今の若者にはちょっと理解しがたい感傷かも知れません。
18年間 生きてきた故郷を後にして都会へ出て生活をすると言うことは、それなりの決心も必要で、また寂しいことでもありました。
私は、寂しくなるといつも空を見上げました。大空を見ていると色んなことが浮かんできました。
最後は決まって父や母の顔、浮かんでくる顔はいつも笑顔でした。
その笑顔の両親に心配をかけないようにと、また絶対弱音は見せられないと、強がったものでした。
夜間の大学に通っていた私は、昼間色んな仕事を経験しました。
その経験は後々私の人生において大変役に立ったのでした。
そんなある日のこと、仕事を終えアパートへ帰宅する途中の話です。
その日も西の空を自然と見ていました。すると、その時です。西の方にある山の上に、まん丸い光を見つけたのです。
「何だろう?夕焼雲には丸すぎる‥ 山の上に何か打ち上げて、実験でもしているんだろうか‥」と思って眺めていました。
ところが気になって歩きながら見ていると、その光がだんだん大きくなってくるではありませんか。
「不思議だな~」と思いながら見ていると、さらにその光は大きくなったのです。
「何だこれは・・・!」と‥ びっくりする間もなく、一瞬左右に揺れ動いて、パッと消えたかと思った次の瞬間、大きな円盤の船底が、頭上にドーン!という感じで現れたのです。
その大きなこと、押しつぶされそうで怖くなって「しゃがまねば」と思ったその瞬間、今度は、あっと言う間に消えていってしまいました。
その折、何か笑い声のようなものが尾を引いて行くような感じがしました。
夢か、はたまた幻か...
不思議なことに周りにも数人の人が道を歩いていたのですが、誰もその光景に気づいてはいない様子。
あまりに一瞬の出来事でした。なので、その出来事は自分の中で「気のせいだったんだ」と思って、友人にもこのことを話すことはありませんでした。
しかし何年も経って冷静に考えてみると、あの丸い光からの一連の出来事はどう考えてみても、夢や幻では無かったと思うのです。
今でも鮮明に記憶の中に残っています。あの鉛色をした、どデカイ円盤の船底の姿が...
「見えないものが、見えてくる」
若い頃の、まだ心が純粋だった時代、日々を一生懸命に生きていました。だから色んな物が見えてきたのでしょうか‥
でもその時一度きりです。その後見ないと言うことは、もう心が純粋でなくなってきたと言うことでなのでしょうか‥
「若い頃の苦労は、買ってでもしろ」という言葉を信じて一生懸命に生きていた青春時代。生活するのがやっとでした。
今思うとそんな私へ、宇宙人から「兄ちゃん、頑張れよ!」と、励ましのエールだったのかも知れませんね。(笑)
余談ですが、あの司馬遼太郎夫妻は、街や道を歩く人の顔を見て良い人か、悪い人か、その人の職業までを当てていたそうです。
年を取るのは 大変だけど、人生は面白くなる...
若い頃とはまた違った意味で「見えないものが、見えてくる」そんな感じです。