国際政治学や外交史を専門とし、『国際秩序』(中公新書)などの著作で知られる著者が、昨年夏に大きく盛り上がった安保論争について自らの論考をまとめたもの。
新聞や雑誌、ウェブメディなどに書いた記事を元にしているため、重複している部分もありますが、安保法制に賛成の立場から一貫した議論がなされています。
目次は以下の通り。
まず、著者は1992年の国連平和維持活動協力法の時の騒ぎを引き合いに出し、当時は「違憲だ」「平和主義を破壊する」と懸念されたが、25年近く経ってどうだったか? と問いかけます。
さらに安保法製の審議において、反対する陣営から「平和を守れ!」との声が上がりましたが、彼らがウクライナ問題やイスラーム国の問題に対して、それを解決するための主張をしているのか? と疑問を呈します。
また、10本の法改正と1本の新法制定からなる複雑な安保法制に「戦争法」とレッテルを貼ることについても著者は批判的です。
このようなレッテル貼りや感情的な反発は建設的な議論を生みません。著者は憲法前文の「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という部分を引用し、国際平和のために日本が何ができるかを考えるべきだと主張します。
軍縮が進めば平和になると考える人もいますが、著者は歴史を振りかえると「力の真空」こそが平和を壊すと主張します。
19世紀後半にはオスマン帝国の衰退がバルカン半島での「力の真空」を生み出し第一次世界大戦へと繋がりましたし、第一次世界大戦後はオーストリア=ハンガリー帝国の解体が中欧と東欧での「力の真空」を生み、それをヒトラーのナチスドイツが埋めようとしました。
また、アジアでは日本が第二次世界大戦での敗北によってその勢力を大きく後退させたことが朝鮮戦争などをもたらしました。現在では、90年代前半にアメリカ軍がフィリピンから撤退したことが、南シナ海における中国の海洋進出をもたらしています。
中立が平和をもたらすとも限りません。ベルギーは第一次世界大戦においても第二次世界大戦後においても中立を宣言していましたが、ドイツに侵攻されました。
そこでベルギーは第二次世界大戦後に自ら指導力を発揮して1948年のブリュッセル条約によって「西欧同盟」を形成し、さらにNATOへも参加しました(105-106p)。同盟の「力」によって平和を確保しようとしたのです。
近年、日本をめぐる安全保障環境も以前とは変わってきています。
アメリカのアジア太平洋地域における存在感は以前ほどのものではなく、経済成長とともに中国の存在感が増しています。さらにこの地域の不安定要因としては北朝鮮の存在もあります。
日本としてはうまく外交を進める必要があるのですが、著者は「外交手段と軍事手段の二つを巧みに組み合わせてはじめて、「対話と交渉」もまた十分な効果を発揮する」(151p)としています。
「違憲」との批判がつきまとった安保法制でしたが、そもそも集団的自衛権の行使に関して全面禁止という内閣法制局の見解が確立したのは1981年になってからでした。
1950年代末から60年代にかけて、内閣法制局は集団的自衛権に関して部分的には容認するような態度をとっていましたが(170~174p)、ベトナム戦争への派兵などへの警戒が高まる中で、政局的な理由によって集団的自衛権の公使は違憲という見解がつくられていったのです(174~181p)。
この後、内閣法制局は「過去の答弁を変更できない」と考えるようになっていくのですが(183p)、この硬直した考えには民主党政権も否定的で、内閣が憲法解釈を変更していくべきだと考えていました(184-186p)。
この本は最後の部分で安保法制の中身について解説しています(そのため安保法制の中身について知りたい人はこの本の巻末にある別の文献を読んだほうがいいでしょう)。
注目したいのは、著者が「今回の安保関連法案での最大の変更点は~国際平和協力活動と後方支援活動の拡充である」(228p)と述べている点です。
「集団的自衛権」ばかりがとり上げられていますが、非国連統括型のPKO活動に参加の道を開き、「安全確保業務」、「駆けつけ警護」が可能になったのは著者の指摘するように大きな変更点です。
ここがあまりクローズアップされなかったのは、たしかに著者の言うようにマスコミや反対派がレッテル貼りに終始したからだと言えるかもしれません。
安保法制によって「アメリカの行う戦争に巻き込まれる」と危惧する人も多いですが、著者は日本が国連の安保理において必ずしも対米追従一辺倒ではないことを指摘し、さらに現在のハイテクを使って戦争においてアメリカは必ずしも同盟国に戦闘参加を求めていないことをアフガニスタン攻撃などを例に上げながら説明しています。
このように傾聴すべき考えも多いですし、同意する点もある本なのですが、同時に「これでは反対派を説得することは出来ない」とも思いました。
まず、著者は「戦争法」といったレッテル貼りを強く批判していて、それはそのとおりだと思うのですが、著者も認めるように安保法制の全体像は非常に複雑であり、それを一括して内閣が提出してくる以上、反対派は全体をまとめて論じるしかありません。今回、議論が深まらなかったのは反対派の感情的な態度だけではなく、政府の法案提出の方法にもあります。
また、「反対派はウクライナやイスラーム国の問題をどう考えるのだ?」という批判については、「では、安保法制が成立すればウクライナの問題やイスラーム国の問題が解決するのか?」という反論が可能でしょう。
世界平和を目指す考えは重要ですが、正直、ウクライナ問題やイスラーム国の問題は日本政府ではどうにもできない問題ではないでしょうか。
この他にも、「国連での安保理決議への対応だけで対米追従の実態が測れるのか?」などといった疑問もありますが、最大の問題点は著者が反対派の感情論に反発するあまり、それに感情的に反発してしまっている点でしょう。
「反対派」にまとめて反論するのではなく、反対派の論客の意見に反論していくべきだったと思います(その意味で、『本当の戦争の話をしよう』の伊勢崎賢治氏あたりと著者が対談したら面白いと思う)。
ここからは私見になりますが、反対派、特に高齢者の中にある反発の核心は「エゴイズム」や「思考停止」ではなく、「政府への不信」なんだと思います。
前回紹介した栗原俊雄『戦後補償問題』に見られるように、政府は先の大戦で被害を受けた民間人を切り捨てるような対応を取りました。また、日系の移民などに対しても政府は冷淡な対応をとってきています。
こうした政府の態度が生み出した「結局、政府は一般人を犠牲にするのだ」という人々の「政府への不信」が、日本の安全保障問題の議論の余地を狭めているのではないでしょうか。
安保論争 (ちくま新書)
細谷 雄一

新聞や雑誌、ウェブメディなどに書いた記事を元にしているため、重複している部分もありますが、安保法制に賛成の立場から一貫した議論がなされています。
目次は以下の通り。
1 平和はいかにして可能か
2 歴史から安全保障を学ぶ
3 われわれはどのような世界を生きているのか―現代の安全保障環境
4 日本の平和主義はどうあるべきか―安保法制を考える
まず、著者は1992年の国連平和維持活動協力法の時の騒ぎを引き合いに出し、当時は「違憲だ」「平和主義を破壊する」と懸念されたが、25年近く経ってどうだったか? と問いかけます。
さらに安保法製の審議において、反対する陣営から「平和を守れ!」との声が上がりましたが、彼らがウクライナ問題やイスラーム国の問題に対して、それを解決するための主張をしているのか? と疑問を呈します。
また、10本の法改正と1本の新法制定からなる複雑な安保法制に「戦争法」とレッテルを貼ることについても著者は批判的です。
このようなレッテル貼りや感情的な反発は建設的な議論を生みません。著者は憲法前文の「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という部分を引用し、国際平和のために日本が何ができるかを考えるべきだと主張します。
軍縮が進めば平和になると考える人もいますが、著者は歴史を振りかえると「力の真空」こそが平和を壊すと主張します。
19世紀後半にはオスマン帝国の衰退がバルカン半島での「力の真空」を生み出し第一次世界大戦へと繋がりましたし、第一次世界大戦後はオーストリア=ハンガリー帝国の解体が中欧と東欧での「力の真空」を生み、それをヒトラーのナチスドイツが埋めようとしました。
また、アジアでは日本が第二次世界大戦での敗北によってその勢力を大きく後退させたことが朝鮮戦争などをもたらしました。現在では、90年代前半にアメリカ軍がフィリピンから撤退したことが、南シナ海における中国の海洋進出をもたらしています。
中立が平和をもたらすとも限りません。ベルギーは第一次世界大戦においても第二次世界大戦後においても中立を宣言していましたが、ドイツに侵攻されました。
そこでベルギーは第二次世界大戦後に自ら指導力を発揮して1948年のブリュッセル条約によって「西欧同盟」を形成し、さらにNATOへも参加しました(105-106p)。同盟の「力」によって平和を確保しようとしたのです。
近年、日本をめぐる安全保障環境も以前とは変わってきています。
アメリカのアジア太平洋地域における存在感は以前ほどのものではなく、経済成長とともに中国の存在感が増しています。さらにこの地域の不安定要因としては北朝鮮の存在もあります。
日本としてはうまく外交を進める必要があるのですが、著者は「外交手段と軍事手段の二つを巧みに組み合わせてはじめて、「対話と交渉」もまた十分な効果を発揮する」(151p)としています。
「違憲」との批判がつきまとった安保法制でしたが、そもそも集団的自衛権の行使に関して全面禁止という内閣法制局の見解が確立したのは1981年になってからでした。
1950年代末から60年代にかけて、内閣法制局は集団的自衛権に関して部分的には容認するような態度をとっていましたが(170~174p)、ベトナム戦争への派兵などへの警戒が高まる中で、政局的な理由によって集団的自衛権の公使は違憲という見解がつくられていったのです(174~181p)。
この後、内閣法制局は「過去の答弁を変更できない」と考えるようになっていくのですが(183p)、この硬直した考えには民主党政権も否定的で、内閣が憲法解釈を変更していくべきだと考えていました(184-186p)。
この本は最後の部分で安保法制の中身について解説しています(そのため安保法制の中身について知りたい人はこの本の巻末にある別の文献を読んだほうがいいでしょう)。
注目したいのは、著者が「今回の安保関連法案での最大の変更点は~国際平和協力活動と後方支援活動の拡充である」(228p)と述べている点です。
「集団的自衛権」ばかりがとり上げられていますが、非国連統括型のPKO活動に参加の道を開き、「安全確保業務」、「駆けつけ警護」が可能になったのは著者の指摘するように大きな変更点です。
ここがあまりクローズアップされなかったのは、たしかに著者の言うようにマスコミや反対派がレッテル貼りに終始したからだと言えるかもしれません。
安保法制によって「アメリカの行う戦争に巻き込まれる」と危惧する人も多いですが、著者は日本が国連の安保理において必ずしも対米追従一辺倒ではないことを指摘し、さらに現在のハイテクを使って戦争においてアメリカは必ずしも同盟国に戦闘参加を求めていないことをアフガニスタン攻撃などを例に上げながら説明しています。
このように傾聴すべき考えも多いですし、同意する点もある本なのですが、同時に「これでは反対派を説得することは出来ない」とも思いました。
まず、著者は「戦争法」といったレッテル貼りを強く批判していて、それはそのとおりだと思うのですが、著者も認めるように安保法制の全体像は非常に複雑であり、それを一括して内閣が提出してくる以上、反対派は全体をまとめて論じるしかありません。今回、議論が深まらなかったのは反対派の感情的な態度だけではなく、政府の法案提出の方法にもあります。
また、「反対派はウクライナやイスラーム国の問題をどう考えるのだ?」という批判については、「では、安保法制が成立すればウクライナの問題やイスラーム国の問題が解決するのか?」という反論が可能でしょう。
世界平和を目指す考えは重要ですが、正直、ウクライナ問題やイスラーム国の問題は日本政府ではどうにもできない問題ではないでしょうか。
この他にも、「国連での安保理決議への対応だけで対米追従の実態が測れるのか?」などといった疑問もありますが、最大の問題点は著者が反対派の感情論に反発するあまり、それに感情的に反発してしまっている点でしょう。
「反対派」にまとめて反論するのではなく、反対派の論客の意見に反論していくべきだったと思います(その意味で、『本当の戦争の話をしよう』の伊勢崎賢治氏あたりと著者が対談したら面白いと思う)。
ここからは私見になりますが、反対派、特に高齢者の中にある反発の核心は「エゴイズム」や「思考停止」ではなく、「政府への不信」なんだと思います。
前回紹介した栗原俊雄『戦後補償問題』に見られるように、政府は先の大戦で被害を受けた民間人を切り捨てるような対応を取りました。また、日系の移民などに対しても政府は冷淡な対応をとってきています。
こうした政府の態度が生み出した「結局、政府は一般人を犠牲にするのだ」という人々の「政府への不信」が、日本の安全保障問題の議論の余地を狭めているのではないでしょうか。
安保論争 (ちくま新書)
細谷 雄一