「中国の新人類」とも言われる1980年代生まれの若者、バーリンホウ(80后。后は後の意味)。
82年生まれ、記者5年目の私がこの世代を切り取りたい、と思ったのは、急成長してきた中国とともに、情報に囲まれながら育った彼らの素顔を、同世代の目線で描きたいと思ったからだ。
中国・北京で10年暮らし、日本人の父と中国人の母を持つ身として、会話に困ることはないが、果たしてどこまで彼らを「取材」出来るのか。ドキドキワクワクしながら中国の各地を歩いた。(今村優莉)
昨年12月、初めて訪れた重慶での「熱い夜」は忘れられない。
北京から南西方向へ飛行機で約3時間。格差の広がる中国で、発展が遅れているとされる内陸部に住むバーリンホウはどんな生活を送っているのだろう。そんな疑問を持って重慶に向かった。
取材を終えた初日の晩、若者に一番人気のあるという市中心部のバー「88号」に1人で入った。
寒かったし、初めて行く都市でスリにでも遭ったら大変、と思って、ダウンコートに毛糸の帽子という学生風(?)の格好をしていた。
私の所持金は200元(約2500円)だった。
ところが入ってみると、季節を間違うほど肌を露わにした女性や、光沢のあるジャケットを着込んだ男性らで熱気に包まれていた。 20~30代が中心だ。
クローク近くにあるスペースには大きなソファがいくつも置かれ、静な雰囲気でお酒が飲めるのだが、さらに奥に入っていくとだんだん照明が暗くなり、とたんに爆音が聞こえてくる。そこはどちらかというと「クラブ」に近い。
とてつもなく広い店の中で、どこか空いている席は……と歩いていると、黒のスーツを着た女性スタッフが「美女(メイ・ニュイ=きれいなお姉さん、という意味)、美女、こちらへどうぞ」と空席へ案内してくれる。
数年前まで、中国では女性に対して「小姐(シアオ・ジエ)」と呼びかけることが多かったが、ホステスなど接客女性を指す言葉と同じであることから、最近ではあまり使われなくなった。
ただ、大学を卒業してから5年、中国の夜の街に行ったことがなかった私はすぐに反応できず、「え? 私のこと?」とうろたえながらカウンターに座った。
カウンターの中では、数人の男性バーテンダーが交代で、数本のボトルやシェーカーを「お手玉」のように空中で回すパフォーマンスを繰り広げる。
写真を撮ろうとしたら、ステキな笑顔で「不能拍(撮っちゃダメなんです)」と言われた。
ボトルのパフォーマンスに見とれながら、メニューを見てギョッとする。最低料金が68元。帰りのタクシー代を考えたら、一番安いカクテルでも2杯しか飲めない。 よく見ると、コロナ…18元、と書いてあったので「助かった」と思って注文したら、「半ダースでしか売っていない」と言われる。そんなに飲めるか。
仕方がないので、68元のマルガリータを1杯頼み、1人ちびちびとカウンターで飲んでいたら、隣に座っていた若い女性(26)に声をかけられた。
「日本から来た」というと、クリっとした目を見開いて「歓迎」と言ってくれた。
「何しに来たの?」と聞くので「あなたたちのように重慶の若い人たちのライフスタイルを知りたかったの」というと、「私もバーリンホウよ」と笑顔を見せた。友人の女性(29)と2人で遊びに来たと言う。
「この店には週に1回は来るわ」と話しながら彼女は、パフォーマンスをしていたバーテンダーに何か注文した。すぐに、ウイスキーの新品のボトルが出てきた。
「歓迎の印よ」と言って、ソフトドリンクで割ったウイスキーを渡してくれたので、乾杯した。 素直に「きょうはお金を持ってきていないの」というと、「気にしないで大丈夫よ」と言う。
重慶市内のデパートで働いているという彼女の月給は2000元。決して高い方ではないはずだ。
私が「週に1回きて、どのくらい使うの?」と聞くと、「数百元かしら。1000元近く使うこともあるわ」と話す。
「そんなお金、どこから来るの」と聞くと
「クレジットカードがあるもん」と女性。
「クレジットカードもあなたのお金でしょ」とさらに私は聞くと
「クレジットカードはママのだから」と。これが一人っ子の女児に向けられて言われている「小公主(公主はプリンセスの意味)」か。
しばらく女性3人で飲んでいると、革ジャンを羽織った背の高い男性(28)が話しかけてきた。江蘇省無錫市の工場で働いていると言い、重慶には出張できたという。
「日本から来たの? 僕は日本の友達がずっとほしいと思っていたんだ!」と大げさなほど喜ぶと、コロナビールを半ダースごちそうしてくれた。
端から見ればナンパに近いのだが、私が驚いたのはその、お金の使いっぷりだった。
70、80元くらいのカクテルや食べ物を頼むのに、ポケットから100元札数枚を出し、それを扇子のように広げて店員に渡す。
おつりがくると、今度はそれで頼まなくても良いようなアメ玉を買う。私は、ハーゲンダッツのアイスクリームを二つももらった。
結局その日はごちそうされっぱなし。
200元しか持ってこなかったことを後悔しつつ、重慶の若者たちの「熱意」に圧倒されながら、なんだか、日本人ってお金持ってないと思われているのかなあ、と思ってしまった一夜でもあった。