今年の3月に仕事を辞めたあと、とある企業に再就職したんですが、結論から言うと、私そこを1ヶ月で辞めたんですね。
入社する前、自分は「石の上にも3年」が出来ると思っていました。
そう思っていたのに、入社してすぐ「やばい、自信がない」って思ったんです。
当時の私の顔を指して、親しい友達はこう語ります。
友「もう、どんどんシケた顔になっていってた」
と。
そしてある日、
友「もう、私のせいにしていいから辞めな!!」
って、言われたんです。
よほど私の顔がシケていたんだろうと、今ならば分かります。
私はその翌日に、辞めると会社に申し出ました。
引き継ぎの必要がなかったので、翌日には退職することができましたが、そこからが、
「さーてどうすっかなー」
ですよ。
その当時、今本業にしている「当時の副業」が、ようやく軌道に乗り始めた頃でした。
「それでしばらくは食いつなげるかなー」というのも辞める追い風になったし、保険でもあったけど
あくまでも副業であって、それで生計を立てようなんて思ってなかったんです。
頼まれる仕事は不定期だし、収入だって不安定だし、福利厚生も交通費もない。
たまさかその月の収入が人並み、あるいはそれ以上にあったとしても、「どこにも所属していない」ことは、「社会のどこにも組み込まれていない」ことと同義である気がして、そこにものすごい後ろめたさを感じていたんですよ。
たまたまパチンコで勝って生活しているような、そういう浮遊感。
「明日どうすんの」っていう不安と恐怖。
それらに怯えていたんです。
だからやっぱり仕事は探していたし、探している間に単発のバイトもしました。
本当に、ごくごく最近までずーっと「フリーでやっていく」ことに対して、迷いがあったんです。
そんなときに偶然知ったのがイケダハヤトさんの「まだ東京で消耗してるの?」というブログ。
それまで縁がなかったので存じ上げなかったんですが、ものすごく有名なブロガーさんで、書籍も出版されています。
もう、挙げるとキリがないんですが、仕事や会社や社会に対する固定観念が次々に破壊されて
「アガガガ…」
って顎はずれそうになる毎日。
例えば、最近の記事ですと
>>> 「オレは社畜だからさぁw」という終わりの始まり
>>> 「置かれた場所で咲きなさい」?それ、過労死する考え方ですよ
>>> 1年で仕事を辞めると「辞め癖」がつく?最高じゃないですか、その癖。
>>> 20代で無職?そんなことで悲観的になってしまう、その価値観がヤバイです。
>>> まだ電通で消耗してるの?
>>> 毎日を死んだように過ごすか。毎日ワクワクして死ぬか。どっちがいいですか?
>>> 「世間からの白い目」と「自分の信念」どちらを取るか?答えは決まってますよね。
これらを読んで「アガガガ」ってなってた頃、まさかのまさかイケハヤさんと並べてR-18を紹介してくださった(奇特な)方がいらっしゃいます。w
清さんありがとうございましたー!!^^
光栄過ぎてガクブルです。w
はてさて「アガガガ」後、
「どこにも所属していない」ことは、「社会のどこにも組み込まれていない」ことと同義である気がしていた。
というのは、ある種の「呪い」というか、強迫観念だったのだと気付かされました。
今になると「それのどこが悪いのやら??」という感じなんです。
相変わらず仕事は不定期だし、収入だって不安定だし、福利厚生も交通費もありません。
だけど、
「それがなにか?」
という感じなんです。
お金が足りなければ働けばいい。仕事がなければ取りにいけばいい。そして私の仕事とは?と、毎日毎日考えるようになりました。
私は、仕事に関すること、ブログに関すること、何に使えるかは分からないけどなんかよさげ、ということを思いついたら、即メモを取るようにしているんですね。
「ひらめき」って、「一瞬鋭く光ること」というくらいなので、
「お。これ覚えていよう」
なんて思っていても、
「あれ、さっきひらめいたことってなんだったっけ」
って、すぐに忘れてしまうんです。
昔は「ただメモってた」だけなんですが、何が何だか分からなくなるので、インデックスをつけ、極力カテゴリーごとにメモを取るようになりました。
ときには「もう寝よう」と思ってベッドに入ったあとや、夜中に目覚めて「ふいに」なんてこともあるので、「紙の束」と添い寝してるくらいです。
だけどそうやって、「自分の『なにか』に使えるかもしれない」ことを、本当に真剣に毎日考えるようになってから、
「毎日が楽しい」
と心から思えるようになりました。
前職時代も、現状を改善していくためにどうすればいいか、ということは常日頃から考えていましたし、私は「女将」という仕事も、お店のことも、お客さんのことも愛していました。
しかしながら、当時の「仕事にまつわる考え事」というのは、どこまで行っても「店のため」「会社のため」「お客さんのため」であって、「100%自分のため」とは言えなかったな、と思うんです。
だけどそれは当然です。会社がお給料を払ってくれていたのですから。
「自分で自分を食わせていく」ようになってから、毎日が「背水の陣」ではあるけれど
日常で考える全てのこと、日常の中で目に入った「ハッ」とすることは、全て「自分の仕事」に直結しています。
そして、「あれはどうだ、これはどうだ」って一生懸命考えたことがかたちになって「手元を離れる」と、即座に反応として返ってくるんです。
それは「次の仕事」であったり、「報酬」であったり、お客さんからの褒め言葉であったりとさまざまですが
「ボーナス」よりも遥かに嬉しいことです。
(そう。ボーナスは、ないですからね。フリーはw)
あげく、仕事場は(ほぼ)自宅。
通勤も(ほぼ)なく、上司や部下という人間関係もない。
だから、わたし今、ノーストレスなんですよ。まじで。
そんな話を、先日ある人にしました。
奈「ノーストレスで仕事して、ちゃんとお金も稼いで、そんで休みの日は好きな人とイチャイチャして、私こんなに幸せでいいのかな???って思うんですよねー」
そう言うと盛大に吹き出されて
「いいねえ。そんなに幸せそうだと、見てるこっちまで幸せになるよ」
と、満面の笑みで言われたんですね。
その表情を見たときに、昔読んだ黒川伊保子さんの「恋愛脳」を思い出したんです。
(ちなみに、「夫婦脳」っつー続編もあって、親しい人妻たちにこの本をたくさん贈りました)
「自分の気持ち」がすべての基軸である女性脳からは、ほんとうに全く想像を絶するけれど、男性脳は「自分の気持ち」をあまり認識しないまま生きているのである。
傍に居る女が嬉しそうなら、その嬉しさに照らされてしみじみと嬉しい、というのが男性脳だ。
折に触れて、襟を正すように思い出すのは
「女は愛嬌」
という言葉と
「笑う門には福来る」
です。
私は「ウィットに富んだ面白いもの」が好きだから、それを求めてしまうけど
「面白さ」よりも大事なのは、「朗らかさ」なんですよね。(自戒を込めて)
ここ(R-18)は「私の庭」だから、荒らされそうになったらそりゃあ戦います。
でも、先述のイケハヤさんに言わせると中川淳一郎さんの「ウェブで議論はできない」という意見に強く賛成。なので、「ぐwww」という感じなんですけど。w
まあでもこれもトライ&エラーの一環なのでね。
私昔から、「熱いって言われても、触ってみないと分からない」と思ってるんですよ。
やや余談ですが、
「嫌な人とも付き合っていかなきゃいけない」って、「社会人として当たり前」
くらいに思っている方も多いと思うんですけど、「それは何故か?」と因数分解していくと
「なんでだっけ?w」となってきます。
「好きな人とだけ付き合っていく」ことを「悪」「わがまま」「自分勝手」
のように思う方もいらっしゃるかもしれませんが、それもまた「何故か?」と突き詰めて考えたら
それが悪い理由なんてなにもないんですよ。
もっと細かく言うと、「自分に足りない部分」、「直した方がいい部分」は、「付き合いたくない人」の苦言に頼らなくても、
親しい人が指摘してくれたり、「降ってくる」ように自然と呈されるので、「いらん世話」という話です。
ちょうど昨日ヨガの先生とも話してたんですけど
「みんな幸せになりたいはずなのに、自分の幸せを押し通そうとすると、『私ってあさましいんじゃ』と感じてしまうのではないか」
っていう話をしてたんです。
でも、「大丈夫。やることやってる」くらいに思っていいんですよ。
そのためには、ほんとに「自分が」やることやってるって「自覚出来ること」をやらないとだめですけど。
私は今、「自分に出来ること」を精一杯やってる自覚があります。
と同時に、課題も山盛りです。
苦言を呈されることだってあるし、今は力不足で手が届かないこともたくさんあります。
それらには、目標を立てて臨んでいます。
だから幸せになる覚悟をしたんです。
ああそうそう。
結局は1ヶ月で辞めてしまったけれど、
再就職した先の社長から言われて、今でも印象に残っていることがあります。
「『明日やろう』は、バカやろう」
「現状維持の先には、衰退しかない」
これは、フリーになってから、本当にことあるごとに思い出す言葉になったので
これらの言葉が聞けただけでも、入社した甲斐があったなあって思います。
あ、補足:ちなみに社長は私よりも年下でした。www イケハヤさんと言い、ほんと年なんて関係ないですね。
というわけで、週明け月曜日、みなさま張り切って参りましょう~!!
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