シャープ社長だった高橋興三氏が、台湾・鴻海(ホンハイ)精密工業グループによる出資が完了した12日付で退任した。経営危機が深刻化していた平成25年に“社内クーデター”を経て社長に就任したが、再建を果たすことなく鴻海への身売りという結果を招いた。「上司に『NO』と言わなかったから社長になった」と語っていた典型的な日本のサラリーマン経営者は、どこで道を誤ったのだろうか。
「鴻海グループからの出資が完了し、経営再建に向けた大きな一歩を踏み出すことができた。私は本日をもって社長を退任するが、シャープは新経営体制のもとで再生を進める」
12日、高橋氏の退任会見などはなく、シャープ広報を通じて、こうコメントを出しただけだった。鴻海傘下で再建を進めることが決定してから表舞台にでることもなくなり、自宅を訪れた記者には「俺、レームダック(死に体)だから」と社業について語ることはなくなっていた。
鴻海からの出資で、資産をすべて売却しても負債が返せない債務超過をようやく解消したが、コメントでは、ここまで経営と財務を劣化させた経営責任に言及することはなかった。振り返れば、平成25年に社長に就任した高橋氏は自ら判断することの少ない経営者だった。4年前に合意した鴻海からの出資は破談となり、シャープは銀行の融資を受けて自立再建を目指すしかなかったこともあるだろう。高橋氏も「就任当初から打てる手は限られていた」と打ち明ける。
そこで注力したのが「かえる運動」と称した企業風土改革だった。社長就任会見では「社員が自分で判断して自分でチャレンジし、上からの指示を待たない。そういう企業風土に変えたい」と抱負を語り、社員の意識改革を実現することで経営再建の道が開けると強調した。
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