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終戦の日に  冷静に過去見つめる勇気を

 リオデジャネイロ五輪は後半に入った。その熱気はメディアを通じてリアルタイムで地球の裏側にある日本まで届き、私たちを眠れなくする。
 4年後には2度目の東京五輪が控える。今から待ち遠しいが、日本が初めて五輪招致に成功してから今年でちょうど80年ということをご存じだろうか。
 京都新聞の前身、京都日日新聞は1936(昭和11)年8月1日付朝刊に「次回オリンピック大会 東京で開催に決定す」の大見出しを掲げ、二・二六事件の判決発表を脇に押しのけて1面トップで扱った。京都観光への政財界の期待も紹介しており、当時の興奮ぶりが伝わってくる。
 浮かれる世間を冷ややかに見る目もあった。京都帝大を卒業し、大谷大教授も務めた哲学者の戸坂潤は雑誌で、東京五輪を「国際的政治現象に他ならない」と評した。折しも開かれていたベルリン五輪はナチスによる国力宣伝の場と化していた。

 初の東京五輪は幻に

 結局、紀元二千六百年の40年に予定された東京五輪は幻となる。日中戦争の泥沼化で総動員体制が進み、国内に「五輪どころではない」という空気が強まる一方、日本に批判的な諸外国の間にボイコットの兆しが広がったためだ。
 誘致から2年後、政府は開催返上を閣議決定した。京都日日は2面で小さく伝え、1面トップは「長期聖戦の遂行に」と勇ましい見出しの陸軍定期異動だった。
 「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会を奨励する」というオリンピック憲章の精神は、戦争や独裁政治、国威発揚とは相いれない。天孫降臨伝説の高千穂で聖火ならぬ「神火」の採火を大真面目に検討するような当時の日本には五輪開催の資格などなかった。
 戦争に突き進んだ日本は「幻の東京五輪」から5年後、敗戦を迎えた。その日から71年。国内外を見渡すと、信頼・友好・希望…といった言葉より、疑心・対立・不安…と暗い言葉が思い浮かぶ。
 世界では今なお「力」が幅を利かせている。中東・シリアを根拠とする「イスラム国」(IS)が関わる卑劣なテロが頻発し、アフリカ各地では血なまぐさい内戦が続く。ロシアはクリミア半島を武力で併合したままだ。東アジアでは強引に海洋進出を図る中国と周辺国との摩擦が激化している。
 こうした領土や民族をめぐる争いのルーツをたどると、しばしば2度の世界大戦に行き当たる。
 中東の紛争は第1次世界大戦での英仏密約が遠因だ。尖閣諸島や竹島、北方四島の帰属は、日本が受諾したポツダム宣言の「日本の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々(米英中ロ)の決定する諸小島に限る」という文言の解釈に関わってくる。

 不毛な「反日」非難

 戦争は「歴史認識」という難題も残した。明治以来の日本の誇るべき近代化は、侵略と敗戦という恥辱の結末を招いた。このねじれた過去に、勇気と冷静さを持って向き合わねばならない。
 ところが、戦前の日本の行動や戦争目的を正当化する一方、戦後社会を否定し、中国や韓国に過剰なまでに反発する風潮がインターネットを媒介に広がっている。
 例えば「反日」レッテルの横行である。安倍晋三首相を批判したり、慰安婦や侵略を論じたり、中国・韓国との友好を主張したりすれば、「反日」の非難が飛んでくる。軍国主義時代の「非国民」同様、異なる意見を封殺しようとする卑劣な言葉の攻撃は、一人の日本人として情けなくなる。
 電子掲示板「2ちゃんねる」運営に関わった山本一郎氏は、ネットで右翼的発言を繰り返す「ネトウヨ」について満足な仕事も学歴も経済的余裕もなく「日本人であることしか誇れない人たちがいっぱいいる」と語っている。格差の拡大で夢や希望を持てず、不満のはけ口として過激な言動に走る人が増えれば社会は不安定になる。

 憲法に魂入れる努力

 右へ傾斜する世論を背景に選挙で圧勝を重ねる安倍政権は、特定秘密保護法や集団的自衛権行使に道を開く安全保障関連法を次々に成立させた。次のターゲットは「戦後レジーム(体制)」の根幹である憲法の改正だろう。
 憲法が公布された46年11月3日付の京都新聞は、1面に天皇皇后両陛下の写真とともに社説を掲げた。「敗戦によって謙虚な心構えを取り戻すことの出来たわれわれは、真実の希求かつ世界平和を提唱する機会に恵まれた」と反省を込めて新憲法をたたえ、国民の「必死の努力」によって憲法に「魂を入れ」ようと訴えている。
 当時の新聞からは「占領軍の押しつけ憲法」という不満や批判は読み取れない。あるのは平和の喜びと新しい時代への期待である。
 戦争の悲惨な実相を知る世代は年々減り、体験を聞くことは難しくなっている。しかし、想像力を働かせて本や映画などで追体験することで、戦後世代でも戦争の罪深さや平和の尊さ、歴史と憲法の重みを深く理解できるはずだ。
 待望の東京五輪は戦後75年の節目の年にあたる。憲章の理念に沿い、平和で幸せな大会にと願う。

[京都新聞 2016年08月15日掲載]

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