国全体が要塞みたいな国ルクセンブルク、その古い街並みと歴史的要塞群
wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「ルクセンブルク市:その古い街並みと要塞群」をご紹介します。
ルクセンブルクってどんな国?
ルクセンブルクは、ベルギー、フランス、ドイツに囲まれた、深い渓谷と緑の森に育まれた小さな国です。「北のジブラルタル」との異名を持つ賢固な城砦都市でありながらも、古い町並みはとてもロマンティック。
旧市街地のメインストリートは欧米の一流銀行が並び、ユーロ圏を代表する国際金融センターです。1人あたりの所得は世界で第3位とトップレベルの豊かな国なんですよ!治安もよく気軽に街歩きが楽しめる国として大人気の観光地です。レンタサイクルも充実しているので散策に利用してみては?
華やかな新市街地と打って変わって、世界遺産の旧市街地には、静謐なヨーロッパの古き良き時代の様子がギュッと凝縮されています。
旧市街地のメインストリートは欧米の一流銀行が並び、ユーロ圏を代表する国際金融センターです。1人あたりの所得は世界で第3位とトップレベルの豊かな国なんですよ!治安もよく気軽に街歩きが楽しめる国として大人気の観光地です。レンタサイクルも充実しているので散策に利用してみては?
華やかな新市街地と打って変わって、世界遺産の旧市街地には、静謐なヨーロッパの古き良き時代の様子がギュッと凝縮されています。
波乱万丈に満ちた国ルクセンブルクのはじまり
963年、ジーゲフロイト伯爵がボックフェルゼンという岩山に、ルシリンブルク(小さな城)を築いたことがはじまりです。
ローマ帝国時代のルクセンブルクは、重要な戦略拠点とされていました。14世紀ごろにもともとあった天然の要塞の上に長大な「ヴェンツェルの環状城壁」が築かれ、領地の拡大と共に要塞が強化され発展していきます。この環状城壁はヴェンツェル2世(ルクセンブルク公在位1383年-1419年)が建てたものですが、現在も威風堂々たる姿を誇っています。
ローマ帝国時代のルクセンブルクは、重要な戦略拠点とされていました。14世紀ごろにもともとあった天然の要塞の上に長大な「ヴェンツェルの環状城壁」が築かれ、領地の拡大と共に要塞が強化され発展していきます。この環状城壁はヴェンツェル2世(ルクセンブルク公在位1383年-1419年)が建てたものですが、現在も威風堂々たる姿を誇っています。
中世の城が多く残るルクセンブルクの中でも、ゴシックとロマネスク様式が混在する美しい城として有名なヴィアンデン城は11~14世紀に建てられています。14世紀に最盛期を迎えますが、領地の拡大を推し進めたことにより事実上経済が破綻していきます。
王の破綻と領土危機の時代
王の借金でこの国は抵当物件と化しました。1441年に譲り受けたのが、ブルゴーニュ公爵フィリップ善良王(在位1419-1467年)。前王の世襲者難もあったことでこの国の支配者となりました。
30年戦争が起こった頃がルクセンブルクの闇の時代です。1659年になるとピレネー条約により、南部は住民ともどもフランスの領土となり「仏領ルクセンブルク」と呼ばれるようになります。1679~81年の間に条約を利用し領地を広げ、1684年に首都ルクセンブルク市を陥落しました。ルイ14世の命により、城塞都市の大改修を行い現在の旧市街地の基礎ができ上がりました。
壮麗な大聖堂は17世紀に建てられ、現存するのは1935~38年に再建されたもの。聖堂の美しさはとても魅力的です。地下の礼拝堂には王家や歴代司祭のお墓もあります。
17世紀にはスペイン王家の後継ぎが絶え、スペイン継続戦争が勃発します。スペイン王国継承の見込みが出てくるとルイ14世は講和条約を結び、1713年のユトレヒト、1714年のラスタット両条約により、後のベルギーと共に再びオーストリアのハプスブルク家の支配に戻ります。
17世紀にはスペイン王家の後継ぎが絶え、スペイン継続戦争が勃発します。スペイン王国継承の見込みが出てくるとルイ14世は講和条約を結び、1713年のユトレヒト、1714年のラスタット両条約により、後のベルギーと共に再びオーストリアのハプスブルク家の支配に戻ります。
優れたルクセンブルク城塞の構築
その後19世紀初頭まで、スペイン、フランス、オーストリアなどの支配下にくだります。
断崖絶壁のボック周辺はかつて城壁があった場所です。ここからの眺めは絶景で、北にはモダンなシャルロット橋、高層建築のキュルシュベルグなど眺望豊かです。手前にある、キュートな3つのドングリの形をした塔も必見!実はボックは963年建てられたルクセンブルク城があった場所です。悲しいことにお城は現在、跡形もありません。
断崖絶壁のボック周辺はかつて城壁があった場所です。ここからの眺めは絶景で、北にはモダンなシャルロット橋、高層建築のキュルシュベルグなど眺望豊かです。手前にある、キュートな3つのドングリの形をした塔も必見!実はボックは963年建てられたルクセンブルク城があった場所です。悲しいことにお城は現在、跡形もありません。
アルゼット川を見下ろす断崖の下には18世紀にオーストリアの兵士たちが造った「ボック砲台」と呼ばれる、小さい階段が迷路のように張り巡らされた地下要塞があります。随所に穴が開けられ大砲が置かれていました。
運のいいことに1700年頃のポーランド継承戦争、1740年頃のオーストリア継承戦争、1756年頃の七年戦争には巻き込まれませんでした。これは1754年のフランスとオーストリアの和解が幸いしたためです。経済的な犠牲や兵士による人的犠牲はあったものの、直接戦場とはならずにすみました。
運のいいことに1700年頃のポーランド継承戦争、1740年頃のオーストリア継承戦争、1756年頃の七年戦争には巻き込まれませんでした。これは1754年のフランスとオーストリアの和解が幸いしたためです。経済的な犠牲や兵士による人的犠牲はあったものの、直接戦場とはならずにすみました。
2世紀に及ぶ悲惨な戦争の後の平和時代
フランス革命時代のルクセンブルク城塞は1795年に6ヶ月に及ぶ包囲戦で革命軍に降伏しました。賢固な城塞だったため包囲して降伏を待つ策しか取れず、後にこの難攻不落ぶりを「北のジブラルタル」と形容しました。
ここでルクセンブルクという名前は一端なくなってしまい完全フランスへ吸収されます。20年後の1815年にウィーン会議によりルクセンブルクは大公国へ格上げされ、オランダ王ウィレム1世(ルクセンブルク大公を兼ねる在位1815年-1840年)の支配下に置かれました。
ここでルクセンブルクという名前は一端なくなってしまい完全フランスへ吸収されます。20年後の1815年にウィーン会議によりルクセンブルクは大公国へ格上げされ、オランダ王ウィレム1世(ルクセンブルク大公を兼ねる在位1815年-1840年)の支配下に置かれました。
大国に翻弄されながら独立国を維持するルクセンブルクはミシュランガイドの国民一人当たりの星の数が世界No.1という誇らしい実績もあり、白ワインとチョコレートの国と呼ばれています。
グルメな観光客が集まる国でもあります。旧市街地には森と美しい城や歴史建造物がうまく調和し美しい街並みが魅力的!特に、環状城壁の下に広がるグルント地区は美しさに魅了された観光客が多く押し寄せる人気観光地となっています。
グルメな観光客が集まる国でもあります。旧市街地には森と美しい城や歴史建造物がうまく調和し美しい街並みが魅力的!特に、環状城壁の下に広がるグルント地区は美しさに魅了された観光客が多く押し寄せる人気観光地となっています。
壮大な歴史を感じて旅をしよう
いかがでしたか。ただ息を呑む絶景に心焦がすだけではなく、その背景にある歴史を簡単にでも理解することで、世界遺産巡りはより楽しくなります。「ルクセンブルク市:その古い街並みと要塞群」への渡航をぜひご検討ください。
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