以前も述べたとおり、我々は皇室典範改正の下準備を行なっております。皇室典範には現状にそぐわない諸問題が山積していますが、中でも天皇の生前退位・譲位については最も迅速な対応を求められております。

 

もちろん皇室典範も民法や刑法などと同じように数ある法律の一つに過ぎません。法改正の手続きもこれまで通りに進めるだけで、特段難しいことはありません。具体的にどのような条文を盛り込むかについては、近日非常に有効な意見も数多く提出されており生前退位に限っては早い段階での法改正が実現できる見込みがあります。

 

ただ、今回の議論をきっかけに我々日本人が改めて考えなければならない点があります。それは「象徴」とは何か、という点です。大日本帝国憲法では天皇は神聖なものとされていましたが、戦後の日本国憲法では天皇は日本の象徴という位置づけになりました。そして先日の陛下の「お気持ち」表明でもこの部分が非常に強調され、今後も皇室が「いきいきとして社会に内在し」ていくにはどうすべきかという問題提起もありました。

 

「象徴」とは何か。これを考えるには法律からの議論のみでは限界があります。法律というのは物を盗んだら窃盗罪、不良品を売ってお客がそれによりケガをしたら損害賠償、といった具合に、世の中で実際に起こった不都合を処理するには有効です。しかしながら、人々の思想や価値観を法律でしばることはできません。ただし「象徴」についての理解が不充分であるために皇室典範改正がいまいちスムーズに進まないことは事実です。象徴とはシンボルであり、日本人がシンボルとして認め得る存在とはどのようなものであるか。これを考えるためには法学の領域だけではなく、非常に学際的な研究が必要になります。そこで深層心理学、とりわけユング派のイメージやシンボルについての考え方を導入する必要があると私は考えます。ユングの深層心理学は東洋的な人間理解の立場と深いつながりをもっていることから、「象徴」の位置づけ、天皇譲位後の地位、女系天皇や皇室減少等の問題についても立法上の突破口となりえます。

 

このような学際的な研究を通じ、新たな皇室典範のあるべき姿を形作っていこうというのです。

 

天皇が日本人にとってより良い象徴となるよう準備を進めてまいります。

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皇室典範改正準備室は文字どおり皇室典範改正の下準備をするところです。皇室がより良くなるように改正することは国民にとっても利益(法律的意味において)になります。先日陛下の「お気持ち」表明がありましたので、まずは生前退位についての法改正を最優先に準備しております。法改正の基準は、これは皇室典範に限らずあらゆる法律についていえることですが、正義が行なわれるためにはどうすべきかということが基準です。

日本国憲法一条にある通り、天皇は日本国の象徴です。いわば「日本の顔」です。天皇は世襲制ですが、憲法では我々国民の総意に基づく存在として定められています。例えば公務で天皇が外国を訪問されたとします。その国の人々は天皇の姿、振る舞いを見て「これが日本なのだな」と認識するわけです。したがって天皇は公務を遂行できるだけの健康状態を維持し、「日本の顔」としての品格と教養のある人物でなくてはなりません。では摂政を、という意見もありますが、お迎えいただく相手国の人々はどう感じるでしょうか。やはり代理よりも本人を迎えたいはずです。なんだ、日本はうちの国については代理で済ませるのか、ととられかねません。国際社会における日本の評価が危うくなることも懸念されます。この問題は一代限りの特別立法では解決されません。皆様方ご存知の通り、皇太子殿下は現在56歳です。皇太子殿下が天皇に即位後再び同じことを議論するのは無駄な作業です。

また有識者の中には「天皇は象徴なので、ただ存在するだけで職責を果たしている」という意見があります。これは天皇を絶対視、神聖視する大日本帝国憲法の考え方であり、時代遅れとしか言いようがありません。つまり現代社会にふさわしい正義とはいえないのです。

日本国憲法では、天皇の地位は日本国民の総意に基づくとあります。ならば国民は天皇に対し意見を述べ、注文を付けることができてしかるべきです。よって生前退位の要件には天皇自らが高齢等を理由に生前退位を希望する他に、国民の側から天皇へ生前退位を要求できるようにするべきであると考えます。ただしこれは国にとっての重大事項ですので、国会の2/3の賛成を要するとすべきです。天皇の恣意的な交代を防ぎ皇室の安定的継続を確保するために必要です。

日本国の象徴である天皇、その基盤である皇室が良くなっていくように、我々は法改正のための下準備を行ってまいります。よろしくお願い申し上げます。
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陛下の生前退位に対する「お気持ち」表明まで1週間を切りました。

多くの職場には定年退職という制度があります。そして企業の創業者がさらなる事業拡大を願って若い人に代表取締役社長を譲り、自らは名誉会長に退くことはよくあることです。実際に江戸時代までは天皇の生前退位は何度も行われていました。確かに現行の皇室典範には生前退位の規定がありませんが、なければ作ればいいのです。

では今日、生前退位がなぜこんなにも問題になっているのでしょうか。正直申し上げて問題になること自体がおかしい、それ自体問題だと私は感じています。この問題を解くにはまず歴史を振り返る必要があります。

江戸時代末期、ペリー来航に代表される欧米列強のアジアにおける軍事的・経済的進出が著しくなりました。日本はこれに対抗し国内を統一して近代化を急がねばなりませんでした。その方法として明治政府は幕府を廃止し天皇親政(天皇が政治を行うこと)を軸としました。多くの国民に「近代化とはこういうことだよ」と示すには天皇という絶対的な君主を一人たてるやり方が手っ取り早かったのだと思います。その結果出来上がったのが大日本帝国憲法と皇室典範です。大日本帝国憲法下では天皇は神聖な存在であり、天皇に対して誰も文句を言ってはいけなかったのです。さらに天皇は自ら法律を作ることができ、軍隊も天皇の所有物でした。

しかしそんな世の中は数十年しかもたず、1945年の敗戦で幕を閉じました。大日本帝国憲法と皇室典範はGHQにより廃止になり、日本国憲法と新しい皇室典範が制定されました。GHQは天皇の絶対的権力を排除するため、天皇を神聖な存在ではなく日本国の「象徴」とし、かなりの私有財産を没収し財閥も解体。天皇は国事行為のみを行う人になりました。そして同時に天皇は「日本国の」象徴と法律で定められたので、天皇にかかる費用は国費、つまり国民の税金で賄われるべしとなりました。その後一度も改正されず現在に至っています。

学校の教科書では日本国憲法は「平和憲法」とされています。確かに帝国主義から脱するために必要でしたが、見方を変えれば天皇を再び「特別扱い」にした法律なのです。これはもちろん皇室典範にもいえます。
 
大日本帝国憲法では天皇を神聖な存在として特別扱いしていましたが、日本国憲法では「象徴」として特別扱いしています。経済活動をせずとも生活に困らず、全額税金で賄われることが合法化されているので納税者はそれについて文句が言えない。この不景気にも関わらず多くの法学者、有識者は何も手入れされない日本国憲法、皇室典範を戦前・戦中の旧法と同じく「触れてはいけないもの」に仕立て上げ、これまで改正すべきタイミングは何度もあったのにこの不合理な状態を放置してきました。つまり、生前退位の何が問題かといえば「これまで放置してきたことが最大の問題である」ということです。

この状況をみて、このままではいけないと声をあげたのは他でもない天皇陛下ご自身です。

今回の「お気持ち」表明には以上のような背景があります。
心して耳を傾けてください。
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