IT教育が未熟な社会の犠牲者
僕も以前、ネット上の写真は全て無料でブログやツイッターに貼り付けて良いものと思っていたぐらいだから、そういう感覚の人はごろごろいるんじゃないかな。
著作権は曖昧な部分が多く、教育が浸透していない。
こうした権利問題だけに関わらず、ブログやSNSでは様々な問題を起こす人間が現れるものだ。
情報散らかり社会
僕もそうだがITリテラシーのない人間がごっそり存在するってことは、それだけネット社会が、不整頓な歪みの世界になっているってことだ。
スラム街で礼儀正しい正座をしていられないのと同じ。
人間ってそんなに物わかりが良くない生き物なんだ。
ITリテラシーのない人を大勢で小馬鹿にする光景ってのは、貧困差別と似通ってるよね。
ITリテラシーだって文化遺産みたいなもので、幸運に恵まれないと深く学ぶことは出来ない。
人間は楽する生き物だから、悪いことだと思ってない――つまり悪意なき行動は本人の自覚なしに行われてしまう。
これは全人類に共通する脳の性質上、ある程度仕方ないことと言える。
ゆえに個人を罵倒するのではなく、社会にどう働きかけていくかを考えて行動するのが大事なんだよね。
知識があって当然という尊大な思考態度
ITリテラシーのない人間を、「良い歳して、バカなんじゃないの?」と貶す人は、自分が手に入れられた知識を当然のものと思ってふんぞり返る軽蔑すべき高慢ちきな裸の王様だ。
やはりこうした攻撃的な輩は、ウェブサイトを運営している者に多く見られる。
自分が仕事をしているからこそ身につけられた貴重な知識を、誰もが身についていて当然のものだと勘違いしている。
学ぶべきことは世の中にいくらでもある。
しかし、それら全てを飲み込んで自分の血肉に出来る者など限られている。
カオスなこのネット社会では、的確に学ぶべき事柄を見極めるのは至難の業だ。
であるからネットリテラシーの低い人が大勢いる状況ってのは、社会の異常性の象徴なんだよね。
学びという幸運を享受した者は、天地開闢から今日に至るまでの人間生命が築き上げた歴史に感謝するべきだ。
成長したのは己が頑張ったから当然のことと捉える思考は、人間を辞めた魔物のそれである。
還元する気概はまるで見られず、自己中心的な一匹狼的気質を備えた拝金主義者だ。
知識なき者に上から殴り付ける行為は、イジメられる側にも問題があるという発想と同じであり、社会を悪の地に変えてしまう悪魔的所行である。
こうしたネット上の体罰を実行継続する者が、呆れるほどに多い。
やってはならないことを学べた人間は徹底して守り、並行して知識をシェアする優しさを持ちたいものだ。
殴るより愛を与えた方が、人は変わる
そんなこともせずに、どうしてジャイアニズムを発揮するのだろう。
なぜ、聴く者が耳を閉ざしたくなる怒声を、土管の上から大量発射するのだろう。
その疑問の答えの一つは、ただただムカツクからだと思われる。
この僕だって、ネットリテラシーの低い人間のせいで不利益を被ったら、己の人生を全て投げ打ってでも復讐する。
アンパイアなき世界に引きずり込んで、ギブアップの許されない暴力リングにて骨折りスープレックスを無限にやり続ける。
ムカついたら傲慢だろうとなんだろうとお構いなしだ。
敵に情けは無用。人生は一度きり。
勝てば官軍、あとは野となれ山となれ。
人間の人生は短く儚い。
我慢などもってのほかだ。
敵が泣くまで殴るのを辞めない。
「炎上」と「拡散」の考現学――なぜネット空間で情報は変容するのか
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