石川智也
2016年8月22日16時13分
8月6日。新聞の1面に「リオ五輪きょう開幕」の見出しが躍っていた。ページをめくると中面に、米軍普天間飛行場の移設をめぐる沖縄県と国との法廷闘争の記事。脚本家の上原正三さん(79)=東京都町田市=は嘆息した。「これが沖縄とヤマト(本土)の溝。40年経ても埋まらない」。翁長雄志(おながたけし)知事の記事中の言葉をなぞった。「自国政府にここまで虐げられる地域が他にあるでしょうか」
那覇市生まれ。1960年代にウルトラマンシリーズの脚本を手がけ、一大ブームを巻き起こした。隣町の南風原(はえばる)町出身の金城(きんじょう)哲夫に誘われて円谷プロに入ったのは65年。1歳下の金城は脚本を統括するメインライターだった。沖縄戦と基地問題を描こうと脚本家をめざした上原さん。怪獣ものに興味はなかったが、書いてみると、自分の物語を投影できると気づいた。
55年、大学入学のためパスポートで上京。車窓の景色に驚いた。「基地がない」。沖縄出身と明かした途端、大家に下宿を断られた。「悔しくはなかった。ただ、この差別の正体を知りたい。ずっとそう思って生きてきた」。東京で暮らす叔父は九州出身と偽り、本籍地も移していた。
好対照だった沖縄人2人の作品世界は、沖縄と日本、米国の関係を色濃く映す。ウルトラマンの放映開始50年、金城の没後40年の今年、沖縄は再び本土の軛(くびき)に揺れる。上原さんは、盟友の思いに自らの問いを重ねた。「沖縄は本当に日本なのか」
◇
「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」の設定とキャラクターを造形した原案者・金城哲夫と、ともに脚本を手がけた上原正三さん(79)。作品には、2人が幼い頃に経験した沖縄戦が投影された。ただ、その手法は対照的だった。
1944年10月、7歳の上原さんは疎開先から沖縄に戻る船中にいた。那覇の空襲で行き場を失い、魚雷におびえつつ2週間漂流。家族6人、体をひもで結んだ。鹿児島で下船後、船は撃沈された。沖縄に残った警察署長の父は、地上戦で負傷して左耳の聴力を失っていた。住民とともに墓に潜んでいたが、日本兵に追い出されたという。
22年後、上原さんはデビュー作で、音に敏感な海底の怪獣の話を書いた。息を殺していた海上保安庁の巡視船が、通りかかった客船を救うため音を立てて注意を引く。沖縄での日本兵の行為とは反対に描いた。
一方、明朗な金城は王道のヒーローものを書いた。
「テーマ性を抑えファンタジーにまとめるのが彼の真骨頂。でもその視点はやはり沖縄人のものだった」。上原さんはそう語る。
金城の母は45年3月、南風原…
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