リスクを恐れるときどうするか?
「やってみなはれやらなわからしまへんで」
サントリーの創業者、鳥井信治郎さんが残した言葉です。
鳥井さんは、未知の分野に挑戦しようとして周囲から反対を受けるたび、この言葉を発して、粘り強く取り組んだといいます。僕は、「やってみなはれ」という世界観に共感を覚えます。
ですが、ときに失敗や恥、リスクを恐れてしまい、「やってみなはれ」という前のめりな考えが持てないことがあります。そんなとき僕は、こう考えるようにしています。「自分の行動を他人に決めてもらおう」「他人の指示に、完全にしたがってみよう」
自分以外の他人が決めたことを受け入れて、試してみる。外部からの刺激を受け入れて、それに反応してみるのです。
「なんの意味があるんですか」と考えてはいけない
限界を突破するためには、これまでのパターンから外れて、予測できない変数を取り入れてみることが大切です。そのためには、今までやったことのない選択をしてみることが必要になります。
いちばんいいのは、他人に無茶ぶりされることです。
僕は現役のころ、毎年12月23日から4日間、東海大学に出向いて、男子400メートルの日本記録保持者、高野進さんの指導を受けていました。普段はコーチをつけず、トレーニングメニューも自分で組み立てていた僕ですが、合宿期間だけは、高野さんの無茶ぶりをすべて飲み込むと決めていました。
合宿中は、とにかく、走ります。たとえば、高野さんから、「100本走れ!」と無茶ぶりをされる。100本という無茶な数字は、自分では設定できません。なぜなら、僕は効率を求めるタイプだったので、「100本ダッシュなんて、何の意味があるんだ」と考えてしまうからです。
ですが、そのときだけは、意味があろうが、なかろうが、無茶ぶりを受け入れる。とにかくやってみるのです。
すると、80本ぐらいで走れなくなって、現時点の自分の限界は、80本であることがわかります。自分で自分の限界を知るのはむずかしい。でも、高野さんの無茶ぶりを素直に受け入れたからこそ、自分の全力がどこまでなのかを知ることができたのです。
「そんなこと、やってもムダだ」
人間は誰しも、やる前から自分の限界を低く見積もってしまいがちです。効率を追い求める現代では、なおさらその傾向は強いでしょう。本当は10の実力があるのに、自分の実力はせいぜい8くらいと低く見積もっていると、8が出たところで満足して、その先に進もうとしません。
スポーツ選手の多くがコーチをつけるのは、自分で自分の限界が判断できずに、目標を低く設定してしまうことがあるからです。
僕はコーチをつけていませんでしたが、それでも、定期的に高野進さんの無茶ぶり合宿に参加したことで、自分の伸び代を広げることができたと思います。
無茶ぶりを受け入れるだけでは、自分を見失ってしまいますが、「ある一定期間に」「意識的に」であれば、他人の指示に従うのはいいと思います。
「興味がないこと」からはじめよう
僕の会社でインターンとして働いていたAくんは、とてもユニークな考えを持っていました。
面接で彼に対して、「どうして僕の会社で働こうと思ったの?」と尋ねたときの彼の返事は驚くものでした。
「スポーツにも、為末さんにも、興味がなかったからです」
Aくんは、普段なら自分が絶対にやらないことをあえてやることで、経験の幅を広げようと考えていました。彼は僕の事務所で働く前に、インドでインターンをしていたのですが、インドを選んだ理由も、普段の自分なら行かない場所だったからです。
選択肢を変えないかぎり、自分を大きく変えることはできません。やったことのないこと、知らないこと、興味がないことをやってみるからこそ、経験の幅が広がり、自分の可能性を開くことができます。
それは、言葉でいうほど簡単ではありません。引退後の僕も、現役時代なら、絶対にしなかったことに身を投じたことで、新しい自分に出会うことができました。陸上をやめて、何をしていいかわからない状態でとりあえず公式サイトを開設したら、講演会やコメンテーターとしての仕事の依頼をいただきました。
「基本的に、いただいた仕事はやる」「頼まれごとは嫌がらないで、一度はやってみる」そう決めてお引き受けしていたら、いつの間にか、話すことが仕事の一部になっていたのです。
これも、無茶ぶりに応えるのと同じかもしれません。試してみる前から、人前で話すことは自分に向いていないと決めつけていたら、講演家という僕の可能性が開くことはなかったでしょう。
今の自分の立ち位置は、意図して狙ったわけではありません。川の流れに乗ってみたら、思いもしなかった場所にたどり着いた。そんな印象です。人生には、自分で定めた目的地に自力で向かうだけでなく、目的地を決めず、他人の要求に応えていく局面も必要であると僕は考えています。どちらが正しいというわけではありません。月に一度でいいので、選択肢を他人に委ねてみると、新しい可能性が広がると思います。