終戦からあすで71年になる。戦争の記憶が年々遠ざかる一方、癒えぬ悲しみと心のつかえを抱えたままの遺族らも多い。 第2次世界大戦の日本の戦没者は約310万人に上る。海外や沖縄などの戦地で亡くなった約240万人のうち、半数近い約113万人の遺骨がいまも異郷に残され、家族の元に戻っていない。 歳月の壁が立ちはだかる中、遺骨の収容を「国の責務」として加速を掲げた「戦没者遺骨収集推進法」が今年3月に成立。本年度から9年間に定めた集中実施期間が始まった。 遺族の高齢化が進み、遺骨の帰還は時間との闘いとなっている。国はあらゆる手だてで収容を急ぎ、残された遺骨が伝える戦争のむごさと戦後の宿題に向き合わねばならない。 厚生労働省によると、未収容の遺骨はフィリピンの約37万柱、中国の約22万柱をはじめ千島列島、南西太平洋などに及ぶ。無謀な戦線拡大で敗走、玉砕が相次いだ上、日本軍が遺骨の代わりに現地の石や砂を「英霊」として遺族に届けた経緯もあり、多くが残されたとされる。 これまで収容できたのは、復員兵らが持ち帰った約93万柱と、1952年以降の国事業分を合わせ約127万柱。厚労省は残る遺骨のうち海没分などを除く約60万柱は収容可能とするが、近年は年千~2千柱台の収容にとどまっている。 このため超党派の議員立法で成立した推進法は、これまで法的位置づけが曖昧で、民間団体に頼っていた遺骨の収容を、国の責務として計画的に推進すると明記。中心的に担う厚労省だけでなく、外務省や防衛省にも積極的な協力を求めた。 関係者の記憶が薄れ、捜索場所の特定が難しくなる中、海外の公文書館などにある記録資料の調査推進を掲げたのも重要だ。効果的な情報収集と円滑な収容活動を進める上で、外務省など幅広い連携は有効だろう。 身元の特定と遺族への返還のために遺骨のDNA鑑定の拡大を掲げたことも注目したい。戦後70年が過ぎ、収容できても身元や遺族にたどりつけない遺骨がほとんどだ。今年5月まで1年間にロシアやソロモン諸島などから戻った2337柱も身元不明で東京・千鳥ケ淵の戦没者墓苑に納骨された。 2003年から一部導入されたDNA鑑定では千柱以上の身元が判明し、千島列島・占守島で収集された遺骨の初確認につながったことも今月明らかになった。厚労省は名前入りの遺品と一緒に見つかった遺骨に限っていたが、今後は遺品がなくても鑑定してデータベース化し、遺族分と照合する方針だ。 ただ全面拡大ではなく、鑑定対象をDNA抽出がしやすい歯に絞る考えで、遺族から韓国のように手足の骨も調べてほしいとの声が上がっている。わずかでも貴重な手掛かりを無にしないよう他国の事例も参考にし、広く遺族に呼び掛けてデータベース構築を軌道に乗せてほしい。 多くの一般国民を「赤紙」1枚で戦地へ送り、住民も戦禍に巻き込んだ国の責任において、1人でも多くの遺骨が帰還できるよう最善を尽くすべきだ。
[京都新聞 2016年08月14日掲載] |