを担って次の世代へ繋いでいく、
そんな生き方をしなければと思うのだ。









この夏の終わりのBGMにします。