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 広島、長崎に原爆を投下する前後に「訓練」として米軍が投下した49発の模擬原爆。三重県四日市市の市立下野(しもの)小学校教諭、早川寛司さん(56)らが着弾地点の一つを突き止めた。1945年7月24日、同市泊村のため池の土手に落ち、2人が犠牲になっていた。

 「春日井の戦争を記録する会」(愛知県春日井市)が解析した米軍の模擬原爆投下一覧表などから、四日市市内には7月24日に1発、8月8日に2発投下されたことは分かっていたが、うち7月の着弾地点が不明だった。

 米軍資料では、投下時間は午前7時40分。目標は「四日市重工業(地域)」と記されていた。だが、天候が曇りで目視でなくレーダーで照準を合わせ、航空写真も撮れず、着弾地点を確認できなかったらしい。

 市側の記録で合致するのは、旧同市四郷(よごう)出張所の「防空日誌」だった。7月24日の項に、「5時40分警戒警報発令/6時20分頃空襲警報発令/7時45分前ノ山ニ投弾……」とある。

 時間は符合する。ただ、「前ノ山」という地名はない。早川さんは住民の協力を得て、元出張所南側の山付近を歩いた。たどりついたのが今も残る旧海軍官舎。当時から住む福堀利昭さん(79)らの証言で、農業用ため池「安政池」の土手に着弾したことが分かった。

 「突然、どかんと爆弾が落ちた…

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