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【社説】

むのさん逝く ジャーナリズムを貫く

 百一歳のジャーナリスト、むのたけじさんが亡くなった。新聞記者として戦争取材にかかわった自責の念を戦後の原点とした。戦争を憎み、平和を求める。発言や行動には反骨精神が貫かれていた。

 「戦争を絶滅する」。人間を幸せにしない。肯定できる要素は何一つない戦争。人類がどうやったら争いなく暮らせるのか。それがむのさんが生涯かけて考え続けたことであり、願いだった。

 戦後を生きる原点としたのは、新聞記者として戦争報道にかかわった悔恨だ。大本営発表のまま負け戦を勝ち戦のように、空襲被害も軽微と報じた。本来、民のものであるはずの新聞が国民を裏切った。敗戦の日、新聞人としてのけじめをつけるために退社したむのさんの証言には、新聞をつくる私たちにとっての教訓がある。

 「戦時中、憲兵や特高、内務省の役人が新聞記事の内容に細かく干渉してくることはなかった。軍部と対立すれば新聞社の経営に困るから、会社側が原稿のチェック体制を作った。これが新聞社の活気を失わせた。新聞社をダメにしたのは自己規制だった」。本紙のインタビューにはこう語った。

 今も同じ過ちを繰り返していないか。権力におもねって真実を伝えることを放棄していないか。報道機関の私たちが沈黙したときに戦争は忍び寄るのではないか。

 新聞記者を辞めたむのさんが故郷の秋田県横手市で創刊した週刊新聞「たいまつ」には、地域に根差した民衆の目があった。

 憲法改正に警鐘を鳴らし、安全保障関連法案に反対を唱えたむのさん。百歳を迎えても人々は、むのさんの発言を求めた。

 公の場での最後の発言は五月三日、東京で開かれた憲法集会だ。車いすで現れたむのさんは白い髪を風になびかせ、張りのある大きな声で語った。「戦争は人間をけだものにする。ぶざまな戦争をやって残ったのが憲法九条。九条こそが人類に希望をもたらす。憲法のおかげで、戦後七十一年間、日本人は一人も戦死せず、相手も戦死させなかった」

 戦後生まれが人口の八割を超え、戦争体験の継承もまた切実な課題だ。

 むのさんは言った。三百六十五日、日々の営みの中で考えよう。どうしたら戦争をなくせるか、平和を実現できるか。「戦争は始まったら止められない。大切なのは、七十億分の一が変わること。一人一人の力だ」。戦後の暗闇を照らした「たいまつ」の精神を私たちは受け継いでいきたい。

 

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